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追放王子の放浪記 ―灯りを守る旅―  作者: 伊佐波瑞樹


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【第4話 追放直後の刺客】


 春の草原に、刃の気配が満ちていた。


 古い祠の前。


 街道から少し外れた草地。


 供えられた白い花が、風に揺れている。


 さっきまで、そこには旅の始まりらしい時間があった。


 固いパンをかじって、マーガレットが文句を言って。


 レクスターが水筒の残量を計算して。


 アレックスが通りがかった老人の荷車を押して。


 王都を出たばかりの三人が、ほんの少しだけ外の空気を吸っていた。


 けれど今、同じ場所にあるのは静かな殺気だった。


 旅人の外套を纏った男たちが四人。


 その立ち方だけで、普通ではないと分かる。


 足幅。


 肩の角度。


 腰の位置。


 手の置き方。


 視線の動き。


 外套の下に隠した武器の重みを、彼らは隠しきれていない。


 いや、隠す気が薄いのかもしれない。


 王都から出たばかりの追放者など、少し脅せば終わると考えている。


 その程度の油断が見えた。


 中央の男が薄く笑う。


 頬に浅い傷がある、三十前後の男だった。


「最後の忠告、ねえ」


 男は肩をすくめた。


「元殿下。状況分かってるか?」


 アレックスは答えない。


 右手は雷の刃の柄に添えられている。


 表情は穏やかだった。


 穏やかすぎて、逆にマーガレットは心配になる。


 さっきまで王都の城壁を見つめていた顔。


 寂しさを飲み込んでいた顔。


 それと同じ人間が、今は目の前の刺客に笑みすら崩していない。


 無理をしているのか。


 それとも、もう切り替えたのか。


 きっと両方だ。


「分かってるよ」


 アレックスはようやく口を開いた。


「君たちは俺たちを殺しに来た。あるいは、少なくとも動けない程度に痛めつけて連れ戻すつもりだ」


 男の笑みが少しだけ止まる。


「へえ」


「外套の下に短剣二本。右の男は弓。左の男は投げ刃。後ろの大柄な人は棍か斧かな」


 アレックスは困ったように笑う。


「違ってたらごめん」


 マーガレットが小声で呟く。


「謝るとこじゃないと思う」


「その通りです」


 レクスターが水の本を開きながら答えた。


「相手への気遣いが無駄です。むしろ有害です」


「有害まで言う?」


「敵に礼儀を尽くす必要は最低限で十分です。過剰な優しさは判断を鈍らせます」


 アレックスは少しだけ肩をすくめる。


「気をつける」


「絶対気をつけない返事ですね」


「よく分かるな」


「長い付き合いですから」


 男たちの表情が変わる。


 軽く見ていた相手が、思ったより落ち着いている。


 そう理解した瞬間の顔だった。


 中央の男は舌打ち混じりに外套を払い、腰の剣を抜いた。


 やはり短めの片手剣。


 取り回し重視の実戦武器だ。


 右の男は背から小弓を取り、左の男は袖口から投げ刃を滑らせる。


 大柄な男は背負っていた布包みをほどき、鉄棍を構えた。


 草原の空気がさらに重くなる。


 マーガレットは背負っていた大地のハルバードを両手で掴み、ゆっくりと地面に下ろした。


 どん、と。


 穂先と斧刃を備えた重武器が地面に触れる。


 その瞬間、足元の土がかすかに震えた。


 彼女の瞳が明るく燃える。


「ねえ、アレックス」


「うん?」


「一応聞くけど、手加減する?」


「殺さず止めたい」


「だよね」


 マーガレットはにっと笑った。


「じゃあ、骨何本まで?」


「折る前提で聞くな」


「えー」


「骨折は可能な限り避けるべきです」


 レクスターが淡々と言う。


「尋問に支障が出ます」


「理由が怖い!」


「現実的です」


 アレックスは少し笑った。


 その笑みを見て、中央の男が顔を歪める。


「余裕ぶってんじゃねえよ」


 声が低くなる。


「お前はもう王子じゃねえ。王都の外じゃ、誰も守ってくれない。分かるか? ここで死んだって、野盗に襲われましたで終わりだ」


「そうだね」


 アレックスは素直に頷いた。


「だから、君たちもそうなる」


 男の眉が跳ねる。


「何?」


「俺たちに負けても、君たちは“野盗に返り討ちにされました”で終わるかもしれない」


 アレックスは笑顔のまま言った。


「だから、引き返せって言ったんだ」


 沈黙。


 一拍遅れて、マーガレットがぽつりと呟く。


「今の、アレックスにしては結構煽ったね」


