【第5話 王都の外の夜】
刺客たちを置いて、三人は南西へ歩き出した。
春の草原は、何事もなかったように風を流している。
さっきまで刃が交わり、雷が走り、ハルバードが地面を割り、水の術式が刺客たちの足を絡め取っていた場所も、少し離れればただの街道脇の草地にしか見えなかった。
白い花が揺れている。
古い祠が遠ざかる。
倒れた男たちの呻き声も、風に紛れてすぐ聞こえなくなった。
それが少しだけ、不思議だった。
戦いは確かにあった。
王都は確かに追手を放った。
自分たちは確かに命を狙われた。
なのに、空は青い。
草は揺れる。
鳥は鳴く。
世界は、誰かひとりの痛みでは止まってくれない。
「……なんかさ」
マーガレットが歩きながら、背中のハルバードを揺らした。
「思ってたより、普通に歩けるね」
アレックスが隣を見る。
「何が?」
「追放されたあと」
マーガレットは前を向いたまま言った。
「もっとこう、全部真っ暗になって、足とか動かなくなって、何も考えられなくなるのかなって思ってた」
「うん」
「でも、歩ける。お腹も空く。パン硬かったなーって思う。刺客ムカつくなーって思う。アレックスがまた敵に優しくするから、私が怒る羽目になるなーって思う」
「最後は俺のせいか?」
「だいたいそう」
「厳しい」
「優しい顔してるから余計に厳しくしたくなる」
「理屈が分からない」
アレックスが笑うと、マーガレットも少しだけ笑った。
ただ、その笑顔はまだ完全ではない。
端が少し震えている。
怒りの残り。
恐怖の残り。
泣きたい気持ちの残り。
いろんなものを抱えたまま、それでも笑おうとしている顔だった。
レクスターは後ろを歩きながら、淡々と地図を確認していた。
「人間は大きな喪失を受けても、空腹になります。足も痛みます。睡眠も必要です」
「レクスターってさ」
マーガレットが振り返る。
「そういう話をするとき、もう少し情緒ってものを混ぜられないの?」
「混ぜると情報が濁ります」
「濁っていいんだよ、たまには!」
「よくありません」
「よくある!」
「ありません」
即答。
マーガレットが頬を膨らませる。
「アレックス、どう思う?」
「レクスターらしい」
「味方がいない!」
「私は味方ですが、感情論には加担しません」
「それ味方なの!?」
「機能的には」
「機能的にじゃなくて!」
そんな会話が続く。
それがありがたかった。
もし誰も話さなければ、アレックスはきっと王都のことばかり考えてしまう。
大講堂の拍手。
王の冷たい声。
セレスティアの伏せた目。
アーサーの顔。
侍従長の震えた声。
城門が閉まる音。
そして、刺客の男が言った言葉。
王子失格。
甘いだけの無能。
王に向かない。
それらが頭の中で、何度も反響する。
否定したい。
でも、完全には否定できない自分もいる。
自分は本当に甘いのか。
優しさは、王にとって不要なのか。
切り捨てることができなければ、人は守れないのか。
考え始めると、胸の奥が沈んでいく。
だから、マーガレットの騒がしさがありがたい。
レクスターの冷静な切り捨てがありがたい。
二人の声が、アレックスを今の道へ引き戻してくれる。
「アレックス」
マーガレットが声をかける。
「うん?」
「また考えてたでしょ」
「分かる?」
「分かるよ。笑ってるけど、ちょっと遠い顔してた」
「そうか」
「そうかじゃなくて」
マーガレットは一歩先へ出て、アレックスの前を歩く。
そして振り返った。
歩きながらなので少し危なっかしい。
「前見て歩くべきです」
レクスターが即座に言う。
「分かってる!」
「分かっている人間の行動ではありません」
「いま大事な話してるの!」
「転倒も大事です」
「転ばない!」
そう言った直後、小石に足を取られかけた。
「うわっ」
アレックスがすぐに手を伸ばし、彼女の腕を支える。
「ほら」
レクスターが言う。
