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グレイウルフ討伐

 王都の北門を抜ける。


 門の外には、王都へ入ろうとする荷馬車が列を作っていた。


 野菜を山積みにした荷車。


 樽をいくつも積んだ馬車。


 大きな荷袋を背負った旅人。


 門を離れてもしばらくは人通りが多い。


 俺たちはその流れに混じって、北西へ延びる街道を歩いていた。


 目的の森までは一時間もかからないらしい。


 俺は隣を歩くレンを見る。


 相変わらず武器らしいものは何も持っていない。


「そういや、ちゃんと聞いてなかったな」


「何を?」


「お前の拳法だよ」


 さっき手合わせした時から気になっていた。


「なんていう流派なんだ?」


「理心流」


「りしんりゅう?」


「うん」


 聞いたことがない。


 俺は後ろを歩くルシオンを見る。


「知ってるか?」


「いえ、僕も初めて聞きました」


「お前でも知らねぇのか」


「僕を何だと思ってるんですか。北大陸の武術までは知りませんよ」


「物知り眼鏡」


「随分と雑なあだ名ですね」


 レンがルシオンを見る。


「ルシオンは物知り眼鏡の称号を得た」


「いや、別に嬉しくないですよ」


 俺はレンに視線を戻す。


「それで、理心流ってどんな武術なんだ?」


「拳、蹴り、投げ、関節技を使う」


「結構なんでもやるんだな」


「武器も使うよ」


「武器も?」


「うん」


「じゃあ、何でもありってことか?」


「ちょっと違う」


 レンが首を横に振った。


「理心流は、相手に合わせて戦い方を変える」


「相手に合わせる?」


「うん」


 レンは少し考えてから続ける。


「大きい相手と力比べしても不利だし、速い相手を追いかけても疲れる。鎧を着てる相手なら、硬いところを殴る必要もない」


「なるほどな」


「相手が何を得意にしてて、何が苦手なのかを見る。それから、一番効くやり方を選ぶ」


 さっきまで短く答えていたレンが、珍しくちゃんと説明している。


「じいちゃんがよく言ってた」


「なんて?」


「強い技を使うな。一番効く技を使えって」


「強い技と、効く技は違うのか?」


「違うよ」


 レンは自分の拳を軽く握った。


「どれだけ威力があっても、当たらなかったら意味がない。硬いところを思い切り殴るより、弱いところを軽く打った方が効くこともある」


「なるほどな」


「大事なのは、強い技を出すことじゃない。その相手に、その時、一番効く技を使うこと」


「だから相手に合わせて戦い方を変えるのか」


「うん」


「ああ……」


 なんとなく分かってきた。


 俺が熊みたいなでかい魔物を狩る時に、真正面から力比べをしないのと同じだ。


 相手によって、やり方を変える。


「じゃあ、拳にこだわる必要もないのか?」


「ないよ。投げた方がいいなら投げる。武器が必要なら使う。逃げた方がいいなら逃げる」


「逃げるのもありなのか」


「死ぬよりいいから」


「そりゃそうだ」


「勝てない相手に正面から突っ込むのは、勇気じゃなくて馬鹿だってじいちゃんが言ってた」


「ずいぶん現実的な爺さんだな」


「うん」


 俺は少し感心してレンを見る。


「お前、ちゃんと説明できるんだな」


「できるよ」


「普段からそれくらい喋れよ」


「疲れる」


「そこは面倒くさがるのかよ」


「うん」


 即答だった。


 ルシオンが小さく笑う。


「レンは喋れないわけではなく、必要がないと喋らないだけみたいですね」


「そう」


「自分で認めるんだな」


「必要なら喋るよ」


「じゃあ今は?」


「聞かれたから」


「なるほどな」


 妙に納得した。


 こいつは大人しいが、別に口下手なわけじゃないらしい。


 必要がなければ喋らない。


 必要なら、ちゃんと自分の考えを言葉にできる。