「煽ったつもりはない」


「煽っていました」


 レクスターが即答した。


「明確に」


「そうか」


「天然煽りは悪質です」


「悪質か」


 刺客の男のこめかみに血管が浮いた。


「殺せ」


 短い命令。


 同時に、右の弓兵が矢を放つ。


 狙いはアレックスの喉。


 だが矢が走った瞬間、レクスターの水の本が青く光った。


 ページがめくれる。


 水の文字列が空中に浮かぶ。


「水幕」


 短い声。


 空気中の水分が薄い膜となり、矢の軌道をわずかに逸らした。


 矢はアレックスの首ではなく、背後の草地へ突き刺さる。


「なっ……!」


 弓兵が目を見開く。


 レクスターは眼鏡を押し上げた。


「初手が単調です」


「辛辣!」


 マーガレットが笑う。


「でも助かった!」


「礼は後で」


 次の瞬間、左の男が投げ刃を二本放つ。


 狙いはマーガレット。


 彼女は笑ったままハルバードを振り上げる。


「おっと!」


 重武器とは思えない速度。


 斧刃の側面で投げ刃をまとめて弾く。


 金属音が二つ、草原に散った。


「軽っ!」


「刃物の重さではなく速度を見るべきです」


 レクスターが言う。


「分かってるって!」


「本当ですか?」


「たぶん!」


「不安ですね」


 大柄な男が鉄棍を持って突っ込んでくる。


 地面を踏みしめる重い足音。


 狙いはマーガレット。


 彼女の小柄な体格を見て、力で潰せると判断したのだろう。


 マーガレットの目が輝いた。


「来た!」


「嬉しそうですね」


「こういうの、分かりやすいから好き!」


 鉄棍が振り下ろされる。


 風を切る重い一撃。


 普通の兵士なら盾ごと叩き潰される。


 マーガレットは逃げなかった。


 大地のハルバードを横に構え、真正面から受け止める。


 鈍い衝撃音。


 足元の草が潰れ、土が円形に沈む。


 だが、マーガレットは後ろへ下がらない。


「っ……な……!」


 大柄な男の方が驚いた。


 小柄な少女。


 華やかな髪。


 見た目だけなら、重武器を持っていることさえ不釣り合いに見える。


 なのに、鉄棍の一撃を真正面から止めている。


「ねえ」


 マーガレットが笑う。


「ちょっと弱くない?」


 次の瞬間、ハルバードを押し返した。


 大柄な男の体が浮く。


「は――」


「よいしょ!」


 柄を回し、石突で腹を打つ。


 大柄な男が後ろへ吹っ飛んだ。


 草地を転がり、祠の横の低木に突っ込む。


「ごめん! ちょっと強かった!」


「かなり強かったです」


 レクスターが冷静に言う。


「骨折は避けると言ったはずですが」


「たぶん折れてない!」


「たぶんでは困ります」


「じゃああとで確認する!」


「戦闘後にしてください」


 アレックスはその会話を聞きながら、中央の男と向き合っていた。


 男の片手剣が低く構えられる。


 目つきが変わっていた。


 さっきまでの嘲りは薄れ、実戦の顔になっている。


「……お前ら、ただの追放者じゃねえな」


「ただの追放者って何?」


 アレックスが聞く。


「知るかよ!」


 男が踏み込む。


 速い。


 剣筋は荒いが、実戦慣れしている。


 正面から斬りかかると見せて、途中で刃を寝かせ、脇腹を狙う。


 アレックスは半歩だけ下がる。


 雷の刃を抜く。


 鞘鳴り。


 青白い光が、一瞬だけ草原を照らした。


 男の剣と、アレックスの刃がぶつかる。


 火花。


 男の腕が痺れた。


「ぐっ……!」


 重いのではない。


 速い。


 接触の瞬間に雷の魔力が流れ込み、相手の筋肉の動きを鈍らせている。


 男がすぐに距離を取ろうとする。


 だがアレックスは追わない。


 その場で刃を下げ、穏やかに言う。


「まだやる?」


「馬鹿にしてんのか」


「してないよ」


「してるだろ!」


「していませんが、状況判断を促してはいます」


 レクスターが横から言う。


「あなた方の勝率はかなり低い。撤退した方が合理的です」


 男の顔が怒りで赤くなる。


「うるせえ!」


 弓兵が二射目を構える。


 しかし、その足元を水の縄が絡め取った。


「っ!?」


「足元への注意不足」


 レクスターの本が淡く光る。


「二度目はありません」


 弓兵が転倒する。


 同時に投げ刃の男がマーガレットの背後へ回り込む。


「マーガレット、後ろ」


 アレックスが軽く言う。


「はーい!」


 彼女は振り向きもせず、ハルバードの柄を後ろへ突き出した。


 石突が投げ刃の男の胸にめり込む。


「ぐえっ!」


