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追放王子の放浪記 ―灯りを守る旅―  作者: 伊佐波瑞樹


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【第35話 北鐘楼の名】


 避難所の中には、しばらく泣き声だけがあった。


 大きな声ではない。


 声を殺すような、押し込めるような、けれど止めきれない泣き声。


 セラとニナ。


 姉妹は、古い毛布の上で抱き合っていた。


 セラの腕にはまだ力がない。


 ニナも、泣き疲れて身体を震わせている。


 それでも、二人は互いの服を掴んで離さなかった。


 まるで、手を離した瞬間、またどちらかが地下へ連れていかれると分かっているかのように。


 避難所にいた人々は、誰もそれを急かさなかった。


 老女は水差しを持ったまま、黙っていた。


 怪我をした若い男は壁際から視線を伏せた。


 子どもたちは、二人の泣き声を聞きながら、毛布を握っていた。


 そこにいる誰もが、何かを失ったことがあるのだろう。


 誰かを待ったことがあるのだろう。


 そして、帰ってこなかった夜を知っているのだろう。


 だからこそ、再会の時間を奪わなかった。


 アレックスは、少し離れた場所に立っていた。


 壁に背を預け、姉妹を見守る。


 胸の奥が静かに痛い。


 約束をひとつ守れた。


 ニナをセラの元へ連れてこられた。


 その事実は、確かに救いだった。


 けれど、同時に思ってしまう。


 守れたのは、ひとつだけだ。


 リゼットは逃げた。


 黒外套も逃げた。


 汚染兵たちは染物倉庫に残っている。


 裏市はまだ動いている。


 グレイルのどこかでは、今も誰かが震えているかもしれない。


 約束を守った瞬間に、新しい約束の重さが背中へ乗る。


 それでも。


 目の前で、ニナがセラを呼んでいる。


「セラ姉……セラ姉……」


 何度も。


 何度も。


 名前を呼んでいる。


 その声を聞くと、アレックスは思った。


 これでいい。


 全部ではなくても、これは確かに意味がある。


 ひとつ守ることは、無意味ではない。


 名前を呼べる再会は、確かに灯りだ。


「……よかったね」


 隣でマーガレットが呟いた。


 彼女は目元を赤くしていた。


 泣くなと言われても、もう少し泣いている。


 ただし、声は出していない。


 レクスターに言われた通り、静かに泣いているつもりらしい。


 アレックスは小さく頷いた。


「うん」


「ニナちゃん、ずっと怖かったよね」


「うん」


「セラちゃんも、ずっとニナちゃんのこと考えてたんだね」


「うん」


「……あの薬師、絶対許せない」


 マーガレットの声が、最後だけ低くなった。


 ハルバードを握る手に力がこもる。


 アレックスは彼女を見た。


「マーガレット」


「分かってる」


 彼女は唇を噛んだ。


「今すぐ殴りに行くとか、言わない」


「うん」


「でも、許せないのは変わらない」


「俺もだ」


 短い言葉。


 それだけで十分だった。


 怒りはある。


 だが、その怒りだけで動いてはいけない。


 薬房で思い知ったばかりだ。


 リゼットは逃げる。


 黒外套は試す。


 裏市は人質を使う。


 感情で飛び込めば、救えるものを失う。


 だから、考える。


 怒りを抱えたまま、考える。


 それが、今のアレックスたちに必要な戦いだった。


「二人とも」


 少し離れた椅子から、レクスターの声がした。


 椅子に座っている。


 水の本は膝の上。


 身体は休めているが、目は閉じていない。


 休む約束をしたはずなのに、明らかに頭は動いている。


 マーガレットがすぐ振り返った。


「レクスター、休んで」


「休んでいます」


「目、開いてる」


「目を閉じることだけが休息ではありません」


「それ絶対言い訳!」


「静かに」


「うっ」


 避難所の中の人々がこちらを見る。


 マーガレットは慌てて口を押さえた。


「ごめん……」


 レクスターはため息をついた。


「声量を調整してください」


「はい……」


「それと、私は本当に休んでいます」


「考え事してる顔」


「休みながら考えています」


「それ休んでない!」


 アレックスは少し笑った。


 いつもの言い合い。


 だが、それがあるだけで空気が少し戻る。


 この避難所に漂う恐怖と疲労を、マーガレットの声が少しだけ揺らしてくれる。


 老女が、そんな三人を見て鼻を鳴らした。


「賑やかな連中だね」


「すみません」


 アレックスが頭を下げる。


「謝ることじゃないよ。ここにいる連中は、静かすぎる夜を知りすぎてる」


 老女はセラとニナを見る。


「泣き声も、言い合いも、生きてる音だ」


 その言葉に、マーガレットの表情が少し緩んだ。


「生きてる音……」


「ただし、外に漏れない程度にしな」


「はい!」


「声が大きい」


「はい……」


 老女は小さく笑い、レクスターへ視線を向けた。


「眼鏡の兄さん、あんた本当に倒れるよ」


「自覚はあります」


「自覚があるなら寝な」


「まだ確認事項が」


「寝な」


 老女の声は短かった。


 レクスターが反論しようとしたが、老女の目を見て止まった。


 アレックスは少し驚く。


 レクスターが押された。


 マーガレットも目を丸くしている。


「……強い」


 マーガレットが呟いた。


「年寄りはね、死にかけた若造の言い訳を聞き飽きてるんだよ」


 老女は水差しを置いた。


「十分寝ろとは言わない。そんな時間はないだろう。でも、目を閉じな。考えるのは、そのあとでいい」


 レクスターは沈黙した。


 長い沈黙だった。


 やがて、彼は眼鏡を外した。


「……二十分」


「三十分」


「二十分」


「三十分」


「……」


「三十分」


「……分かりました」


 マーガレットが小さく拳を握った。


「勝

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