回復魔法を使う少女
「逃げるぞ!」
俺が叫ぶと同時に、三人で走り出した。
「待ってーっ!」
後ろから少女の声が追いかけてくる。
振り返れば、大量の魔物を引き連れたまま、こっちへ走ってきていた。
「置いてかないでよ!」
「なんであんな数連れてんだよ!」
「ちょっと欲張っただけ!」
「……あとで聞く!」
今は話している場合じゃない。
ケイブハウンドの唸り声。
ホーンラットの甲高い鳴き声。
無数の足音が重なり、地面まで震えている。
「ランド!」
前を走るルシオンが声を上げた。
「この先に分かれ道があります! 右へ!」
「分かった!」
角を曲がる。
ルシオン。
レン。
俺。
そして少女も、しっかりついてきている。
しばらく走ったところで、ルシオンが急に速度を落とした。
「待ってください! このままでは追いつかれます!」
「じゃあどうする?」
「ここで迎え撃ちましょう!」
周囲を見る。
さっきまでより通路が狭い。
二人並ぶのがやっとだ。
「なるほど」
俺にも狙いが分かった。
「ここなら一気には来られねぇ」
「ええ。数の差を多少は潰せます」
「分かった。レン、前だ」
「うん」
レンが俺の隣へ並ぶ。
ルシオンはその後ろで杖を構えた。
「私も戦うわ」
少女が腰から短剣を抜く。
「私が巻き込んだんだもの。ちゃんと責任は取る」
「戦えるのか?」
「失礼ね。これでも一人でここまで来たのよ」
「……なら頼む」
「任せて!」
さっきまで逃げ回っていたとは思えないくらい、威勢のいい返事だ。
「来ます!」
ルシオンの声。
暗闇の奥から、ケイブハウンドが飛び出した。
「来た!」
俺は踏み込む。
飛び込んできた牙を剣で横へ逸らし、そのまま首筋を斬った。
「ギャッ!」
一匹。
だが、そのすぐ後ろから二匹目。
三匹目。
「レン!」
「うん」
レンが一歩踏み込む。
噛みついてきた二匹目の顔を外側へ流し、その横腹へ蹴りを叩き込んだ。
ゴッ!
ケイブハウンドの身体が横へ弾かれ、後ろから来ていたホーンラットへぶつかる。
「今です!」
ルシオンが杖を振るう。
「風刃!」
風の刃が狭い通路を走った。
密集していた魔物たちが切り裂かれ、何匹かがその場に倒れる。
「よし!」
これならいける。
数は多い。
けど、この狭さなら一度に飛び込んでこられる数は限られる。
「はっ!」
少女も動いた。
突っ込んできたホーンラットの角を身体を沈めてかわす。
そのまますれ違いざまに短剣を振り抜いた。
「ギィッ!」
首元を斬られたホーンラットが地面を転がる。
弱くない。
むしろ、かなり動ける。
「次、来るよ」
レンが言う。
「おう!」
俺たちは次々と押し寄せてくる魔物を迎え撃った。
俺とレンが前。
ルシオンと少女が後ろ。
狭い通路を利用して、一度に相手をする数を減らす。
だが――。
「くそっ……!」
倒しても倒しても、次が来る。
さすがに数が多すぎる。
「ランド、前!」
「っ!」
ケイブハウンドが飛び込んできた。
俺は剣で牙を受け流す。
その瞬間――。
岩陰から、別の魔物が飛び出した。
「危ない!」
少女の声。
身体を捻る。
だが、遅い。
鋭い爪が左肩を掠めた。
「ぐっ!」
服が裂ける。
焼けるような痛みが走り、肩から血が流れ始めた。
「ランド!」
「大丈夫だ!」
剣を横薙ぎに振るい、飛び込んできた魔物を下がらせる。
浅い。
これくらいなら、まだ――。
「ちょっと、下がって!」
少女が俺の腕を掴んだ。
「なんだよ!」
「いいから!」
強引に後ろへ引かれる。
「レン、少し頼む!」
「うん」
レンが俺のいた場所へ入る。
少女はすぐに俺の肩へ手をかざした。
「動かないで」
「は?」
その手のひらに淡い光が集まり始める。
「治癒!」
柔らかな光が傷口を包んだ。
「……お?」
さっきまであった痛みが急速に引いていく。
流れていた血が止まり、傷口がゆっくりと塞がっていった。
「傷が……」
「《治癒》……?」
後ろからルシオンの声が聞こえた。
振り返ると、珍しく目を見開いている。
「お前、回復魔法使えんのか?」
「ええ」
少女が当然のように答える。
「このくらいなら治せるわ」
「回復魔法を使える者は、それほど多くありません」
ルシオンが少女を見る。
「あなた、いったい――」
「ルシオン!」
レンの声が飛んだ。
見ると、魔物が再び押し寄せてきている。
「話はあとだ!」
「……そうですね」
ルシオンが杖を構え直す。
「傷は?」
少女が俺を見る。
肩を回してみる。
ほとんど痛くない。
「ああ。大丈夫だ」
「なら行けるわね」
「助かった。ありがとな」
「どういたしまして」
少女はにっと笑った。
「まだ来るわよ!」
「おう!」
俺は再び前へ出た。
◇
それからも戦いは続いた。
俺とレンが前で魔物を食い止める。
ルシオンが後ろから魔法を放つ。
少女も隙を見て短剣で援護する。
俺やレンが浅い傷を負えば、《治癒》で塞いでくれた。
ただ――。
「はぁ……はぁ……」
何度か使ううちに、少女の呼吸が少しずつ荒くなっていく。
額にも汗が浮かんでいた。
どうやら、いくらでも使えるわけじゃないらしい。
「あと五匹!」
少女が叫ぶ。
「レン!」
「うん」
レンが前へ出る。
飛びかかってきたケイブハウンドの身体を半歩ずれてかわし、その勢いを利用するように下から拳を突き上げた。
ドンッ!