 男が前のめりに倒れる。


 マーガレットは振り返る。


「あ、ごめん。見てなかった」


「見ずに当てるな……」


 男が呻く。


「気配で分かるもん」


「脳筋なのに感覚型ですね」


 レクスターが言う。


「褒めてる?」


「半分ほど」


「また半分!」


 刺客たちは、明らかに動揺していた。


 想定と違いすぎる。


 元第一王子はもっと惨めに弱っていると思っていた。


 平民の護衛は勢いだけだと思っていた。


 知略家の青年は戦闘向きではないと思っていた。


 すべてが外れた。


 中央の男は歯を食いしばる。


「……ふざけるな」


 彼の声に、余裕はなかった。


「王都の中ではあんなに笑いものだったくせに」


 その言葉に、マーガレットの表情が変わった。


 笑顔が消える。


「今、なんて言った?」


 男は荒い息のまま続ける。


「王子失格だってよ。甘いだけの無能。王に向かない。弟殿下の方がよほど――」


 言葉は最後まで続かなかった。


 マーガレットが一歩踏み込んでいた。


 速い。


 怒りで判断が飛んだわけではない。


 むしろ、真っ直ぐすぎるほど狙いが定まっていた。


「それ以上言ったら」


 大地のハルバードの刃が、男の首元すれすれで止まる。


 地面がひび割れていた。


「地面に埋める」


 声は明るくなかった。


 低く、怒りが濃かった。


 男が息を呑む。


 マーガレットの目には、明確な怒りがあった。


「アレックスを知らないくせに、勝手なこと言わないで」


 草原の風が止まったような沈黙。


 アレックスは彼女の背を見ていた。


 胸の奥が痛くなる。


 自分のために怒ってくれる。


 それが嬉しい。


 でも、彼女にこんな顔をさせることが苦しい。


「マーガレット」


 アレックスが呼ぶ。


 マーガレットは振り返らない。


「……止めないで」


「止める」


「やだ」


「お願い」


 その言葉で、マーガレットの肩が揺れた。


 お願い。


 命令ではない。


 制止でもない。


 彼女を信じた上での頼みだった。


 マーガレットは数秒、動かなかった。


 やがて、深く息を吐く。


 ハルバードを下ろした。


「……分かった」


 短く答える。


 アレックスは彼女の隣へ歩く。


「ありがとう」


「もう怒りすぎて疲れた」


「ごめん」


「アレックスが謝ることじゃない」


「うん」


「うんじゃなくて、もっと怒って」


「怒ってるよ」


「見えない」


「見せるのが苦手かも」


「じゃあ練習して」


「怒る練習?」


「そう」


「難しいな」


 マーガレットは少しだけ笑った。


「ほんと、変な人」


「よく言われる」


「誰に?」


「君に」


「そうだった!」


 レクスターは倒れた刺客たちを水の縄で縛りながら言う。


「会話中失礼しますが、敵の拘束は完了しました」


「早いな」


「彼らが弱い」


「言い切った」


「事実です」


 刺客の男が歯を食いしばる。


「殺せよ」


 アレックスは首を振った。


「殺さない」


「甘いな」


「よく言われる」


「だから王子失格なんだよ」


 マーガレットがまた動きかけたが、アレックスが手で制した。


 今度は、アレックスが男の前へしゃがむ。


 目線を合わせる。


 その表情は、優しかった。


 けれど、甘くはなかった。


「誰の命令?」


 男は黙る。


「答えた方がいい」


「答えると思うか?」


「思わない」


「なら聞くな」


「聞くよ」


 アレックスは笑った。


「君が答えなくても、君の反応でレクスターが読む」


 男の目がわずかに動く。


 レクスターが眼鏡を押し上げる。


「今の反応で、王都直属ではなく中間貴族経由の依頼ですね。王命と直接言わなかった。ですが王都の事情には詳しい。おそらく、アーサー殿下の周辺に取り入った派閥の手配」


「……っ」


「沈黙が答えです」


 マーガレットが目を丸くする。


「レクスター、こわ」


「いつものことです」


「自覚あるんだ」


 刺客の男は唾を吐き捨てる。


「知らねえよ」


「そうか」


 アレックスは立ち上がる。


「じゃあ、ここで置いていく」


「は?」


「街道沿いだ。数時間もすれば誰か通る。命は助かる」


「ふざけんな! 俺たちを見逃す気か!」


「見逃すというか、殺す理由がない」


「俺たちはお前を殺しに来たんだぞ!」


「失敗しただろ」


 アレックスが笑う。


「次はやめた方がいい」


 男は言葉を失った。


 怒りと屈辱で顔を歪める。


