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追放王子の放浪記 ―灯りを守る旅―  作者: 伊佐波瑞樹


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【第97話 記録所へ向かう道】


 ヘルマン副記録官の筆は、静かに紙の上を進んだ。


 見張り塔の詰所には、しばらく誰も大きな声を出さなかった。


 石壁の外では山風が鳴っている。


 兵たちが外壁を歩く足音。


 遠くで鳥が鳴く声。


 塔の旗が風を受けてはためく音。


 それらが、紙へ落ちる筆音の隙間に入り込んでは消えていく。


 机の上には、白紐の包みが置かれていた。


 ハルダ村の証言。


 グレイルの帳簿写しと並ぶ、次へ繋がる声。


 ヘルマンはそれに触れる前に、まず目で見た。


 白紐の結び目。


 油紙の折り目。


 ミレ婆が渡した布の端。


 山道でついたわずかな泥。


 それらを一つずつ確認し、レクスターの記録と照らし合わせる。


「白紐、結び目右巻き。外側油紙、擦過痕二箇所。破れなし。湿気なし。包み布、古布。焦げ臭なし。泥付着、下辺に少量」


 ヘルマンが読み上げる。


 隣の若い記録補佐が、別紙へ写す。


 レクスターはその向かいで、自分の記録紙と照合していた。


「一致します」


 彼は短く言った。


 ヘルマンは顔を上げる。


「あなたの記録は、山道を越えた後にしては整っています」


「必要でしたので」


「必要を理解している者の記録です」


 マーガレットが小声でアレックスに言った。


「褒めてるよね」


「ああ」


「レクスター、嬉しそう?」


 レクスターの表情はほとんど変わっていない。


 だが、筆を持つ指がほんのわずかに止まっていた。


「たぶん」


 アレックスが答えると、マーガレットは少し笑った。


 ヘルマンは続ける。


「見張り塔第七塔における外形確認、完了。封は未開封。内容確認は領都記録所本室にて、保管庫管理者、領主代理、記録所副記録官、持参者側記録役立会いのもと行う」


 ルド隊長が頷く。


「護送は?」


「即時開始します」


 ヘルマンはためらわず言った。


 塔の空気が少し動いた。


 マーガレットが驚く。


「今から?」


「当然です」


 ヘルマンは眼鏡の奥で彼女を見る。


「この塔は見張り塔であり、証拠保管庫ではありません。追跡者が確認され、火油の使用可能性もある。ここに長く置くほど危険が増します」


 レクスターが静かに頷く。


「同意します」


「ただし、護送記録を整えます。塔から領都記録所までの持参経路、護衛人数、証人の拘束状況、武器返却の有無、すべて記録します」


 マーガレットは少し圧倒されたように呟いた。


「すごい……」


 ヘルマンは淡々と言う。


「すごくありません。記録とはそういうものです」


 レクスターが小さく頷いた。


「はい」


 マーガレットはアレックスを見た。


「レクスターが二人いる」


 アレックスは笑いをこらえた。


 ヨルムが壁際で鼻を鳴らす。


「だから紙虫は面倒だと言ったろう」


 ヘルマンはヨルムを一瞥する。


「あなたの炭納入記録の不備に比べれば、これは単純です」


「何十年前の話をする」


「記録は残っています」


「嫌な男だ」


「記録は忘れません」


 その言葉に、アレックスは少しだけ息を止めた。


 記録は忘れない。


 それは、今の彼らにとって、ただの事務的な言葉ではなかった。


 ハルダ村が消されそうになった。


 グレイルの子どもたちが番号にされそうになった。


 名前が消され、署名が偽造され、畑が数字にされ、避難する人々の反応まで記録として奪われようとした。


 だからこそ、正しい記録が必要だった。


 忘れない記録。


 名前を残す記録。


 声を消させない記録。


 ヘルマンの言葉は冷たく硬い。


 けれど、その硬さが今は頼もしかった。


 護送準備が始まった。


 まず、武器の扱いが決められた。


