天下五剣のキリカ
「キリカ……?」
どこかで聞いた名前だ。
横を見ると、ルシオンも少し驚いた顔をしている。
「ランド」
「なんだ?」
「もしかして、気付いてないんですか?」
「何が?」
ルシオンがキリカさんの腰にある二本の剣を見る。
「二刀流のキリカですよ」
「二刀流……」
その瞬間、思い出した。
陽だまり亭でルシオンから聞いた名前。
第八魔王――鬼王を討った五人の剣士。
マルク・ヴィクトリーノ。
ベルクート。
志葉蘭蔵。
クザン。
そして――。
「……天下五剣のキリカ!?」
思わず声が大きくなる。
キリカさんが眉を上げた。
「へぇ。知ってるのかい?」
「名前だけですけど……」
俺は改めてキリカさんを見る。
腰には二本の剣。
まさか、鬼王を倒した五人の一人が王都のギルド長をやっていたなんて。
「マジかよ……」
「そんなに驚くことかい?」
「驚くだろ!」
「ランド。ギルド長に向かって、その口調はどうなんですか」
「今それ言うか!?」
キリカさんが小さく笑った。
「別に構わないよ。畏まられる方が面倒だ」
「じゃあ、このままで」
「切り替え早いですね」
ルシオンが呆れたように言う。
キリカさんは俺たちから視線を外し、並べられたグレイウルフの素材へ目を向けた。
「それで、こいつらを倒したのがお前たちかい?」
「僕から説明します」
ルシオンが一歩前へ出る。
「グレイウルフは十三体。そのうち一体が、群れを統率していたと思われる大型個体でした」
「十三体を三人で?」
「はい。ランドとレンが前衛、僕が後方から援護しました」
「指示を出したのは?」
「主にランドです」
キリカさんの視線が俺へ向く。
「へぇ」
「なんです?」
「いや。続けな」
ルシオンが頷く。
「大型個体は左前脚を庇っていました。僕が魔力の流れに異常を見つけ、ランドが実際の動きから古傷だと判断しました」
「それを利用して倒したわけか」
「はい」
「なるほどね」
キリカさんは今度はキラーマンティスの鎌へ視線を移す。
「こっちは?」
「帰還途中、ダリオさんたちがキラーマンティスと交戦しているところへ遭遇しました。バルトさんが負傷していたため、僕たちも加勢しました」
「どう倒した?」
「僕の観測眼で、外殻に比べて関節部分の魔力が弱いことを確認しました。そこから右鎌を使えなくし、後脚を潰して動きを鈍らせ、最後はランドが首の継ぎ目を斬りました」
「それだけ聞くと簡単そうだねぇ」
「全然簡単じゃなかったです」
俺が口を挟む。
「二本の鎌で逃げ道を潰してくるし、外殻は硬ぇし……」
「それで、先に鎌を潰した?」
「ああ」
「誰が決めた?」
「俺です」
「理由は?」
「二本あると面倒だったから」
「……それだけ?」
「一発目を避けたところに二発目が来るんですよ。だったら一本にすりゃ、攻撃も読みやすくなると思って」
キリカさんがわずかに口元を緩めた。
「単純だが、悪くない」
今度はレンを見る。
「坊主は?」
「何?」
「キラーマンティスの鎌を壊したのは、お前かい?」
「ランドも斬ったよ」
「お前は何をした?」
「殴った」
「武器は?」
「使わない」
「……素手で?」
「うん」
キリカさんの目が、レンの拳へ向く。
「拳法を習ってるね?」
「うん」
「誰に?」
「天真師匠」
その瞬間。
キリカさんの眉がわずかに動いた。
「……北大陸の天真かい?」
「うん」
「なるほど。あの天真の弟子なら、納得だ」
今度はレンが首を傾げる。
「師匠、知ってるの?」
「名前はね。有名な拳法家だよ」
「へぇ」
「……自分の師匠なのに知らなかったのかい?」
「強いのは知ってるよ」
「そういう問題じゃないんだがねぇ……」
キリカさんが苦笑する。
