八章 キュンキュンご飯♡
「アナッ!……は、そうだ!ヤツは愚か者だから迷子になったんだったな」
ならば——
アタシが考えるのじゃ!
ご飯?
女はご飯でキュンキュンする。
「どこだ。備え付けのBANREI……あれか」
よし……待ってろ?ひより!
「パンと、一番美味しいバターと杏ジャムと卵を大至急もって来るのじゃ」
ひよりは顔をあげた。
「ノアールさん!?」
「大丈夫、大丈夫じゃ」
五分後。
ホテルのいつもご飯を持ってくるアンドロイドが、食材を運んできた。
「ひより、待っておれ」
「今からアタシがキュンキュンご飯を作ってやろう」
「これで、困った目をして、服を……」
「ではない!ひよりはニコニコなんだ!」
「まずは、ヌルヌルした液体をな、入れて」
ドバドバドバドバ。
「火力ぜんかーーーい♪」
「パンを、こん中に入れて」
バンッ!
「その間に卵さんを、バチャー♪」
「そして水を――」
ジョボボボボッ。
「ノアールさん!」
ひよりが慌てて駆け寄る。
ほほう。ひより!
もうキュンキュンしたのか。
流石はキュンキュンごは——
バチバチバチッ!
パァァァンッ!
「キャハ♪キュンキュン爆破♡」
「ノアールさん、蓋!」
「えっ?蓋?それか♪」
ひよりは火を弱め、慣れた手つきでフライパンへ蓋をした。
そしてひよりは、小さく息をついた。
「火は……全開じゃなくていいんですっ!」
「なんと♪」
「弱火です」
そう言うと、コンロの火力をゆっくり落とす。
「ぬ?こんな弱くてキュンキュン焼けるのか?」
「焼けますよ」
ひよりはフライパンを軽く揺らした。
「料理って、急がせるものじゃないんです」
「待つんです」
その言葉に、ノアールの肩がぴくりと動く。
(待つ……?)
アナも、同じことを言っておったな。
ひよりは卵を手に取る。
「まずは、ここを軽く当てて」
コン。
「うん」
「それから親指で……」
ぱかっ。
黄身を崩さず、卵が静かに広がっていく。
「おおっ!?」
ノアールは身を乗り出した。
「魔法じゃな!」
「魔法じゃありません」
ひよりは少しだけ笑った。
(笑った?ニコニコ?)
「はい、ノアールさんも」
「任せろ!」
コンッ!
バキッ!
ぐしゃっ。
「ぬあっ!」
殻ごとフライパンへ落ちた。
「違ったか!?」
「ふふっ」
ひよりが声を出して笑う。
「もう一回やってみましょう」
「次は力を入れすぎないで」
「……力を?」
「少しだけ」
ノアールは真剣な顔で頷いた。
「擬態より難しいぞ?」
「お料理ですから♪」
「そういうものなのか?」
ひよりは木べらで白身をそっと寄せる。
「焦らなくても、ちゃんと固まります」
「料理は、待ってあげることも大事なんです」
ノアールは焼けていく目玉焼きを見つめた。
(待つ……)
(料理も)
(エッチなことも)
(待つのか)
「むぅ……」
「天才というのも、なかなか大変じゃの」
ひよりは、小さく吹き出した。
「ノアールさんって、本当に面白い人ですね」
ん?笑った?天国に、イってないのに?
いや、あの笑顔とは違う。
ひよりがアタシを見ているっ?
——スッ
思わず目をそむけてしまった。
「さぁ食べるのだ……」
お皿に目玉焼きとパンを乗せて、テーブルに運んだ。
テーブルには、少し形の崩れた目玉焼きと、こんがり焼けたパンが並んだ。
黄身は端へ寄り、白身はところどころ薄く伸びている。
見栄えだけなら、アタシの擬態作品とは比べものにならんな。
だが。
「ふっふっふっ♪」
ノアールはパンを一枚手に取ると、バターをたっぷり塗った。
その上から杏ジャムを、さらに分厚く重ねていく。
ぬりぬり。 ぬりぬり。 まだ足りん。
「ノアールさん、それ……少し多くないですか?」
「なにを言う」
「キュンキュンは量に比例するのじゃ」
杏色のジャムが、パンの縁から今にも垂れ落ちそうになっている。
「完成じゃ♪」
ノアールは胸を張り、パンをひよりへ差し出した。
「これが、天才ノアール特製――キュンキュンご飯じゃ!」
「ご飯というより、パンですけど……」
ひよりは少し驚いた顔で受け取った。
ジャムの厚みを横から確認し、困ったように笑う。
「いただきます」
小さく一口かじる。
ノアールは身を乗り出した。
「どうじゃ?」
「キュンキュンしたか?」
「服を脱ぎたくなったか♪」
「なりません」
「なんじゃと!?」
ひよりはもう一口食べた。
それから、今度ははっきりと笑った。
「でも、美味しいです」
「……」
「バターと杏ジャム、合うんですね」
「ノアールさんが作ってくれたから、余計に美味しいのかもしれませんね」
その笑顔が、まっすぐアタシへ向けられている。
まただ。 さっきと同じ。
ひよりが、アタシを見て笑っている。
「そ、そうじゃろ?」 「天才だからな!」
ノアールは慌てて、自分のパンへジャムを塗り始めた。
今度は、さっきよりちょっと……少なめに。
——————
ひよりは、パンをもう一口かじった。
「……羨ましいんだと思います……」
「ん?」
「ノアールさんみたいな人」
ノアールは首を傾げる。
「アタシ?」
「はい」
ひよりは目玉焼きを見つめた。
「自分を信じられる人って、素敵だなって思うんです」
「私は……」
少しだけひよりは笑った。
「誰かに見られるだけで緊張してしまいます」
「話す時も」
「店員をしていても」
「"変に思われたらどうしよう"って、先に考えてしまって」
「だから、気付くと……何もできなくなっているんです」
ノアールはそれを聞くと、いきなり立ち上がり、ひよりを床に押し倒した。
驚いて目を丸くしてひよりはノアールを見ている。
ノアールはひよりにくちびるをそっと重ねた。




