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追放王子の放浪記 ―灯りを守る旅―  作者: 伊佐波瑞樹


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【第56話 薬師の奥底】



 青白い光の通路は、呼吸をしているようだった。


 床に刻まれた細い線が、脈のように明滅する。


 壁の奥で、液体が流れる音がする。


 ぽこり。


 ぽこり。


 どこかで薬瓶が揺れているのか。


 それとも、もっと大きな装置の中で何かが反応しているのか。


 旧施療院の地下は、下りるほどに“治療の場所”から遠ざかっていった。


 上にはまだ、受付や診察室の名残があった。


 人が座っていた椅子。


 薬草の匂い。


 古い掲示板。


 そこには、かつて誰かを助けようとした気配が残っていた。


 だが、ここにはそれがない。


 あるのは制御線。


 欠片核。


 薬液管。


 罠。


 記録。


 そして、リゼットの声が残した冷たさだけだった。


 アレックスは先頭を歩いていた。


 雷の刃を低く構える。


 強く振るためではない。


 線を見るため。


 いつでも雷糸を伸ばせるように。


 隣にマーガレット。


 ハルバードを構えてはいるが、いつものように勢い任せではない。


 足元の線を踏まないように。


 壁の棚を壊さないように。


 肩を少しすぼめて歩いている。


 力を抑える歩き方。


 その姿を見て、アレックスは少しだけ思った。


 グレイルへ来てから、マーガレットは本当に変わった。


 いや、変わったというより、元々あった優しさの使い方が増えたのだ。


 殴るだけじゃない。


 壊すだけじゃない。


 守るために踏みとどまる。


 怖いと言いながら前に立つ。


 名前を呼ぶ。


 軽すぎる子どもを落とさないように抱く。


 それも、彼女の強さなのだ。


 少し後ろを、エイナが歩いている。


 胸には二冊の記録。


 リクの記録。


 ルミアの薬剤記録。


 彼女は、それを抱えるようにして持っていた。


 短剣は右手にある。


 だが、指先はまだ少し震えている。


 無理もない。


 弟の死が、自分のせいではなかったと分かった。


 だが、それは救いだけではない。


 利用されていたと知る痛み。


 真実を知らされなかった怒り。


 そして、自分がずっと抱えてきた罪悪感が行き場を失う苦しさ。


 全部が、今のエイナの中で渦巻いている。


「エイナ」


 アレックスは前を見たまま声をかけた。


「……何?」


「記録、重いか」


 少しの沈黙。


「重い」


 エイナは正直に答えた。


「でも、落としたくない」


「うん」


「変だね。紙なのに」


「変じゃない」


「……」


「名前が入ってるから、重いんだと思う」


 エイナは、少しだけ息を詰めた。


 そして、小さく笑った。


「あなた、そういうこと言うの上手くなったね」


「そうかな」


「うん」


「レクトに言ったら?」


「たぶん、“比喩としては妥当です”って言う」


 マーガレットが横から言った。


「言う!」


 少しだけ空気が緩んだ。


 その瞬間だった。


 床の青白い線が強く光る。


 アレックスは即座に手を上げた。


「止まって!」


 三人が足を止める。


 前方の床に、薄い霧が流れ出した。


 横の壁から。


 腰の高さ。


 青白い霧。


 先ほどの毒煙より薄いが、匂いが違う。


 甘くない。


 無臭に近い。


 だから余計に危険だった。


「吸うな」


 アレックスが低く言う。


 マーガレットが布を口元に押し当てる。


 エイナも同じようにする。


 霧は床を這うように流れ、通路を覆い始めた。


 アレックスは壁を見た。


 噴出口。


 小さな穴がいくつもある。


 装置を壊せば止まるかもしれない。


 だが、強く壊せば内部の薬瓶が割れる可能性がある。


 リゼットの罠は、いつもそうだ。