「北大陸じゃ、天真の名を知らない武術家はそう多くない。三大道場の一つを預かる拳法家だからね」
「三大道場?」
俺が聞き返す。
「なんだ。お前も知らないのかい?」
「初めて聞きました」
キリカさんがルシオンを見る。
「そっちの魔術師は?」
「僕も知りませんでした。北大陸の武術には詳しくないので」
「三人揃って知らないのかい……」
キリカさんが呆れたように息を吐く。
「まあ、大陸が違えばそんなもんかね」
「師匠って、そんなに有名だったんだ」
レンがぽつりと言う。
「お前が一番驚けよ」
「驚いてるよ」
「全然そう見えねぇよ」
キリカさんが小さく笑った。
「まあいい」
そして、再び俺を見る。
「ランド」
「はい?」
「キラーマンティスを仕留めた剣を見せな」
「剣?」
「ああ」
俺は少し迷ってから、腰の剣を抜いた。
「これです」
その瞬間。
キリカさんの顔から笑みが消えた。
「……」
何も言わない。
刀身。
鍔。
柄。
一つ一つ確かめるように、その目が動いていく。
「どうかしました?」
「……その剣」
キリカさんが俺を見る。
「どこで手に入れた?」
「母さんのです」
「母親?」
「形見です」
キリカさんの目がわずかに細くなる。
「母親の名前は?」
「リエラです」
「家名は?」
「ヴィクトリーノです」
「……リエラ・ヴィクトリーノ」
キリカさんが黙った。
さっきまでとは明らかに様子が違う。
「母さんを知ってるんですか?」
「ああ」
即答だった。
「知ってるよ」
「本当ですか?」
「昔ね」
キリカさんの視線が再び剣へ落ちる。
「その剣にも見覚えがある」
「これを?」
「ああ」
俺も手にした剣を見る。
母さんがずっと使っていた剣。
母さんが死んでからは、俺が使っている。
「母さん、そんなに有名だったんですか?」
「……有名、ねぇ」
キリカさんが少しだけ困ったように笑った。
「まあ、そういう言い方もできるか」
「?」
なんだ、その言い方。
聞こうとしたが、キリカさんは話を切り替えた。
「アイリス」
「はい」
「こいつらのランクは?」
「三人ともウッドランクです」
「三人とも?」
「はい」
キリカさんは俺、レン、ルシオンを順番に見る。
「……なるほどね」
そして腕を組んだ。
「今回の件は、通常の昇格規定だけで処理する必要はなさそうだ」
「昇格?」
「ああ」
キリカさんがグレイウルフの素材へ目を向ける。
「依頼内容を大幅に超える十三体のグレイウルフと、その群れの主を討伐。その直後には、キラーマンティスと交戦していた冒険者を救援」
一度言葉を切る。
「しかも、ただ力任せに倒したわけじゃない。状況を見て役割を分け、格上を相手に連携してる」
「でも、キラーマンティスはダリオたちも戦ってました」
「ああ。そこは本人たちからも話を聞く」
キリカさんは即答した。
「功績を横取りさせるつもりもなけりゃ、お前たちに全部くれてやるつもりもない。そこは公平に判断する」
「ならいいです」
「……自分の昇格より、そっちが気になるか」
「別に昇格するために戦ったわけじゃないですし」
俺は肩をすくめる。
「助けが必要だったから助けただけです」
キリカさんが俺をじっと見る。
その目が、ほんの少しだけ細くなった。
「……やっぱり似てるねぇ」
「え?」
「なんでもないよ」
キリカさんはアイリスさんへ向き直る。
「ダリオたちからも証言を取って、正式な報告書を上げな」
「分かりました」
「こいつら三人については――」
一度言葉を切る。
「特例昇格の審査に回す」
「特例?」
「通常なら実績を積んで、一段ずつ上がる。だが、今のお前たちをウッドのままにしておくのもおかしな話だ」
「どこまで上がるんです?」
「審査が通れば、ブロンズだ」
「……ブロンズ?」
ウッド。
その上がアイアン。