「言ったでしょう」
「今のは地面が悪い!」
「地面に責任転嫁するのは見苦しいですね」
「レクスター、口が悪い!」
マーガレットは顔を赤くしながら体勢を戻す。
アレックスは笑う。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫!」
「前を見て歩こう」
「アレックスに言われると素直に聞けるけど、なんか悔しい!」
「差別ですね」
「レクスターは言い方!」
会話が途切れたあと、マーガレットは少しだけ真面目な顔になった。
「アレックス」
「うん」
「甘いって言われたこと、気にしてる?」
風が一度、強く吹いた。
草が波のように揺れる。
アレックスはすぐには答えなかった。
マーガレットも急かさない。
レクスターも口を挟まない。
沈黙が、三人の間に落ちる。
その沈黙は、悪いものではなかった。
答えを探すための時間だった。
「気にしてる」
やがて、アレックスは言った。
「やっぱり?」
「うん」
「違うよ」
マーガレットは即答した。
「アレックスは甘いんじゃないよ」
「そうかな」
「そうだよ。だって甘いだけなら、さっき刺客相手にちゃんと戦えないでしょ。助けたいって思うことと、何もできないことは違うじゃん」
彼女は前を見た。
「アレックスは、助けたいって思って、ちゃんと剣を抜ける人でしょ」
アレックスは黙った。
胸の奥に、静かに言葉が落ちる。
助けたいと思って、剣を抜ける人。
自分でそう思ったことはなかった。
けれど、マーガレットの言葉は不思議とすんなり入ってきた。
「……ありがとう」
「うん」
「嬉しい」
「うん」
「マーガレットは、たまにすごくいいこと言うな」
「たまに!?」
「今のは明確に失言です」
レクスターが横から切る。
「訂正を推奨します」
アレックスが慌てて笑う。
「よく言う」
「よし!」
「訂正が早いですね」
「命は大事だから」
「命の危機を感じたのですね」
マーガレットはハルバードの柄をぽんぽん叩く。
「感じさせたかもね?」
「物騒です」
「冗談!」
「半分ほど本気でしたね」
「見抜かないで!」
少し歩いたところで、街道脇に荷車が止まっているのが見えた。
先ほど助けた老人一家ではない。
別の商人らしき中年男と、若い娘が二人。
荷車の車輪が外れかけている。
男は困り果てた顔で膝をつき、娘たちは不安そうに周囲を見回していた。
アレックスは足を止めた。
マーガレットも止まる。
レクスターは深く息を吐いた。
「またですか」
「困ってる」
アレックスが言う。
「見れば分かります」
「手伝おう」
「追手を警戒すべき状況です」
「分かってる」
「それでも?」
「うん」
レクスターは眼鏡を押し上げた。
「本当に面倒ですね」
「ごめん」
「謝罪は不要です。諦めています」
「ありがとう」
「感謝も不要です」
マーガレットがにやにやする。
「レクスター、なんだかんだ手伝う気満々だよね」
「合理的に判断しただけです。荷車の修理を手伝えば情報を得られる可能性があります」
「はいはい」
「本当です」
「はいはい」
「……その顔は腹立ちますね」
アレックスは商人へ声をかけた。
「大丈夫ですか?」
中年男がびくりと振り返る。
三人の姿を見て、少し警戒した顔になる。
無理もない。
武器を携えた若者三人。
そのうち一人は明らかに高価な剣を持ち、ひとりは大きなハルバードを背負い、もうひとりは魔導書を携えている。
普通の旅人には見えない。
「い、いや……車輪が少し」
「見ます」
アレックスはすぐにしゃがみ込んだ。
マーガレットも荷車の側へ回る。
「持ち上げればいい?」
「少しだけ」
「任せて!」
マーガレットが荷台を掴む。
中年男が慌てる。
「いや、娘さん一人では――」
「よいしょ」
荷車が軽く浮いた。
男の口が開いたまま止まる。
娘たちも目を丸くした。