 見張り塔内では預けていたが、領都までの山道と下り道には、追手の危険が残る。


 完全に武器を預けたままでは護送対象を守れない。


 ルド隊長は少し考えた後、記録板を手に言った。


「塔外に出た後、護送隊同行中に限り武器を返却する。ただし、ベルク兵の指示に従うこと。記録所到着時に再預かり」


 レクスターが頷く。


「妥当です」


 マーガレットがほっとした顔をする。


「ハルバード戻る」


「塔内では振り回すな」


 ヨルムが言う。


「振り回しません!」


「声がでかい」


「すみません」


 ルド隊長が記録する。


「アレックスへ雷の刃返却。マーガレットへハルバード返却。レクスターの水の本は保持継続。使用条件、護衛目的に限定」


 ヘルマンがそれを聞きながら補足した。


「護送中に武器使用があった場合、使用理由と相手の状況を記録すること」


 マーガレットが目を丸くする。


「戦いながら記録?」


「生き残った後で結構です」


「それなら……」


 レクスターが静かに言う。


「私が記録します」


 マーガレットがすぐ反応した。


「でも、レクスター疲れてる」


「必要です」


「休憩は?」


「護送中に適宜」


「それ信用できないやつ」


 ヘルマンがレクスターを見る。


「あなたは疲労していますね」


「多少」


「多少ではありません」


 レクスターが少しだけ黙った。


 ヘルマンは若い補佐に指示する。


「補佐官ミル、護送中の記録補助に入る。レクスター殿の記録と照合する形にしなさい」


 若い補佐官ミルは、緊張した顔で頷いた。


「はい」


 レクスターは少し驚いたようにヘルマンを見る。


「助かります」


「記録役が倒れると記録が乱れます」


「……その通りです」


 マーガレットが嬉しそうに言う。


「よかったね、レクスター」


「はい」


 サヴィルの扱いも決められた。


 彼は証人であり、拘束者であり、商会に狙われる対象でもある。


 逃がすわけにはいかない。


 しかし、殺されても困る。


 護送の中で最も扱いが難しい存在だった。


 ルド隊長が言う。


「サヴィルは中央。前後をベルク兵で挟む。アレックス殿が主拘束縄を持つ必要はない」


 アレックスはサヴィルを見た。


 山道では自分が縄を持っていた。


 だが、ここからはベルク領の保護下に入る。


 証人として正式に扱うなら、領兵へ引き渡すのが筋だった。


「分かりました」


 サヴィルが少しだけ眉を上げる。


「縄を持つ相手が変わるのか」


 マーガレットが睨む。


「文句あるの?」


「いや」


 サヴィルは壁にもたれたまま、疲れた声で言った。


「少し、変な気分だと思っただけだ」


「変?」


「山では、彼に繋がれている方が安全だった」


 アレックスは目を細めた。


 サヴィルは自嘲気味に笑う。


「皮肉だろう。私を捕らえた相手の縄が、一番生き延びる可能性をくれた」


 マーガレットは何も言えなかった。


 ルド隊長が短く言う。


「ここからはベルク領が証人の安全を保証する。逃走すれば即座に再拘束。追手が接近すれば防護対象とする」


 サヴィルは頷いた。


「了解した」


 ヘルマンが記録する。


「拘束証人サヴィル、ベルク領護送管理へ移行。逃走防止拘束維持。証言保全のため防護対象とする」


 防護対象。


 その言葉を聞いて、サヴィルは一瞬目を閉じた。


 商会では処理対象だった。


 ベルク領では防護対象になった。


 その違いは、彼にどう響いたのか。


 アレックスには分からなかった。


 だが、サヴィルの顔からいつもの薄い笑みは消えていた。


 出発前、ヘルマンはもう一度白紐の包みを確認し、専用の保管箱に入れた。


 ただし、その箱は密封せず、持参者側が確認できるように透明な油紙窓がついている。


 レクスターがそれを見て、少し目を見開いた。


「携行証拠箱ですか」


「はい」


 ヘルマンが答える。


「雨、泥、火の粉から封を守り、かつ持参者側が外形確認できるものです。領境記録所備品として二箱あります」