 だが、それ以上何も言えなかった。


 レクスターが低く言う。


「甘い判断です」


「分かってる」


「次に情報を持ち帰られます」


「だろうな」


「対策されます」


「うん」


「それでも?」


「うん」


 レクスターはしばらくアレックスを見ていた。


 責めるような目ではない。


 確認する目だった。


「あなたは本当に、面倒な人ですね」


「ごめん」


「謝罪は不要です。事実確認です」


 マーガレットが笑う。


「でも、私はそういうアレックスがいい」


「でしょうね」


 レクスターが本を閉じる。


「だから私が面倒な部分を補う必要があります」


「頼りにしてる」


「過度な期待は困ります」


「でも期待してる」


「……面倒ですね」


 レクスターはそう言いながらも、少しだけ口元を緩めた。


 刺客たちを草地の端へ運び、武器をすべて離れた場所に集める。


 水の縄は数時間で解けるように調整した。


 その手際に、マーガレットが感心する。


「便利だね、その本」


「あなたのハルバードほど雑ではありません」


「雑じゃない! 豪快!」


「同義に近い」


「違う!」


 アレックスは刺客の男へ最後に声をかけた。


「君たちも、王都に帰るなら気をつけて」


「……敵に何言ってんだ」


「敵でも、人だから」


 男は何か言おうとして、やめた。


 理解できないものを見る顔だった。


 アレックスはそれ以上言わず、荷物を拾う。


 戦いは終わった。


 初めての旅の戦い。


 血はほとんど流れなかった。


 だが、王都が自分たちをそのまま放っておく気がないことは分かった。


 マーガレットはハルバードを背負い直す。


「……ねえ」


「うん?」


「これからずっと、こういうの来るのかな」


「可能性は高いですね」


 レクスターが答える。


「王都から遠ざかるほど、正規軍よりこうした雑な手段が増えるでしょう」


「雑な手段って言い方」


「実際、雑でした」


「まあ、弱かったし」


「マーガレットが言うと別の意味で聞こえますね」


「どういう意味!?」


 アレックスは王都の方角を見た。


 もう城壁は遠い。


 白い線のようにしか見えない。


 それでも、王都の影はまだ背中にある。


 自分を追い出した場所。


 自分を殺そうとする手を伸ばしてくる場所。


 でも、そこにも守りたい人はいた。


 下町の老人。


 荷車を押す家族。


 頭を下げてくれた侍従たち。


 すべてを憎むことはできない。


 だからこそ、苦しい。


「アレックス」


 マーガレットが隣へ来る。


「大丈夫?」


「うん」


「それ、さっき嘘って言ってた」


「今回は半分本当」


「半分かぁ」


「残り半分は?」


 レクスターが聞く。


「怖い」


 アレックスは素直に答えた。


 風が草を揺らす。


「でも、進むよ」


「うん」


 マーガレットが頷く。


「私も行く」


「私もです」


 レクスターが続ける。


「あなた一人では甘さで死にます」


「言い方」


「ですから、私が冷たく切ります」


「頼もしいな」


「頼もしいでしょ?」


 マーガレットが笑う。


「私も殴るし!」


「それも頼もしい」


「よし!」


 三人は再び歩き始めた。


 古い祠を後にして。


 倒れた刺客たちを背に。


 固いパンの欠片と、春の風と、初めての戦いの余韻を抱えて。


 街道は南西へ続いている。


 遠くには低い丘。


 その先には森。


 さらにその向こうには、まだ見ぬ村や街がある。


 追放された三人は、まだ何も知らない。


 王都の外の広さも。


 人々の暮らしも。


 この先、いくつもの不正と災厄に出会うことも。


 そして自分たちが、ただ逃げるだけの旅では終われないことも。


 けれど、ひとつだけ分かった。


 王都は追ってくる。


 そして彼らは、逃げるだけでは終わらない。


 アレックスは歩きながら、明るく言った。


「とりあえず、次の休憩では柔らかいものを食べたい」


「賛成!」


 マーガレットが即答する。


「パン硬すぎた!」


「柔らかい食料は保存性が低いです」


 レクスターが言う。


「夢を壊すなぁ!」


「現実です」


「じゃあ現実を柔らかくして!」


「不可能です」


 アレックスは笑った。


 その笑い声は、さっきより少しだけ自然だった。


 春の草原に、三人の声が流れていく。


 追放直後の刺客を退けた彼らの旅は、まだ始まったばかりだった。

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