 最初に会った時より、少しだけレンのことが分かった気がした。


「その理心流も、じいちゃんに習ったんだよな?」


「うん」


「強いのか?」


「すごくすごいよ」


「……それは、めっちゃ強いってことか?」


「めっっっっちゃ強い」


「随分溜めて言いましたね」


 後ろからルシオンが突っ込んだ。


「そこ伸ばす必要あったか?」


「強さを表現した」


「他に表現方法なかったのかよ」


「ない」


「言い切ったな……」


 返事は早かった。


「一回も勝てなかった」


「マジかよ」


 思わずレンを見る。


 さっき俺の剣をあれだけ簡単にかわしたこいつが、一度も勝てなかったのか。


「どんな爺さんだったんだ?」


 レンは少し考えた。


「変なおじいちゃん」


「強さじゃなくて、そこが最初に出てくるのかよ」


「だって変だったから」


「例えば?」


「よく寝る。酒が好き。芸人も好き」


「……どんどん達人から離れてくな」


「大喜利も好きだったよ」


「大喜利?」


「うん。道場でもよくやってた」


「武術の道場で何やってんだよ」


「これも修行の一環だって」


「絶対違うだろ」


「じいちゃんはそう言ってた」


「具体的に何すんだ?」


「お題を出して、弟子が答える」


「普通の大喜利じゃねぇか」


「すべったら空気椅子」


「……何分?」


「一時間」


「急に修行になったな!」


 レンが少し笑った。


「だから、みんな必死だった」


「そりゃ必死になるだろ」


「面白くないと足が死ぬから」


「笑い取るのに身体張りすぎだろ!」


「足腰は鍛えられるよ」


「それが目的だったのか?」


「たぶん違う」


「違うのかよ!」


 後ろでルシオンまで笑っている。


「ずいぶん変わった方だったんですね」


「うん。変だった」


 レンはそう言ってから、少し間を置いた。


「でも、武術にはすごく厳しかったよ」


「へぇ」


「手を抜くとすぐ怒る。でも、できないからって怒ることはなかった」


「できないのはいいのか?」


「できるまでやらされた」


「……そっちの方がきつくねぇか?」


「きついよ」


 レンはあっさり答えた。


「じいちゃんが言ってた。できない奴をできるようにするのが、師匠の仕事だって」


「……なるほどな」


 よく寝る。


 酒が好き。


 芸人と大喜利が好き。


 弟子がすべれば一時間の空気椅子。


 とんでもない爺さんにしか聞こえない。


 けど、ただふざけていただけじゃないらしい。


「変な爺さんだったんだな」


「うん」


 レンが少し笑う。


「すごく変だった」


 その声は、どこか懐かしそうだった。


 亡くなったじいちゃんの話なのに、レンは楽しそうだ。


 きっと、いい思い出なんだろう。


     ◇


 しばらく街道を歩いた。


 振り返ると、王都の城壁はずいぶん小さくなっている。


 街道の両側に広がっていた畑も減り、代わりに草原が広がってきた。


 人家もまばらになり、すれ違う荷馬車も少ない。


「まだ?」


 レンが聞いてきた。


「俺に聞くな。ルシオン」


 返事がない。


「ルシオン?」


 振り返る。


 少し後ろで、ルシオンが立ち止まって地図を広げていた。


「何してんだ?」


「道を確認してるんですよ!」


「置いてくぞ」


「もう置いていってるでしょう!」


「ああ、悪い悪い」


 俺は歩調を落とした。


 ルシオンが地図を畳んで追いついてくる。


「このまま真っ直ぐです。もう半分も残っていません」


「じゃあ、もうすぐだな」


「だから少し歩調を合わせてください」


「分かったって」


 レンが俺を見る。


「ランドって、声と態度と歩幅がでかいよね」


「あ?」


「声と態度と歩幅」


「二回も言わなくていい!」


 レンが笑った。


 ルシオンまで後ろで笑ってやがる。