ケイブハウンドが浮き上がり、そのまま後ろの一匹へぶつかる。
「岩槍!」
ルシオンの魔法が一匹の腹を貫いた。
「あと三匹!」
「私も!」
少女が前へ出ようとする。
「待て」
「何よ?」
「お前は後ろにいてくれ」
「なんで?」
「もう結構疲れてんだろ。それに、回復できる奴が怪我したら困る」
「……」
少女が一瞬だけ目を丸くする。
それから、小さく笑った。
「……分かった。任せるわ」
「おう」
俺とレンが前へ出る。
一匹。
俺が首を斬る。
もう一匹。
レンが脚を払って転ばせ、俺が仕留める。
最後の一匹がこちらへ突っ込んできた。
「ルシオン!」
「はい!」
ルシオンの杖が振られる。
「風刃!」
風の刃が通路を走った。
最後のケイブハウンドが横へ倒れる。
「……」
静かになった。
俺はしばらく剣を構えたまま、暗闇の奥を見つめる。
もう足音は聞こえない。
「終わったようですね」
ルシオンが杖を下ろす。
「はぁ……」
俺も大きく息を吐き、その場に腰を下ろした。
「疲れた……」
「僕も」
レンも壁にもたれかかる。
さすがに今回は疲れたらしい。
「あの……」
少女が俺たちの前へやってきた。
さっきまでの威勢のよさが消えている。
「ごめんなさい」
そして、深く頭を下げた。
「私のせいで、巻き込んじゃって」
「……ああ。それなんだけどな」
「え?」
俺は少女を見る。
「逃げるしかなかったのは分かる。でも、あんな数の魔物を引き連れたまま他の冒険者がいるところへ突っ込んでくるのは危ねぇだろ」
「……うん」
「俺たちじゃなかったら、死人が出てたかもしれねぇぞ」
少女の顔から笑みが消える。
「……ごめんなさい」
「ランド」
ルシオンが静かに俺を呼んだ。
「本人も分かっているようです。そのくらいで」
「分かってるよ」
俺だって、いつまでも責めるつもりはない。
全員無事だった。
それに、こいつだって好きで魔物に追われてたわけじゃない。
「次からは本当に気をつけろよ」
「うん」
少女はもう一度頭を下げた。
「ごめんなさい。それと……助けてくれてありがとう」
「ああ」
「ランド、傷は?」
「もう平気だ」
肩を回してみる。
あれだけ血が出ていたのが嘘みたいだ。
「すげぇな、あの魔法」
「でしょ?」
途端に少女の表情が明るくなる。
「回復魔法は結構得意なのよ」
「やはり回復魔法だったんですね」
ルシオンが近づいてくる。
「一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「あなたは、どこの魔法学院で学んだんです?」
「魔法学院?」
少女が首を傾げた。
「通ってないわよ」
「……え?」
ルシオンの動きが止まる。
「通っていない?」
「うん」
「では、誰かに師事しているんですか?」
「してないけど」
「……独学ですか?」
「独学っていうか……」
少女は少し考える。
「昔からできたのよ」
「昔から?」
「怪我したところに手を当てて、こう……治れーってやったら治ったの」
「……」
ルシオンが黙った。
「なんだ、その顔」
「いえ……」
眼鏡を押し上げる。
「回復魔法は適性に大きく左右される魔法です。魔術師なら誰でも扱えるものではありません」
「そうなの?」
「ええ。専門的に学んでも、満足に使えない者はいます」
「へぇ……」
少女は自分の手を見る。
本当に知らなかったらしい。
「じゃあ私、結構すごい?」
「少なくとも、回復魔法への適性はかなり高いと思います」
「へぇー」
少女が嬉しそうに笑う。
その横でルシオンは、まだ少し納得できないような顔をしていた。
こいつからすれば、散々勉強して覚えるような魔法を「昔からできた」で済ませる奴は理解しづらいのかもしれない。
「そういや」
俺は少女を見る。
「まだ名前聞いてなかったな」
「あ」
少女も今気付いたらしい。
「そうだった」
「俺はランド」
二人を順番に示す。
「こっちがルシオン。そっちがレン」
「よろしくお願いします」
「よろしく」
「私はアリア」
少女――アリアは明るく笑った。
「よろしく!」
「ああ」
そう返してから、改めてアリアを見る。
俺たちと、そう歳は変わらなそうだ。
背中まで伸びた金色の髪。
ぱっちりとした青い瞳。
整った顔立ち。