 簡単に壊せない形で置かれている。


「右の壁に制御線」


 エイナが言った。


 彼女は震えていても、目は動いている。


「床の線と繋がってる」


「見える?」


「うん。あそこ」


 エイナが指差す。


 壁の下部。


 青白い線の束。


 アレックスは雷糸を伸ばす。


 霧が広がる前に止めなければならない。


 だが焦ると失敗する。


 線は三本。


 いや、五本。


 そのうち二本は罠。


 切ると別の薬が出る。


 アレックスは目を細めた。


「……一番奥の細い線だ」


「分かるの?」


 マーガレットが聞く。


「たぶん」


「たぶん怖い」


「でもやる」


「うん」


 雷糸が伸びる。


 霧の中を通る。


 雷が霧に触れ、微かに弾ける。


 吸い込むな。


 集中しろ。


 一本目ではない。


 二本目でもない。


 奥の細い線。


 これだ。


「断て」


 雷糸が線を焼き切る。


 霧の噴出が止まった。


 すぐに止まったわけではない。


 数秒、残った霧が漂う。


 マーガレットがハルバードを大きく回そうとする。


 アレックスが慌てて止めた。


「待て! 瓶がある!」


「風で飛ばそうと思った!」


「壊れる!」


「そうだった!」


 エイナが苦笑した。


「ほんと、壊す前に止まれるようになったね」


「成長した!」


「偉い」


「もっと褒めて」


「生きて帰ったら」


「よし、帰る理由増えた!」


 アレックスは小さく笑った。


 その笑いで、また少しだけ息ができる。


 通路を進む。


 途中、何度も罠があった。


 針。


 霧。


 足元の沈む床。


 触れると記録を燃やす仕掛け。


 薬瓶を落とす棚。


 どれも、直接殺すというより、侵入者を焦らせるためのものだった。


 焦れば薬剤記録が失われる。


 焦れば毒を吸う。


 焦れば欠片線に触れる。


 リゼットの性格が滲んでいた。


 人の感情を読み、反応を利用する。


 恐怖。


 怒り。


 焦り。


 罪悪感。


 それを薬のように扱う。


 アレックスは奥歯を噛む。


「本当に嫌な作りだな」


「うん」


 マーガレットが言う。


「性格悪い」


「でも、合理的」


 エイナが呟いた。


「そういうところが一番嫌」


 やがて、通路の先に広い部屋が見えてきた。


 扉はない。


 開け放たれた空間。


 中から明かりが漏れている。


 青白い光だけではない。


 黄色いランプの光もある。


 人の手で灯された光。


 三人は慎重に入口へ近づいた。


 そこは、古い研究室だった。


 いや、研究室というより、元は調剤室だったのだろう。


 中央には大きな作業台。


 壁には薬草棚。


 奥には水場。


 しかし、今はそのすべてがリゼットの薬剤装置に組み込まれていた。


 薬草棚の中には欠片石。


 水場には青白い液体。


 作業台の上には多数の記録。


 その奥に、リゼットが立っていた。


 白衣の袖を整えながら。


 待っていたように。


「遅かったわね」


 彼女は言った。


 マーガレットが即座に返す。


「あんたの罠が多すぎるから!」


「丁寧でしょう?」


「褒めてない!」


「そう」


 リゼットは少しだけ笑った。


 アレックスは部屋を見回す。


 奥の棚に、赤い印のついた箱がある。


 薬剤記録か。


 治療薬の原液か。


 分からない。


 だが、リゼットがその前に立っている以上、重要なものだろう。


「薬剤記録を渡せ」


 アレックスが言う。


「何度も言わせないで」


「何度も断らせないで」


 リゼットは静かに言った。


「ルミアを治したいのでしょう?」


「そうだ」


「なら、私が必要よ」


「お前を信用できない」


「信用ではなく技術の話」


 リゼットは作業台へ手を置く。


「記録だけでは足りない。薬は調整が必要。体内の残留反応を見て、投与量を決める必要がある。あなたたちの記録係が優秀でも、すぐには無理」


 アレックスは黙った。