 マーガレットが感心する。


「ベルク領、すごい」


「普通です」


 ヘルマンが言う。


 レクスターが静かに首を横に振る。


「普通ではありません。非常に優れています」


 ヘルマンは、ほんの少しだけ眉を動かした。


「……記録所では普通です」


 マーガレットが小声で言う。


「照れた?」


「おそらく」


 レクスターが答えた。


 ヘルマンは聞こえていたのか、いなかったのか、咳払いをした。


 白紐の包みは携行証拠箱へ入れられた。


 箱はヘルマンの補佐ミルが持つ。


 その左右にベルク兵。


 アレックスたちはそのすぐ近くを歩くことが許された。


 本物の証拠が、初めて自分たち以外の手に渡った。


 アレックスの胸が少しざわつく。


 手放す不安。


 だが、見える場所にある。


 記録されている。


 護衛もいる。


 これは、託すということだ。


 ハルダ村でカイが学んだように。


 自分たちも、声を一人で抱え続けるのではなく、正しく託していく必要がある。


 アレックスは、証拠箱を見つめながら小さく息を吐いた。


 マーガレットが隣に来る。


「不安?」


「ああ」


「私も」


「でも、必要だ」


「うん」


 彼女は証拠箱を見て、少しだけ笑った。


「カイなら、ちゃんと持てよって言いそう」


「ああ。濡らすな、取られるな、忘れるな」


「言いそう」


 レクスターも近づき、静かに言った。


「外形確認は私も継続します。異変があればすぐ指摘します」


「頼む」


「はい」


 塔の外へ出ると、空は高くなっていた。


 朝から昼へ向かう光が、山の斜面を明るく照らしている。


 見張り塔の緑の旗が風に鳴っている。


 森の奥にはまだ不穏な影がある。


 だが、塔の前にはベルク兵が並んでいた。


 護送隊は小規模だった。


 ルド隊長を含む兵四名。


 ヘルマン副記録官。


 補佐官ミル。


 アレックス、マーガレット、レクスター。


 拘束証人サヴィル。


 案内役としてヨルム。


 全部で十数名。


 多くはない。


 しかし、記録と護衛の両方を備えた隊だった。


 ルド隊長が全員へ告げる。


「領都記録所まで半日。山道を下り、石橋を渡り、北門から入る。途中、二箇所で休憩。追手が確認された場合、証拠箱と証人を中央に置き、防御陣形を取る。深追いはしない」


 ヘルマンが補足する。


「証拠箱が落下、濡れ、破損した場合、即時停止。状態記録を取る。勝手に拭かない。勝手に開けない」


 マーガレットが真剣に頷く。


「勝手に拭かない」


 レクスターが続ける。


「火油が確認された場合、水ではなく砂または土で覆う」


 ルド隊長が頷く。


「砂袋は持った」


 ヨルムが鼻を鳴らす。


「ようやく全員、山の歩き方を少し覚えたな」


「ヨルム爺さんのおかげです」


 マーガレットが言う。


「爺と呼ぶな」


「でも、みんな呼んでます」


「だから腹が立つ」


 少しだけ笑いが生まれた。


 その笑いの中で、隊は歩き出した。


 見張り塔を背に、ベルク領の山道を下る。


 ハルダ村から続いた山越えとは違い、道は少し整っていた。


 石が並べられ、ところどころに木杭が打たれている。


 火見道ほど急ではない。


 だが、油断すれば滑る。


 アレックスは、証拠箱と周囲を交互に見ながら歩いた。


 マーガレットはハルバードを背負い、まだ偽包みも持っている。


 レクスターはミル補佐官と並び、記録の取り方を確認していた。


「移動中の記録は、時刻、地点、異常の有無、証拠箱状態、証人状態を簡潔に」


 レクスターが説明する。


 ミルは緊張しながら頷く。


「はい。レクスター殿、地点名が不明な場合は」


「地形特徴で記録します。例、石橋手前の二本杉、など」


「分かりました」


 ヘルマンが後ろから言う。


「ミル、聞く相手を間違えるな。彼は我々の職員ではない」


「す、すみません」


 レクスターは静かに答えた。


「情報共有は有効です」