「……え?」
「どれくらい上げる?」
マーガレットが普通に聞く。
「あと少し」
アレックスが車軸を確認しながら答える。
「はーい」
「いや、え、ええ……?」
中年男は混乱していた。
レクスターは冷静に車輪の金具を見た。
「車軸の留め具が緩んでいます。交換が必要ですが、応急処置なら可能です」
「できますか?」
「できます」
「レクスター、なんでもできるね」
マーガレットが荷車を支えたまま言う。
「なんでもはできません。できることが多いだけです」
「それをなんでもって言うんじゃない?」
「違います」
アレックスは商人の持っていた工具を借り、レクスターの指示で留め具を固定していく。
王子だった頃、こんなふうに荷車を直したことはない。
手はすぐ汚れた。
金具は思ったより固い。
土と油の匂いがする。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、自分の手が誰かの役に立っている感覚があった。
「……よし」
アレックスが立ち上がる。
「しばらくは走れると思います。ただ、次の町でちゃんと直した方がいい」
「ありがとうございます……!」
商人が深く頭を下げる。
「助かりました。本当に」
「いえ」
アレックスは笑う。
「道中、お気をつけて」
商人は少し迷ったあと、懐から小さな紙包みを出した。
「これを。大したものではありませんが」
中には焼き菓子が数枚入っていた。
マーガレットの目が輝く。
「お菓子!」
「声に出ています」
レクスターが言う。
「出るよ!」
アレックスは受け取るか少し迷った。
だが商人の顔を見て、断らなかった。
「ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ」
娘のひとりが、アレックスを見つめていた。
「お兄さん、王都の人?」
「どうして?」
「話し方が優しいから」
不意の言葉だった。
アレックスは少しだけ目を丸くする。
娘は慌てて手を振る。
「あ、変な意味じゃなくて! 王都の人って、偉そうな人も多いけど……お兄さんは違う感じ」
「ありがとう」
アレックスは笑った。
「でも、俺もまだちゃんと外を知らないんだ」
「外?」
「王都の外」
娘は不思議そうに首を傾げた。
アレックスはそれ以上は言わなかった。
商人親子は何度も礼を言い、荷車を進めていった。
その背中を見送りながら、マーガレットは焼き菓子をじっと見つめる。
「食べていい?」
「一枚だけ」
アレックスが言う。
「やった!」
「残りは夜です」
レクスターが追加する。
「えー」
「携行食管理です」
「レクスターって、お菓子にも厳しい」
「当然です」
マーガレットは焼き菓子を一枚口に入れた。
すぐに顔がほころぶ。
「おいしい……!」
その幸せそうな顔に、アレックスも笑う。
「そんなに?」
「食べる?」
「いいの?」
「半分」
彼女は焼き菓子を割って差し出した。
アレックスは受け取る。
口に入れると、素朴な甘さが広がった。
小麦と蜂蜜。
少し焦げた香ばしさ。
王城の菓子ほど繊細ではない。
でも、温かい味がした。
「美味しいな」
「でしょ!」
レクスターが静かに見ている。
マーガレットが気づいた。
「レクスターも食べる?」
「私は結構です」
「えー、甘いの嫌い?」
「嫌いではありません。ただ、数が限られています」
「はい」
マーガレットは問答無用で半分を渡した。
レクスターが眉を上げる。
「話を聞いていましたか」
「聞いてた」
「ではなぜ渡すのです」
「三人で食べた方がおいしいから」
レクスターは黙った。
焼き菓子を見て、マーガレットを見て、アレックスを見る。
アレックスは笑っていた。
「……非効率ですね」
「出た」
「ですが」
レクスターは焼き菓子を受け取った。
「悪くはありません」
マーガレットがにっと笑う。