「お前ら、俺で遊んでないか?」


「少し」


「レン!」


「僕は何もしてませんよ」


「笑ってただろ!」


「わ、笑うくらいいいでしょう!」


 まったく。


 仲間が増えたと思ったら、俺への当たりまで強くなった気がする。


     ◇


 さらに街道を進んだ。


 すれ違う人間も、いつの間にかほとんどいなくなっていた。


 草原の中に木々が増えていく。


 やがて――。


 風の臭いが変わった。


 湿った土と草の臭い。


 俺は自然と口を閉じる。


 街道の先に森が広がっていた。


 遠くから見えていた木々が、今ではすぐそこまで迫っている。


 歩きながら周囲へ目を走らせる。


 風向き。


 草。


 地面。


 さっきまで喋っていたレンも黙った。


「ランド?」


 ルシオンが声をかける。


「ここから静かにしろ」


 二人の表情が変わった。


「もう探すの?」


 レンも声を落とす。


「ああ」


「まだ森の外だけど」


「だからだよ。魔物が森の中だけにいるとは限らねぇ」


 俺は街道の端へ寄る。


「森に入ってから探し始めたんじゃ遅い」


「なるほど」


 地面を見ながら進む。


 土が露出した場所。


 倒れた草。


 泥。


 しばらく進んで――足を止めた。


「……あった」


 しゃがみ込み、二人を呼ぶ。


「これだ」


「足跡?」


 レンが覗き込む。


「ああ」


 犬に似た形だが、大きい。


「ここ見ろ」


「爪?」


「そうだ。狼型は爪が引っ込まねぇ。歩けばこうやって跡が残る」


 レンが少し離れた場所を指差した。


「こっちにもある」


「ああ」


「何匹かいる?」


「まだ分からねぇ」


「いっぱいあるのに?」


「同じ奴が何度も通った跡かもしれねぇだろ」


「ああ」


 レンはすぐに納得した。


「足跡だけじゃ分からないんだ」


「そういうことだ。糞や毛、食った跡、臭い。そういうのも合わせて判断する」


「なるほど」


 俺は立ち上がり、風向きを確かめる。


 森からこちらへ吹いていた。


「風も悪くねぇ」


「どういうことです?」


「俺たちの臭いが森の奥へ流れにくい。狼型は鼻が利くからな」


 ルシオンが森を見る。


「つまり、こちらが先に見つけやすい?」


「ああ」


 俺は腰の剣を確認した。


「ここからは俺が先頭。ルシオンが真ん中、レンが後ろだ」


「僕が後ろ?」


「狼型は初めてだろ。最初は俺の動きを見ろ」


「分かった」


「それと、一匹だけ追うな。他にもいると思って動け」


「うん」


「よし。行くぞ」


「はい」


「了解」


 俺たちは森へ入った。


 ここから会話はない。


 枯れ枝を避け、足音を殺しながら進む。


 足跡は途中で消え、また見つかる。


 折れた草。


 木の枝に引っ掛かった灰色の毛。


 一つずつ痕跡を拾いながら、森の奥へ進んでいく。


 しばらくして――。


 俺は足を止めた。


 湿った土に、新しい足跡が残っている。


 さっきまでのものより、輪郭がはっきりしていた。


 近い。


 片手を上げる。


 二人もすぐに止まった。


 ――パキッ。


 右前方で枝が折れた。


 レンの顔から笑みが消える。


 ルシオンが杖を握った。


 俺も剣の柄へ手を掛ける。


 姿はまだ見えない。


 だが――いる。


 耳を澄ます。


 風が葉を揺らす音。


 鳥の鳴き声。


 その中に、低い唸り声が混じっていた。


「……いた」


 声を落とす。


 木々の隙間。


 灰色の影がゆっくりと動いた。


 一匹。


 普通の狼より一回り大きい。


 灰色の毛に覆われた身体。


 口元から鋭い牙が覗いている。


 グレイウルフだ。


 地面に鼻を近づけ、辺りの臭いを嗅いでいる。


 まだこっちには気づいていない。