 レクスターなら解析できる。


 そう信じている。


 だが、リゼットの言葉にも一部の真実がある。


 ルミアの状態は危険だ。


 治療には時間と知識が必要。


 リゼット本人の知識があれば、助かる可能性は上がるかもしれない。


 それを分かった上で、彼女は言っている。


 こちらの弱いところを突いている。


「条件は何だ」


 アレックスが問う。


 マーガレットが驚いた顔をする。


「アレックス?」


「聞くだけだ」


 リゼットは微笑んだ。


「私を逃がすこと」


 エイナの目が鋭くなる。


「ふざけるな」


「薬剤記録と、ルミアの調整法を渡す。さらに、リクの記録の完全版も」


 エイナの身体が揺れた。


 完全版。


 その言葉に反応してしまった。


 アレックスはリゼットを睨む。


「まだ何か隠しているのか」


「もちろん」


 リゼットは当然のように言った。


「研究者は全てを一冊にまとめたりしないわ」


「最低」


 マーガレットが低く言う。


「それを取引材料にするの?」


「必要なものを提示しているだけ」


「人の痛みを材料にするな!」


「痛みは重要な観察対象よ」


「違う!」


 マーガレットが前に出る。


 アレックスが手で制する。


 リゼットは続ける。


「私を逃がせば、ルミアは助かるかもしれない。リクの真実も全て分かる。私を捕まえれば、記録は一部だけ。治療も遅れる。さて、どうする?」


 静かな問い。


 また選択。


 バルザックも。


 黒外套も。


 リゼットも。


 同じように選ばせる。


 何かを得るために、何かを捨てろと。


 アレックスは、深く息を吸った。


「逃がさない」


 短く言った。


 リゼットは目を細める。


「ルミアが危険でも?」


「逃がさない」


「リクの完全な記録が失われても?」


 エイナの手が震える。


 だが、アレックスは彼女を見た。


「エイナ」


「……」


「君はどうしたい」


 リゼットが笑う。


「聞くの?」


「聞く」


「彼女は揺れているわ」


「だから聞く」


 エイナは帳面を抱えたまま、目を閉じた。


 長い沈黙。


 マーガレットが見守る。


 アレックスも待つ。


 リゼットは急かさない。


 ただ、微笑んでいる。


 エイナはやがて目を開けた。


 涙はまだある。


 でも、目は少しだけ定まっていた。


「知りたい」


 彼女は言った。


「全部知りたい。リクのこと。何を飲まされたのか。どれだけ苦しかったのか。何で死んだのか。全部」


 声が震える。


「でも」


 エイナは短剣を握った。


「そのために、あなたを逃がしたら、リクに怒られる」


 リゼットの笑みが止まった。


「……」


「リクは優しい子だった。自分より、私が怪我してないか心配する子だった。そんな子の記録を理由に、他の子を危険にするなんてできない」


 エイナの声は、少しずつ強くなる。


「だから、逃がさない」


 アレックスの胸が熱くなる。


 マーガレットも涙目で頷いた。


「エイナ……」


「リクの記録は、奪い返す」


 エイナはリゼットを見た。


「でも、あなたとは取引しない」


 リゼットは、しばらく黙っていた。


 そして、ゆっくり微笑んだ。


「強くなったのね」


「あなたのおかげじゃない」


「そう」


「この人たちのおかげ」


 エイナは言った。


「私が一人で壊れそうになった時、止めてくれる人たちがいたから」


 リゼットの表情が少しだけ変わる。


 羨望か。


 不快感か。


 それとも、もっと別の何かか。


 一瞬すぎて分からなかった。


 アレックスは雷の刃を構えた。


「交渉は終わりだ」


「そうね」


 リゼットは作業台の上の薬瓶を手に取った。


「では、実験に戻りましょう」


「まだそれを言うか」


「ええ」


 彼女は薬瓶を床へ落とした。


 今度の煙は赤かった。


 青白くない。


 血のような赤。


 それが床を這うと、部屋の壁に埋め込まれた欠片線が一斉に光った。