 ヘルマンは少しだけ沈黙した。


「……それはそうです」


 マーガレットがまた小声で言う。


「やっぱり似てる」


 アレックスは笑った。


 山道を下る途中、一度だけ森の奥から鳥笛が聞こえた。


 三回。


 遠い。


 だが、確かに追手の合図だった。


 護送隊が即座に止まる。


 ルド隊長が手を上げる。


「中央を固めろ」


 ベルク兵が証拠箱とサヴィルを囲む。


 アレックスは雷の刃を抜きかけ、周囲を探る。


 マーガレットはハルバードを構える。


 レクスターは水の本を開く。


 ヨルムは耳を澄ませた。


「遠い。こちらを見つけたわけではない」


 ルド隊長が問う。


「追っているか」


「探している。だが、道を外れている」


 ヘルマンが即座に記録する。


「鳥笛一回確認。距離遠。進行停止。証拠箱異常なし」


 ミルが慌てて書く。


 レクスターが小さく頷いた。


「良い記録です」


 ミルの顔が少し明るくなった。


 ヘルマンが咳払いする。


「続けなさい」


「はい」


 サヴィルは、防御陣形の中央でじっとしていた。


 顔は青い。


 鳥笛が鳴るたびに、彼の肩がわずかに揺れる。


 マーガレットはそれを見てしまった。


「怖い?」


 彼女が聞くと、サヴィルは少し驚いた顔をした。


「……ああ」


「正直」


「最近、それしか残っていない」


 マーガレットは少し黙った。


「ハルダの人たちも、ずっと怖かった」


「……ああ」


「それだけは、覚えてて」


 サヴィルは目を伏せた。


「覚えている」


「記録に残らなくても」


「残る」


 サヴィルは小さく言った。


「君たちが残すだろう」


 マーガレットは何も返せなかった。


 鳥笛はそれ以上近づかなかった。


 ヨルムの判断で、隊は再び歩き始める。


 山道は少しずつ開け、遠くに谷が見えてきた。


 その向こうに、石橋がある。


 ベルク領へ入るための古い橋。


 橋の先には、木柵と小さな番所。


 そしてさらに遠く、灰色の屋根が集まる町が見えた。


 領都ではない。


 記録所のある町の外縁だろう。


 だが、人の気配がある。


 煙突から立つ白い煙。


 畑。


 石垣。


 馬の鳴き声。


 ハルダ村の黒い畑とは違う、普通の暮らしの景色。


 マーガレットは足を止めそうになった。


「町……」


 アレックスも見た。


 胸が少し痛む。


 普通の畑。


 普通の煙。


 普通の水路。


 それがどれほど大切か、ハルダ村を見た後では痛いほど分かる。


 レクスターが静かに言う。


「ここも守る対象になります」


「うん」


 アレックスは頷いた。


 ハルダ村の声を届けるのは、ハルダ村のためだけではない。


 次の町を同じ目に遭わせないため。


 この普通の煙が、火油の煙に変わらないように。


 この水路が、黒い水に変わらないように。


 そのために、記録所へ行く。


 石橋の手前で、護送隊は一度止まった。


 ヘルマンが証拠箱を確認する。


「異常なし」


 ミルが記録する。


 ルド隊長が周囲を確認する。


「橋を渡る。隊列を崩すな」


 その時、ヨルムがふいに立ち止まった。


 彼は橋ではなく、川の下流を見ている。


 アレックスが問う。


「どうしました」


 ヨルムは低く言った。


「油の匂いがする」


 空気が凍った。


 レクスターがすぐ水の本を開く。


 マーガレットがハルバードを握る。


 ルド隊長が兵へ指示を飛ばす。


「橋の下を確認! 火気警戒!」


 ヘルマンが証拠箱を抱えるミルを後ろへ下げる。


 アレックスは川の方へ雷糸を伸ばした。


 橋の下。


 石の隙間。


 何かがある。


 油布。


 小さな火打ち具。


 そして、細い紐。


 橋を渡る時に足や車輪が引っかかれば、火打ち具が落ち、油布へ火がつく仕掛け。


 ネイグ。


 追手は直接来ていない。


 だが、道に仕掛けを残している。


「罠だ!」


 アレックスが叫ぶ。