そして、ブロンズ。
「アイアンを飛ばすんですか?」
「ああ。正式に認められればね」
俺はルシオンを見る。
ルシオンも驚いている。
レンだけが首を傾げた。
「ブロンズになると何が変わるの?」
「それは決まってから説明してもらいな。まだ昇格したわけじゃないからね」
「そっか」
「まあ、結果が出るまで待ちな」
そう言って、キリカさんは踵を返そうとする。
俺はその背中を見た。
母さんを知っている。
俺の剣まで知っている。
それなら――。
「キリカさん」
「なんだい?」
キリカさんが足を止め、振り返る。
「マルク・ヴィクトリーノって人も、知ってるんですよね?」
キリカさんの表情がわずかに変わった。
「ああ」
短く答える。
「よく知ってるよ」
やっぱり。
俺と同じヴィクトリーノ。
母さんと同じヴィクトリーノ。
そして、キリカさんと同じ天下五剣の一人。
「じゃあ――」
「その話は、ここですることじゃないね」
続きを聞こうとした俺を、キリカさんが遮った。
「え?」
「聞きたいなら、あとで私の部屋に来な」
そう言って、俺を真っ直ぐ見る。
「リエラのことも――マルクのことも」
「……」
何を聞けばいいのか分からないくらい、俺は何も知らない。
母さんは、自分の家族についてほとんど話さなかった。
俺も聞こうとしなかった。
でも今は――知りたい。
「分かりました」
「話が終わったら、アイリスに案内してもらいな」
「はい」
キリカさんはそれだけ言うと、建物の中へ戻っていった。
「……」
しばらく誰も口を開かなかった。
最初に口を開いたのはレンだった。
「すごい人だったんだね」
「お前、天下五剣だって聞いても全然驚かなかったな」
「驚いたよ」
「どこが?」
「心の中で」
「分かるか!」
「ランド」
ルシオンが眼鏡を押し上げる。
「レンにそれを求めても無駄です」
「お前もだんだん扱い分かってきたな」
「嫌でも分かります」
「二人とも失礼だね」
「自覚あったのかよ」
レンが少し頬を膨らませる。
アイリスさんが小さく笑った。
「皆さん、ずいぶん仲良くなりましたね」
「そう見えます?」
「はい」
「……まあ、悪くはないですけど」
「素直じゃないですね」
「うるせぇ」
俺はもう一度、キリカさんが消えていった扉を見る。
天下五剣。
二刀流のキリカ。
そんな人が母さんを知っていた。
俺の剣まで知っていた。
なら――。
マルク・ヴィクトリーノについても。
俺が知らない母さんのことも。
あの人なら知っている。
「ランドさん」
「はい?」
アイリスさんの声で我に返る。
「こちらの確認には、もう少し時間がかかります」
「キラーマンティスの方ですか?」
「はい。ダリオさんたちからも事情を確認する必要がありますので、報酬についてはその後になります」
「分かりました」
「特例昇格についても、今回の報告を精査してから正式に判断されます」
「じゃあ、今日すぐブロンズってわけじゃないんですね」
「さすがにそこまでは」
「ですよね」
まあ、仕方ない。
それより今は――。
「ランドさんは、ギルド長のところへ行かれますか?」
「……はい」
答えは決まっていた。
「行きます」
「分かりました。では、ご案内しますね」
アイリスさんが帳簿を近くの職員へ渡す。
俺はルシオンとレンを見る。
「二人はどうする?」
「僕たちは待っていますよ」
ルシオンが答える。
「いいのか?」
「家族の話でしょう?」
「ああ」
「でしたら、僕たちがついていく必要はありません」
「僕も待ってる」
レンも頷いた。
「……分かった」
俺は二人から離れ、アイリスさんについて歩き出した。
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