 作業台の下から、鎖が飛び出す。


 マーガレットが反応する。


「下!」


 彼女はハルバードの石突で鎖を叩き落とす。


 だが、鎖は生き物のように曲がる。


 アレックスの足へ。


 エイナの腕へ。


 記録を狙っている。


「帳面を狙ってる!」


 エイナが叫ぶ。


 アレックスは雷で鎖を弾く。


 マーガレットがエイナの前へ出る。


「こっち来るな!」


 ハルバードを振るう。


 鎖を砕きそうになる。


 だが、砕けば赤い煙が増える可能性がある。


 マーガレットは直前で刃をずらし、柄で絡め取った。


「ううう、壊したい!」


「我慢!」


 アレックスが叫ぶ。


「分かってる!」


 エイナは記録帳を懐へしまい、身軽に動く。


 短剣で鎖の接続部を切ろうとする。


 だが、肩の傷が痛んだのか、一瞬動きが鈍る。


 鎖が彼女の足首へ絡む。


「っ!」


「エイナ!」


 アレックスが踏み込む。


 リゼットがその隙を狙って、手術刀を投げた。


 狙いはアレックスではない。


 エイナの懐。


 記録帳。


 アレックスは刃を返す。


 手術刀を弾く。


 その一瞬、鎖がアレックスの腕へ絡んだ。


 雷が乱れる。


 赤い煙が、鎖を通じて体内へ入り込むような感覚。


「ぐっ……!」


 マーガレットが叫ぶ。


「アレックス!」


 リゼットの声。


「赤煙は魔力反応を鈍らせるわ。あなたの雷とは相性が悪い」


「説明どうも……!」


 アレックスは歯を食いしばる。


 雷を強めれば鎖は焼き切れる。


 だが、強すぎれば周囲の薬瓶が爆ぜる。


 ここでも壊せない。


 マーガレットが鎖を掴む。


「私が引く!」


「薬が!」


「吸わないようにする!」


 彼女は布で手を巻き、鎖を掴んだ。


 力を込める。


 鎖が軋む。


 だが、壊さない。


 引き剥がす。


「ぬううう……!」


 マーガレットの額に汗が浮く。


「壊さず! 引く! 難しい!」


 アレックスはその隙に雷糸を伸ばす。


 鎖の接続核。


 床の赤い線。


 そこを切る。


「断て!」


 鎖が力を失った。


 アレックスの腕から落ちる。


 エイナの足首の鎖も緩む。


「助かった……!」


「まだ!」


 マーガレットが叫ぶ。


 リゼットが奥の棚へ向かっていた。


 薬剤記録。


 赤い印の箱。


 彼女はそれを手に取る。


「記録は渡さないわ」


 アレックスの目が鋭くなる。


「止まれ!」


「止まらない」


 リゼットは箱を開けた。


 中にあったのは、記録紙と小さな薬瓶。


 ルミアの治療に必要なものかもしれない。


 それを、リゼットは火鉢の上へかざした。


「燃やすわよ」


 マーガレットが息を呑む。


 エイナが短剣を構える。


 アレックスは動けなかった。


 距離がある。


 雷で撃てば、箱ごと燃えるかもしれない。


 マーガレットが飛び込めば、リゼットが落とす。


 エイナが投げれば、同じ。


 リゼットは微笑んだ。


「ほら、選んで」


 また。


 また選ばせる。


 アレックスは奥歯を噛んだ。


 だが、その時。


 部屋の入口から声がした。


「選択肢の提示が雑です」


 アレックスたちが振り返る。


 そこにいたのは、レクスターだった。


 息を切らし、壁に手をつきながら。


 顔色は最悪。


 だが、水の本を開いている。


「レクト!」


 アレックスが叫ぶ。


「残れって言っただろ!」


「残るつもりでした」


 レクスターは淡々と答えた。


「ですが、あなたたちがあまりにも戻らないので」


「それだけで来たのか!」


「ルミアの状態が変化しました」


 その言葉に、全員の顔が変わる。


「何?」


 マーガレットが叫ぶ。


「名前に反応しています」


 レクスターは言った。


「ルミアと呼ぶと、黒い筋の脈動が弱まる」


 アレックスの胸が熱くなる。


 名前。


 やはり。


 名前は戻る場所だ。


 リゼットの顔から笑みが消えた。