 俺はすぐには動かなかった。


 一匹見つけたからって、そいつだけ見て飛び出すのは馬鹿のやることだ。


 木の陰。


 茂み。


 倒木の向こう。


 目だけを動かして探す。


 ――いた。


 少し離れた木の根元。


 二匹目。


 さらに奥の茂みから、灰色の尾が見えた。


 三匹目。


 俺はそこで動かなかった。


 耳を澄ます。


 他の足音はない。


 風はこちらへ吹いている。


 鼻を利かせるが、近くから漂ってくる強い獣臭も、この三匹のものに思えた。


 少なくとも――今すぐ近くにいるのは三匹。


 そう判断する。


 俺は指を三本立てた。


 ルシオンが小さく頷く。


 レンも一匹ずつ位置を確認する。


 俺は二人を手招きし、ゆっくり後ろへ下がった。


 十分に距離を取ってから口を開く。


「今見えてるのは三匹だ」


「今見えてる?」


 レンが聞く。


「ああ。まだ他にいる可能性はある」


「さっきの足跡?」


「ああ」


「ただ、近くに別の気配はねぇ」


 ルシオンが小声で尋ねる。


「どうしますか?」


「仕掛ける」


 地面に指で簡単な位置を描く。


「俺とレンが前。ルシオンは後ろだ」


「分かりました」


「ただ、まだ撃つな」


「なぜです?」


「外して散られたら面倒だ。森ん中を走り回られたら厄介だからな」


「なるほど」


「俺が合図したら撃て。確実に当てろ」


「分かりました」


 俺はレンを見る。


「レン」


「うん」


「狼型は一匹に気を取られてると、横や後ろから来る。目の前の奴だけ見るなよ」


「分かった」


「それと、深追いするな。逃げても追うなよ」


「さっきも聞いた」


「大事だから言ってんだよ」


「僕、そんなに忘れっぽく見える?」


「そうじゃねぇ。魔物相手じゃ何が起きるか分からねぇから言ってんだ」


 レンは少しだけ俺を見る。


「ランド、心配性?」


「狩りじゃ慎重って言うんだよ」


「なるほど」


「本当に分かってんだろうな?」


「やっぱり心配性」


「うるせぇ!」


「静かにしてください」


 ルシオンに怒られた。


「……悪い」


「ランドが一番見つかりそう」


「誰のせいだよ」


「ランド」


「お前のせいだ!」


「静かに」


「お前な……」


 レンが小さく笑った。


 俺は気を取り直す。


「とにかく離れすぎるな。俺たちがバラけたら、向こうの思う壺だ」


「うん」


「よし」


 剣を抜く。


「行くぞ」


 二人が頷いた。


 俺が先に茂みから出る。


 グレイウルフが顔を上げた。


 目が合う。


「グルルルル……」


 低い唸り声。


 一匹が牙を剥く。


 二匹目も身体を低くした。


 三匹目は――ゆっくりと横へ動き始める。


 やっぱりだ。


 正面から三匹まとめて来る気はない。


「レン」


「見えてる」


 レンも腰を落とした。


 両手を軽く開き、足を前後にずらす。


 さっき俺と手合わせした時と同じ構え。


 だが、目つきが違う。


 正面の一匹だけじゃない。


 横へ回り込む一匹。


 さらに奥にいるもう一匹。


 三匹すべてを視界に入れている。


 初めて戦う相手だってのに、落ち着いてやがる。


「ルシオン」


「はい」


「まだだ」


 グレイウルフとの距離が縮まる。


 一歩。


 また一歩。


 俺も動かない。


 焦るな。


 確実に当てられるところまで――。


「ガァッ!」


 来た。


 正面の一匹が地面を蹴った。


 一気に間合いを詰め、俺へ飛びかかってくる。


 ギリギリまで引きつける。


「今だ!」


「《火球》!」


 後ろから火の玉が飛んだ。


 同時に俺は横へ跳ぶ。


 空中では急に進路を変えられない。


 俺が避けたことで、その先には――。


 ルシオンの火球。


 ――ドンッ!