「素直じゃないなあ」
「あなたほど単純にはなれません」
「単純って言った!」
「事実です」
夕方が近づくにつれ、空の色が変わっていった。
青から淡い橙へ。
雲の端が金色に光る。
街道の影が長く伸びる。
王都はもうほとんど見えない。
代わりに、遠くに森が見え始めていた。
レクスターは地図を確認し、街道から少し外れた林の手前を指した。
「今夜はあの辺りで野営します」
「宿じゃないの?」
マーガレットが期待を込めて聞く。
「宿はありません」
「現実!」
「最初の宿場町までは明日以降です」
「うわあ……」
「不満なら王都へ戻りますか?」
「戻らない!」
「なら野営です」
「レクスター、言い方が強い!」
アレックスは森の方を見る。
「初野営か」
「正確には、護衛付き遠征を除けば初めてですね」
「火は?」
「小さく。煙を抑えます。食事は簡単に」
「見張りは?」
「交代制です」
「マーガレットは最初がいいか?」
「え、なんで?」
「寝たら起きなさそう」
「起きるよ!」
「訓練合宿で寝過ごした実績があります」
レクスターが言う。
「レクスター、実績管理やめて!」
「事実です」
野営地は、街道から少し離れた小さな林の手前だった。
地面は比較的平ら。
近くに小さな水場がある。
周囲は木々で視線を遮れるが、完全に閉じてはいない。
逃げ道もある。
レクスターは満足げに頷いた。
「悪くありません」
「レクスターが言うと安心する」
マーガレットが荷物を下ろす。
「ただし虫がいます」
「言わないで!」
「現実です」
「現実を少し黙らせて!」
アレックスは枯れ枝を集め、小さな焚き火を作った。
火打ち石を扱う手つきは少しぎこちない。
何度か失敗する。
マーガレットが覗き込む。
「アレックスでも苦手なことあるんだ」
「あるよ」
「なんか安心した」
「安心するのか」
「うん。完璧じゃない方がいい」
その言葉に、アレックスは少しだけ手を止めた。
「そうかな」
「そうだよ」
マーガレットはしゃがみ込む。
「王都の人たちは、完璧な王子とか、強い王とか、そういうのばっか見てるんだろうけどさ。私は、火起こしに失敗するアレックスの方が好き」
「また好きって言った」
「今のは変な意味じゃない!」
「分かってる」
「分かってる顔じゃない!」
アレックスが笑う。
火花が散り、小さな火がようやく枯れ葉に移った。
「ついた」
「おお!」
マーガレットが拍手する。
「火がついただけで拍手するのは大げさでは」
レクスターが言う。
「初野営記念!」
「意味は分かりませんが、士気には寄与しますね」
「たまに難しい言葉で褒めるのやめて!」
夕食は簡単だった。
固いパンを火で軽く炙る。
干し肉を薄く切る。
水を少し温める。
商人にもらった焼き菓子を最後に分ける。
王城の食卓とは比べものにならない。
皿もない。
椅子もない。
食べ物は硬い。
風が吹けば火の粉が揺れる。
それでも、三人で囲む焚き火は不思議と悪くなかった。
「……なんか、旅っぽい」
マーガレットがパンをかじりながら言う。
「実際旅です」
レクスターが答える。
「そうだけど! もっと雰囲気の話!」
「雰囲気としても旅です」
「間違ってないけど!」
アレックスは笑いながら、火を見つめる。
炎が揺れる。
橙色の光が三人の顔を照らす。
王城の灯りとは違う。
不安定で、弱くて、でも温かい。
「……今日一日、長かったな」
アレックスが呟く。
マーガレットがパンを噛む手を止める。
「うん」
「朝はまだ王子だった」
「うん」
「昼には追放されて、午後には刺客に襲われて、夕方には荷車を直して、今は野営してる」
「詰め込みすぎ」
「そうだな」
アレックスは少し笑う。
「でも、不思議と全部夢じゃない」
「夢だったらよかった?」
マーガレットが聞く。
アレックスは少し考えた。
火がぱち、と鳴る。
「半分は」