 ルド隊長の顔が険しくなる。


「全員停止!」


 護送隊が止まる。


 証拠箱も、サヴィルも無事。


 レクスターが水ではなく土袋を指示する。


「水をかけない! 油布を土で覆ってから火打ち具を外します!」


 マーガレットがすぐ動こうとする。


「私が」


 ヨルムが止める。


「力任せに触るな」


「分かってる!」


「木に聞くんじゃない。今度は石と布に聞け」


「さらに難しい!」


 アレックスは雷糸で火打ち具の金具を固定する。


 レクスターが水糸ではなく、長い枝で油布の位置を確認する。


 ベルク兵が土袋を持ってくる。


 マーガレットは慎重に土袋を持ち上げた。


 力を入れすぎない。


 落とさない。


 油布へ静かに被せる。


 土が布を覆う。


 レクスターが頷く。


「火打ち具、外せます」


 アレックスが雷糸で紐を切らず、ゆっくり緩める。


 火打ち具が石の上に落ちないように受ける。


 金属音を立てずに取り外す。


 全員が息を止めていた。


 数秒が長い。


 やがて、火打ち具は無効化された。


 レクスターが息を吐く。


「解除完了」


 ルド隊長が低く言った。


「橋を狙ったか」


 ヘルマンが記録する。


「石橋下に火油罠。護送隊通過前に発見。油布、火打ち具、起動紐。証拠箱異常なし」


 ミルが震える手で書いている。


 マーガレットが彼を見て言った。


「手、震えてる」


 ミルは顔を赤くする。


「すみません」


「震えてても書けるって、ミレ婆さんが言ってた」


「ミレ婆さん?」


「ハルダ村の人」


 ミルは少しだけ目を見開いた。


 そして、震える手で書き続けた。


「……はい。書きます」


 その返事に、マーガレットは少し笑った。


 アレックスは橋の下の罠を見て、拳を握った。


 ネイグは本気だ。


 証拠箱がベルク領の護送に入っても、まだ狙っている。


 だが、今度は止められた。


 ヨルムが匂いに気づき、レクスターが手順を示し、マーガレットが土袋を置き、アレックスが火打ち具を外し、ベルク兵が護衛し、ヘルマンが記録した。


 ハルダ村で学んだ火への備えが、ここでも生きた。


 声は、守り方ごと山を越えている。


 ルド隊長は、橋の向こうの番所へ合図を送った。


「橋は一時封鎖。別道を使う」


 ヘルマンが眉をひそめる。


「記録所到着が遅れます」


「証拠箱を燃やすよりましです」


「同意します」


 ヨルムが別の道を指した。


「川上に浅瀬がある。遠回りだが、火油を仕掛けにくい」


 アレックスは頷いた。


「行きましょう」


 マーガレットが証拠箱を見る。


「大丈夫。まだ行ける」


 レクスターが記録紙を確認する。


「封も無事です」


 サヴィルは橋の罠を見つめていた。


 顔色がさらに悪い。


「ネイグは、橋ごと燃やす気だったのか」


 アレックスは彼を見る。


「お前も渡る予定だった」


「知っている」


「怖いか」


「……ああ」


 サヴィルは目を伏せた。


「自分が使ってきた方法が、これほど嫌なものだとは思わなかった」


 マーガレットが低く言う。


「遅い」


「そうだな」


「でも、話して」


「ああ」


 護送隊は石橋を避け、川上の浅瀬へ向かって進み始めた。


 遠回りになる。


 だが、証拠は無事だった。


 白紐の包みは、証拠箱の中で封を保っている。


 ハルダ村の声は、まだ守られている。


 アレックスは空を見た。


 昼の光が、川面に揺れている。


 水は黒くない。


 澄んでいる。


 その水音を聞きながら、彼は思った。


 カイ。


 君の声は、まだ進んでいる。


 火にも、煙にも、罠にも、止められていない。


 記録所へ向かう道は遠回りになった。


 けれど、確かに続いている。


 封を守る護送は、また一つ危機を越えた。


 そして、ベルク領の町は少しずつ近づいていた。

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