「ギャウンッ!」


 火球がグレイウルフの胴体へ直撃した。


 地面へ叩きつけられ、焦げた毛を散らしながら転がる。


 だが――。


「まだだ!」


 よろめきながら立ち上がる。


 やっぱり頑丈だ。


「ランド、右!」


「分かってる!」


 二匹目が来る。


 横から一気に飛び込んできた。


 俺が剣を向けるより早く、レンが前へ出る。


「レン!」


 グレイウルフが牙を剥く。


 レンは動かない。


 まだ。


 まだ――。


 牙が喉元へ届く寸前。


 レンの身体が半歩ずれた。


 噛みつきが空を切る。


 同時にレンの片手が首元へ触れ、その勢いを横へ流す。


 身体を捻る。


 ――ゴッ!


 反対の拳が顎を打ち抜いた。


「ギャンッ!」


 グレイウルフの身体が横へ流れる。


 そこへレンが踏み込んだ。


 脇腹へ蹴りを叩き込む。


 ――ドッ!


 グレイウルフが地面を転がった。


「……すげぇ」


 力任せじゃない。


 あいつ、自分からほとんど正面衝突してねぇ。


 相手の力を外して、崩れたところだけを打ってる。


 あれが理心流か。


「ランド」


「あ?」


「奥の奴」


 俺もすぐに視線を戻す。


 奥にいた一匹がいない。


 さっきまで右へ回り込んでいた。


 なら――。


「ルシオン! 後ろだ!」


「っ!」


 ルシオンが振り返る。


 同時に茂みが弾けた。


 三匹目のグレイウルフが飛び出す。


 狙っていたのは俺でもレンでもない。


 後ろにいるルシオンだ。


 ルシオンが杖を向ける。


 だが、近い。


 グレイウルフが地面を蹴った。


「ルシオン!」


 俺が走り出す。


 だが、それより早く――。


 レンが動いた。


 一気にルシオンとの間へ滑り込む。


 グレイウルフがそのままレンへ飛びかかった。


 レンは半身になる。


 牙を紙一重でかわす。


 その瞬間、伸びてきた前脚へ両手を添えた。


 力で止めたわけじゃない。


 飛びかかってきた勢いをそのまま利用し、自分の身体を回す。


 進む方向だけを変える。


「ふっ!」


 ――ドンッ!


