七章 笑顔が見たいのだ!
ひより!
振り返る。
ひよりと目が合った。
ひよりは何も言わない。
静かにドアへ歩き、
カチャ。
部屋を出ていってしまった。
ハマキングが深いため息をつく。
「だから呼ぶなって……」
「黙れ!ハマキング!」
しまった。いつもの癖で。
ひよりがいる。今日は。
作品が……
私の作品だから。
ハマキングは両手を広げ肩竦めている。
「ノアール……様、私をどうか……一度」
あー鬱陶しいのじゃ!
「今は己を相手にしている暇はないのじゃ!」
ひよりが帰ってしまった。
やってしまった。
どうしよう。どうする?
……。
「アナッ!」
『なに』
「今のなしにできんか?」
『人生リセットボタンはありません』
「死に戻りは?」
『はっ?なし!』
「なんか、都合よくやり直せるのだぞ」
『誰かに怒られますよ』
「そうか、あれはないのか」
……。
「ハマキング!」
「なんだ」
「タイムマシン作れ」
「無理だ」
「青くて丸い、得体のしれないロボットがいるはずだ!」
「アタシは、なんかの動画で見た!」
「そいつが、タイムマシーンを持っている」
「無理だ!」
「机から……」
「それ以上喋るな!消されるぞ!」
「そう……無理だ!」
まずい。まずいぞ。天才ノアール。
人生最大のピンチだ。
殺す!
誰を?
アタシだ!
……だから会う!
まずは、ひよりを追わねば。
「おいっ!このままかよ?」
「うるさい、チェロ!」
アタシは……
私は……
ん?
どっちだっけ?
◇
どこだ!
ひより……
家?
わからん。
おっ♪
ひよりが五百メートルくらい先にいる。
あれはひよりに違いない。
ひよりは難しい本ばかり読んでいて、ちっとも運動しないから、足は遅いのじゃ!
勝てるぞ〜♪
違う。追いつく♪
「つっかまえるぞー!ひより〜♪」
全力でひよりに走っていくのじゃ!
あと、百メートル……
五十メートル……
「つっかまーえた♪」
「うわぁっ」
ひよりと一緒に倒れてしまった。
すまん!
怪我は?
ひよりを見なくては。
まずは服を……
違う!
怪我だ!? 怪我を見るのだ!
「!?」
ひよりが、泣きそう?
痛かったのか。
すまん……
ひよりが泣いてしまう。
ハマキングだ!
違う!すぐ呼べない。
ジジィは、全員、歩行困難の要介護認定者だ。
そう!
こんな時こそ、クソうるさい『アナ』を呼んで、泣き止む方法を聞くべきであり、それが天才のするべきことなのだ。
「はっ……!?」
「ない……」
なにやってんだ。アナめ!
普通、こんな緊急事態ならジェットエンジンかなにかで、ここに二秒後、飛んで来るのが、BANREIじゃろ。
「ノアールさん……」
「!?」
ヤバい。どうする。
泣く!?
「ノアールさんっ!」
「えっ……」
だき……つかれた……?
「——ひ、ひより?」
「自分の……自分の気持ちが、わかりません!」
「私、私!どうしたらいいか……」
泣いた。
違うぞ。
泣かせた……
カワイイひよりを?
アタシが?
誰だ!?ひよりを泣かせる悪い子は!?
アタシだ!
「ひより……ごっ……ごめん……なさい……」
二人とも、しばらく何も言えなかった。
行き交う人だけが、二人の横を通り過ぎていく。
「ーーここじゃ、話せんのじゃ……」
「アタシの部屋に行くのだ……」
ひよりは俯、なにも言わなかった。
◇
「……私」
ひよりは、ベッドの膝の上で指を組んだまま、しばらく黙っていた。
「さっき、あの場から離れた理由を……うまく説明できない……です……」
「ノアールさんを見ていると……」
(見なくてもよいぞ。襲いたくなる)
「……」
(違う。聞くのだ!)
「ときどき、自分の中に、まだ名前のない感情が生まれるんです」
「それが、憧れなのか」
「ただ、眩しさに目を奪われているだけなのか」 「それとも、私が知らなかった自分に出会ってしまったのか」
それを聞いたアタシは、徐に服を脱ぎ、丸まっているひよりを、コロンとひっくり返して、馬乗りになった。
(心配すんな、全部上手くいく )
そう言って、ひよりのパンティを強引に……
違うぞ。
——脱がさない。
パンティは、履かせておくのだ。
ひよりは、言葉を選ぶようにゆっくり続ける。
「さっきも、胸の奥が急にざわついて」
「呼吸の仕方まで分からなくなって」
「そこにいることが、ひどく不自然に思えてしまって……」
「……」
なるほど。
つまり……
全然わからん。
本ばかり読んでいるひよりの言葉がわからん。
しかし天才は、ここで質問してはいかんのだ。
聞け。
聞くのじゃ。
「あとで、少しだけ考えたんです」
「あのキスも……恋人にするようなものじゃなくて」
「ノアールさんにとっては、完成した作品に触れるような意味だったのかなって」
そうなのだ!
アタシが言いたいことは、そういうことなのだ。
流石、ひよりだ!
天才をわかっておる!
だから、ひよりと一つになりたい……
ん?
わかって……おる?
アタシを?
「でも、ノアールさんが悪いわけじゃありません」
「むしろ……私の中で、まだ言葉になっていない感情が、少しずつ形になっている気がするんです」
ひよりは、困ったように少し笑っている。
ひよりは……アタシをわかっておる?
天国にまだ誘ってあげていないのに?
……。
わかる?
アタシを?
「自分のことなのに、自分自身を読み違えている気がするんです」
「今まで、そういうことで悩んだことがなかったから」
「だから……少し、怖くなりました」
怖い?
それは、抱きしめて、チューして……
違う。
ここはエロいことをしても、ひよりの笑顔はきっと見れないのだ。
アタシは笑顔のひよりを辱めて、困った顔のひよりにチューしたいのじゃ。
今のひよりは笑顔じゃない。
話はわかった!
「たぶん私は、その感情に名前を与えてしまった瞬間、もう今までの私には戻れない気がするんです」
おわっ!
なぜだ?
ひよりが、涙を浮かべているぞ。
また、泣いてしまう!
どうしよ、どうしよ、どうしよ!
ひよりの話は三パーセントくらいしかわからんかったが、天才だから、泣かせてはいけない。
これは確かなんだ。
どうするアタシ!