「……余計なことを」


「余計ではありません」


 レクスターは水の本に指を置いた。


「治療に必要な記録は、その箱ですね」


「燃やすわよ」


「どうぞ」


 その返答に、リゼットがわずかに動揺した。


「……何?」


「燃やせば、あなた自身の価値が下がります」


 レクスターは冷静に言う。


「あなたは取引材料として記録を使っていた。燃やせば、我々にとってあなたを生かして捕らえる優先度が下がる」


 リゼットの目が細くなる。


「脅し?」


「分析です」


「面白い子ね」


「褒め言葉は不要です」


 レクスターは、わずかに水糸を伸ばした。


 部屋の湿気。


 割れた薬瓶の水分。


 赤煙に混じる液体成分。


 それを集める。


 細い水糸。


 火鉢の中へ。


 じゅ。


 火が弱まる。


 リゼットが箱を落とす前に、アレックスが動いた。


 雷糸。


 箱を狙わない。


 リゼットの手首の筋へ。


 痺れさせるだけ。


「雷針!」


 リゼットの指が一瞬緩む。


 箱が落ちる。


 だが、火鉢ではない。


 マーガレットが飛び込む。


 空中で箱を受け止めた。


 今度は乱暴ではない。


 両手で包むように。


「取った!」


 その声に、アレックスは息を吐いた。


 エイナも短剣を構えたまま、リゼットを睨む。


 リゼットは手首を押さえ、ゆっくり息を吐いた。


「……本当に、面倒な人たち」


「よく言われます」


 レクスターが返す。


「あなたは寝ていてください!」


 マーガレットが叫ぶ。


「同感です」


「自分で言う!?」


 アレックスは刃を構え直す。


「リゼット、終わりだ」


「終わり?」


 リゼットは首を傾げた。


「まだよ」


 彼女の背後。


 作業台の奥の壁が開いた。


 隠し通路。


 リゼットはそこへ下がる。


「逃がすか!」


 エイナが踏み込む。


 だが、レクスターが叫んだ。


「待って!」


 遅かった。


 床の赤い線が強く光る。


 隠し通路の入口から、巨大な薬液槽がせり上がった。


 中には、青白い液体。


 そして、無数の小さな欠片核。


 リゼットはその奥で微笑んだ。


「これは旧施療院の原液槽。壊せば、町の水路へ薬が流れるわ」


 アレックスたちの動きが止まる。


「止められる?」


 マーガレットがレクスターを見る。


 レクスターは顔を青ざめさせながら言った。


「……今の私では、難しい」


 リゼットが笑う。


「では、また選んで」


 彼女は奥へ歩き出す。


「私を追うか。原液槽を止めるか」


 アレックスは歯を食いしばる。


 リゼットは振り返らずに言った。


「優しい人たちは、大変ね」


 その姿が、隠し通路の奥へ消えていく。


 原液槽が不気味に泡立つ。


 青白い液体が、水路へ流れ出そうとしていた。


 アレックスは刃を握り締めた。


 また選択。


 だが、今度はレクスターがいる。


 マーガレットがいる。


 エイナがいる。


 全員が傷だらけで、限界で、それでも立っている。


 アレックスは静かに言った。


「追わない」


 エイナが目を見開く。


「アレックス」


「原液槽を止める」


 マーガレットが頷く。


「うん」


 レクスターも苦しそうに頷いた。


「正解です」


 エイナは唇を噛む。


 リゼットを追いたい。


 当然だ。


 だが、彼女は胸の記録帳に手を置いた。


 リクの名前。


 ルミアの名前。


 その重さを感じる。


「……分かった」


 声は震えていたが、折れていなかった。


「止めよう」


 リゼットは逃げた。


 だが、記録は守った。


 ルミアの治療記録も手に入れた。


 そして今、町を汚染する原液槽を止める。


 壊さず。


 流さず。


 止める。


 アレックスは雷の刃を構えた。


「やるぞ」


 青白い原液槽が、彼らの前で不気味に脈打っていた。

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