「ギャンッ!」


 グレイウルフは自分の勢いのまま、背中から地面へ叩きつけられた。


「……!」


 一瞬だった。


 あれだけ大きな身体を、レンはほとんど力比べすることなく転がした。


『強い技を使うな。一番効く技を使え』


 さっき聞いた言葉が頭をよぎる。


 なるほど。


 これが理心流か。


「今!」


「はい!」


 ルシオンが杖を向ける。


「《氷結》!」


 冷気が地面を走った。


 起き上がろうとしたグレイウルフの前脚へ絡みつく。


 パキパキッ。


 足元が凍りついた。


「ギャウッ!」


 グレイウルフがもがく。


「ランド!」


「任せろ!」


 俺が踏み込む。


 剣を振り上げ――。


 一気に首筋へ振り下ろした。


「ギャッ――!」


 刃が深く食い込む。


 グレイウルフの身体から力が抜けた。


「一匹!」


「後ろ!」


 ルシオンの声。


 振り返る。


 最初に火球を食らった奴だ。


 焦げた毛を逆立てながら、こっちへ突っ込んでくる。


「しぶてぇな!」


 剣を構える。


 グレイウルフが飛んだ。


 牙をかわす。


 すぐに前脚が飛んでくる。


 それも身体を沈めて避ける。


 すれ違いざま――。


「おらぁっ!」


 剣を横へ振り抜く。


 首筋を斬り裂いた。


 グレイウルフが地面へ転がる。


 今度は動かない。


「二匹!」


 残りは――。


「ランド」


 レンが声を落とした。


 レンに蹴り飛ばされたグレイウルフが立ち上がっている。


 だが、襲ってこない。


 低く唸りながら、ゆっくりと後ろへ下がっていた。


「逃げるんでしょうか?」


 ルシオンが杖を向ける。


「……待て」


 何かがおかしい。


 仲間を二匹殺された。


 逃げるなら、もっと一気に距離を取るはずだ。


 なのに、こいつは俺たちから目を逸らさない。


 牙を剥いたまま。


 一歩。


 また一歩。


 ゆっくり後ろへ下がっていく。


 まるで――。


「ランド」


 レンが森の奥を見る。


「何かいる」


「ああ」


 俺にも聞こえた。


 ガサッ。


 左の茂み。


 続いて――。


 ガサガサッ。


 右。


 さらに奥でも枝が揺れる。


「……おいおい」


 木々の隙間から、灰色の影が一つ現れた。


 さらに一つ。


 その奥にも。


「まだ……いる?」


 ルシオンの声が強張る。


 俺は森の奥へ目を凝らした。


 頭に浮かんだのは、森へ入る前に見つけた足跡。


 あちこちに残っていた、いくつもの痕跡。


『何匹かいる?』


『まだ分からねぇ。同じ奴が何度も通ったかもしれねぇだろ』


 ――違った。


「……そういうことか」


「何が?」


 レンが聞く。


「さっきの三匹だ」


 俺は剣を握り直す。


「あいつらだけで群れだったんじゃねぇ」


「どういうことです?」


「もっと大きな群れの外側にいた奴らだ」


 ルシオンの表情が変わる。


「見張り……ですか?」


「そこまでは分からねぇ」


 茂みから、また一匹。


 その後ろからもう一匹。


「だが、本隊はもっと奥にいた」


 レンが周囲を見渡す。


「じゃあ、あの足跡は?」


「あれも同じ奴が何度も通ったんじゃなかった」


 右に三匹。


 左に二匹。


 正面にもいる。


 さらに木々の奥でも、灰色の影が動いている。


「あれだけの数が、本当にいたんだ」


 ルシオンの顔が引きつった。


「何匹いるんですか……?」


「知るかよ」


 見えているだけでも、依頼書に書かれていた討伐数を超えている。


 最初の三匹なんて――群れのほんの一部だった。


 レンが拳を構えながら尋ねる。


「ランド」


「なんだ?」


「五匹までじゃなかった?」


「……ああ」


 今回の依頼は、三頭以上五頭まで。


「じゃあ、それ以上は倒しちゃ駄目?」


「向こうから来なきゃな」


 俺は周囲を囲むグレイウルフを見る。


「だが、今は俺たちが囲まれてる」


「襲ってきたら?」


「そん時は自分の命が先だ」


「全部倒していい?」


「生き残るために必要ならな!」


「分かった」


 レンが小さく頷く。


「依頼料、増える?」


「今それ気にするところか!?」


「大事だよ。ご飯がいっぱい食べられる」


「生きて帰ってから考えろ!」


「それもそうだね」


「相変わらず落ち着いてますね、君は……」


 ルシオンも杖を構え直す。


 俺は二人を見る。


「離れるなよ」


「はい」


「うん」


 三人で背中を預ける。


 木々の間から、次々と灰色の影が姿を現した。


「グルルルルル……」


 低い唸り声が重なる。


 俺は剣を握る手に力を込めた。


 こいつは――。


 思ってたより、ずっと面倒な依頼になりそうだ。

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