正直な答えだった。
「でも、半分は違う」
「どうして?」
「君たちとここにいるから」
マーガレットは黙った。
レクスターも何も言わなかった。
沈黙が落ちる。
焚き火の音だけが続く。
その沈黙は、さっきまでの軽口とは違う。
でも、居心地は悪くなかった。
アレックスは続ける。
「王都にいたら、今日会った老人や商人のことも、きっと報告書でしか知らなかった」
「うん」
「でも、外に出たら直接見る。困ってる人がいる。税が重いって言う人がいる。荷車が動かなくて困ってる人がいる。王都が華やかな裏で、外では普通に苦労してる人がいる」
炎が揺れる。
「俺は、知らなかったんだなって思った」
「知らなかったことを、今から知ればいいんじゃない?」
マーガレットが言った。
アレックスが彼女を見る。
「アレックス、追放されたんだよ。最悪だよ。むかつくよ。私、まだ王都にハルバード投げたいくらい怒ってる」
「投げないでください」
レクスターが即座に言う。
「比喩!」
「あなたの場合、比喩では済まない危険があります」
「信用!」
マーガレットは咳払いする。
「でもさ、外に出たから見えることもあるなら、それはそれで、ただの最悪じゃ終わらせなくていいんじゃない?」
その言葉に、アレックスは胸を打たれた。
ただの最悪じゃ終わらせない。
マーガレットらしい。
難しい理屈ではない。
でも、真っ直ぐ核心を突いてくる。
「そうだな」
アレックスは頷く。
「ただの最悪じゃ終わらせたくない」
「うん!」
レクスターが静かに言う。
「その考えには賛成です」
「お、レクスターが素直」
「ただし、目的の設定は慎重に」
「やっぱり来た」
「当然です。感情だけで“世界を救う旅”などと言い出せば破滅します」
「言ってないよ!」
「予防です」
アレックスは笑った。
「まずは、見ることから始めよう」
「見る?」
「王都の外を。村を。街を。人を。何が起きてるのか」
アレックスは焚き火を見る。
「それで、手が届くなら助ける」
「届かなかったら?」
レクスターが問う。
アレックスは少し黙った。
すぐには答えなかった。
答えられないことを、誤魔化さなかった。
「届く方法を探す」
やがて、そう言った。
レクスターは目を細める。
「やはり面倒ですね」
「そうか」
「はい。非常に」
「でもついてくる?」
「ついてきます」
「理由は?」
「あなた一人では、方法を探しているうちに無茶をするからです」
「信用がないな」
「あります」
レクスターは焚き火を見つめる。
「だから言っています」
アレックスは小さく笑った。
「ありがとう」
「礼は不要です」
「でも言う」
「……好きにしてください」
マーガレットがにまにまする。
「いいね、今の」
「何がです?」
「仲良し」
「誤解です」
「誤解じゃないよ」
「訂正します。解釈の違いです」
「もっと仲良しっぽくなった!」
夜が深まっていく。
空には星が増えていた。
王都で見る星より、ずっと多い。
城の灯りも、街の明かりもない場所では、夜空がこんなに広いのかとアレックスは初めて知った。
マーガレットも見上げている。
「星、すごい」
「うん」
「王都って明るかったんだね」
「そうだな」
「外って暗いけど、そのぶん見えるものあるんだ」
アレックスはその言葉を、しばらく胸に置いた。
外は暗い。
でも、そのぶん見えるものがある。
今日の自分たちそのものみたいだった。
王都から追い出された。
明るい場所から外へ出された。
けれど、だからこそ見える星がある。
「……いい言葉だな」
アレックスが言う。
「え、私?」
「うん」
「今の、そんなに良かった?」
「良かった」
「じゃあ覚えといて!」
「覚えておく」
レクスターが静かに空を見上げる。
「詩的ではありますね」
「レクスターが褒めた!」
「半分ほど」
「また半分!」