こうして落ち着いて見ると、かなり可愛い。
ただ、おとなしいとか上品とか、そういう感じじゃない。
さっきから笑ったり、驚いたり、落ち込んだり。
とにかく表情がころころ変わる。
黙っていれば、どこかのお嬢様にでも見えそうなんだけどな。
「何?」
見ていたことに気付いたのか、アリアが首を傾げる。
「いや、なんでもない」
「変なの」
アリアは気にした様子もなく笑った。
……やっぱり、お嬢様って感じじゃねぇな。
「それで、アリア」
「何?」
「なんであんな数に追われてたんだ?」
「……」
さっきまで笑っていたアリアの目が泳ぐ。
「何した?」
「ちょっとね……」
アリアが腰につけた袋を漁る。
取り出したのは、青白く輝く鉱石だった。
「これを見つけたのよ」
「なんだ、それ?」
ルシオンが覗き込む。
「……魔銀鉱ですね」
「知ってるのか?」
「ええ。魔力を通しやすい希少な鉱石です。魔道具や武器の素材にも使われます」
「そう!」
アリアが魔銀鉱を掲げる。
「結構高く売れるのよ!」
急に元気になったな。
「最初は一個だけにするつもりだったんだけど……もう一個見つけて、その先にもあって……」
「それで奥まで行ったのか」
「……うん」
「魔物に見つかった?」
「……うん」
アリアが気まずそうに頷く。
「逃げてる途中で別の魔物にも見つかって、その魔物から逃げたら、また別のに見つかって……気付いたらあんなことに」
「欲張りすぎですね」
ルシオンが淡々と言う。
「反省してます……」
アリアが肩を落とした。
「さっきのこともある。次からは本当に気をつけろよ」
「分かってるわよ……」
アリアは魔銀鉱を袋へ戻した。
その時だった。
「……あ」
アリアの視線が、周囲に転がる魔物の死体で止まった。
「どうした?」
「これ……全部、素材になるのよね?」
「種類にもよりますが、牙や角、皮などは買い取ってもらえるでしょうね」
ルシオンが答える。
アリアが周囲を見回す。
大量の魔物が通路に転がっている。
「でも、さすがに全部は持って帰れないか……」
「必要な部位だけ回収すればいいでしょう」
「え?」
「死体を丸ごと収納すると容量をかなり使います。牙や角、魔石など、価値のある部分だけ回収した方が効率的です」
「なるほど……」
アリアの目が輝いた。
「じゃあ、全部取って帰りましょう!」
「切り替え早ぇな!」
「だって、せっかく倒したのよ? 置いていくのはもったいないじゃない!」
「さっきまで反省してた奴とは思えねぇ……」
「反省とお金は別よ!」
「別なのかよ!」
ルシオンが小さくため息をつく。
「とりあえず、回収できるものだけ回収しましょう」
「賛成!」
なんで一番元気なんだよ。
◇
俺たちは手分けして、魔物から価値のある部位を回収していった。
牙。
角。
爪。
魔石。
持ち帰りやすい素材を優先して集め、素材袋がいっぱいになるたびにルシオンが収納魔法へしまっていく。
その様子を、アリアが感心したように見ていた。
「収納魔法って便利ね……」
「容量には限界がありますけどね」
「それでも十分よ」
アリアは満足そうに頷く。
「たくさん持って帰れるじゃない」
やっぱり、そこなんだな。
どうやら、こいつは金に関してはかなり細かいらしい。
「さて」
回収を終えたルシオンが俺たちを見る。
「そろそろ戻った方がいいでしょう」
「ああ」
俺も頷く。
ポーションはもうない。
さっきの戦闘で体力もかなり消耗している。
アリアだって、《治癒》を何度も使って疲れている。
初めての探索で、これ以上無理する理由はない。
「レンは?」
「帰る」
「即答だな」
「疲れた。お腹すいた」
「結局それもかよ」
俺はアリアを見る。
「お前はどうする?」
「私?」
アリアは少し考える。
それから、自分が逃げてきた暗い通路を見る。
「……一緒に帰ってもいい?」
「別にいいぞ」
「よかった」
アリアがほっとしたように笑う。
「さすがに今日は、もう一人で探索する気にはならないわ」
「それがいい」
「ちゃんと反省してるんだからね?」
「分かってるって」
こうして。
俺たちの初めてのダンジョン探索は、予定より少し早く切り上げることになった。
そして帰り道には――。
来た時にはいなかった少女が、一人増えていた。