「残り半分は、暗所では危険も増えるという現実です」
「現実を混ぜるなぁ!」
やがて、見張りの順番を決めることになった。
「最初は俺がやる」
アレックスが言う。
「じゃあ私も起きてる」
マーガレットが即答する。
「交代制の意味がありません」
レクスターが切る。
「でもアレックス一人は」
「一人ではありません。私も起きています」
「え?」
「最初の警戒は二人体制。マーガレットは寝てください」
「なんで私だけ!」
「あなたは初日から感情を使いすぎています。明日確実に動けるよう寝るべきです」
「……」
マーガレットは言い返そうとして、やめた。
疲れているのは事実だった。
怒って、歩いて、戦って、荷車を持ち上げて、また歩いて。
身体は強くても、心は消耗している。
「じゃあ、ちょっとだけ寝る」
「ちょっとではなく、次の交代まで寝てください」
「はいはい」
マーガレットは外套を丸めて枕代わりにし、焚き火の近くに横になった。
だがすぐには眠らなかった。
「アレックス」
「うん?」
「どこにも行かないでね」
子どもみたいな声だった。
アレックスは柔らかく笑う。
「行かないよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「レクスター、見張ってて」
「彼が逃亡する可能性は低いですが、監視はします」
「言い方」
「安心してください」
「安心……なのかな」
マーガレットは目を閉じた。
しばらくすると、呼吸がゆっくりになる。
眠った。
焚き火の音が小さく響く。
アレックスとレクスターは、しばらく黙っていた。
夜の林。
風。
虫の声。
遠くの獣の鳴き声。
王城の静けさとは違う。
生きている夜だった。
「レクスター」
アレックスが小さく呼ぶ。
「はい」
「怖いな」
レクスターは驚かなかった。
「でしょうね」
「うん」
「私もです」
アレックスが少しだけ目を見開く。
「お前も?」
「当然です」
レクスターは焚き火を見たまま言った。
「王都を敵に回し、行く先も未定。資金も限られ、追手もある。怖くない方が異常です」
「そうか」
「はい」
「少し安心した」
「私が怖がっていることに?」
「うん。レクスターも人間なんだなって」
「失礼ですね」
「ごめん」
「謝罪は不要です」
沈黙。
火が揺れる。
レクスターは静かに続けた。
「ただ、恐怖と判断は別です」
「うん」
「怖くても進む。怖いから準備する。怖いから見落とさない」
「レクスターらしいな」
「あなたは逆です」
「俺?」
「怖いから誰かを助けようとする」
アレックスは言葉を失った。
レクスターは横目で見る。
「違いますか?」
「……分からない」
「では、今後観察します」
「観察対象か」
「はい」
「ほどほどにしてくれ」
「善処します」
「信用できないな」
「正しい判断です」
二人は小さく笑った。
夜がさらに深くなる。
焚き火の光の外には、濃い闇がある。
その闇の向こうに何があるのか、まだ三人は知らない。
王都の追手。
腐敗した貴族。
苦しむ村。
戦い。
出会い。
別れ。
世界の広さ。
だが今は、ただ最初の夜だった。
追放された三人が、王都の外で初めて迎える夜。
アレックスは空を見上げた。
星が瞬いている。
王都の中では見えなかった光。
それを見ながら、彼は小さく呟いた。
「ただの最悪じゃ終わらせない」
レクスターは何も言わなかった。
けれど、聞いていた。
焚き火が、ぱちりと鳴る。
その音に、眠っていたマーガレットが寝言のように呟いた。
「……ごはん……」
アレックスは吹き出しそうになった。
レクスターは真顔で言う。
「緊張感が崩壊しましたね」
「助かったよ」
「そうですか」
夜は長い。
旅は始まったばかり。
でも、三人なら歩ける気がした。
王都の外の最初の夜は、不安と寂しさと小さな笑いを抱えながら、静かに更けていった。




