【第17話 見張り小屋の夜】
森の夜は、音が濃かった。
王都の夜とは違う。
石畳を歩く靴音もない。
遠くの鐘もない。
巡回兵の鎧の擦れる音もない。
代わりにあるのは、葉擦れ。
虫の声。
湿った土を踏む小さな音。
どこか遠くで鳴く獣の声。
そして、見張り小屋の周りに集まった人々の、浅い呼吸だった。
古い見張り小屋の前には、小さな焚き火が三つ作られていた。
火は大きくしない。
煙も抑える。
レクスターの指示だった。
「火は暖を取るためだけです。目立てば、こちらの位置を知らせることになります」
そう言われ、マーガレットは少し不満そうに薪を見下ろした。
「大きい火の方が安心するのに」
「安心と安全は別です」
「またレクスターが現実を言う」
「現実なので」
「たまには夢も見ようよ」
「夢は見張りの交代時間外にお願いします」
「厳しい!」
そんなやり取りをしながらも、マーガレットは言われた通りに薪を調整していた。
明るすぎず。
暗すぎず。
近くの子どもたちが震えない程度に。
森の奥から見つかりにくい程度に。
焚き火の光は弱い。
それでも、檻の中で夜を迎えるよりずっとましだったのだろう。
解放された人々は、火の近くに身を寄せていた。
大人たちは、まだ完全には安心していない。
火を囲んでいても、森の奥へ何度も視線を向ける。
少し枝が鳴れば肩を震わせる。
人買いたちが縛られている木の方を見て、顔を強張らせる。
子どもたちは、さらに静かだった。
泣く子もいる。
眠る子もいる。
眠っていても、時々びくりと身体を震わせる子もいる。
檻の中で覚えた恐怖は、扉が開いたからといってすぐ消えない。
アレックスは、それを見ていた。
胸の奥が重くなる。
助けた。
確かに助けた。
でも、助けた瞬間にすべてが治るわけではない。
怯えた目。
縮こまった肩。
小さな物音に反応してしまう身体。
その全部が、まだここに残っている。
マーガレットは子どもたちの近くに座っていた。
大地のハルバードは少し離れた場所に置いている。
彼女はいつもより声を抑え、子どもたちに干し芋を小さく割って配っていた。
「ちょっとずつね。急にいっぱい食べると、お腹びっくりするから」
「まーがは食べないの?」
檻から出された男の子が聞いた。
さっきまで声を出せなかった子ではない。
少し年上の、痩せた少年だった。
マーガレットは笑う。
「私はあとで食べる!」
少し離れた場所から、レクスターが即座に言った。
「その“あとで”は信用できません。あなたも今食べてください」
「えー」
「えー、ではありません。あなたは空腹になると判断が雑になります」
「私、そんなに?」
「はい」
「即答!」
子どもたちが小さく笑った。
それを見て、マーガレットはわざと大げさに頬を膨らませる。
「レクスター、ひどいよね?」
子どもたちは顔を見合わせる。
ひとりが小さく頷いた。
「ひどい」
「ほら!」
「ですが正しいです」
レクスターは平然と返した。
「正しいひどさ!」
マーガレットが叫ぶ。
また、子どもたちが笑った。
今度は少しだけ声が出た。
焚き火の周りの大人たちも、ほんの少し目元を緩める。
その光景を見て、アレックスは救われる気がした。
マーガレットの明るさは、やっぱり強い。
戦場で地面を割る力だけではない。
冷えた場所に、少しだけ火を戻す力がある。
それは、今のこの場所に必要なものだった。
見張り小屋の中では、ミナが毛布にくるまって眠っていた。
熱はまだ完全には下がっていない。
だが、レクスターの処置と休息のおかげで呼吸は少し落ち着いている。
トマはそのそばに座り、木の棒を抱えていた。
眠ればいいのに、眠らない。
妹を見ている。
入口も見ている。
外の焚き火も気にしている。
子どもの身体に、大人以上の警戒を詰め込んでいる。
アレックスは小屋の入口に立ち、静かに声をかけた。
「トマ」
トマはびくりとした。
だが、すぐに睨む。
「何」
「少し休んだらどうだ」
「休んでる」
「目、開いてる」
「目を開けたまま休める」
「すごいな」
「からかうな」
「ごめん」
アレックスは小屋の壁に背を預けるようにして座った。
トマとの距離は、少し空けている。
近づきすぎない。
逃げ場を塞がない。
それを意識していた。
「ミナは?」
「寝てる」
「うん」
「……熱、下がるのか」
「レクスターが言うには、休めば大丈夫だって」
「あいつ、怖いけど薬は分かるのか」
「分かる」
「怖いけど?」
「うん。怖いけど」
トマは少しだけ口元を動かした。
笑う寸前の顔だった。
だがすぐに真顔に戻る。
「お前たち、ほんとに変だ」
「そうかな」
「変だよ」
「今日だけで何回も言われてる」
「言われるだろ」
「うん」
沈黙。
小屋の外から、マーガレットと子どもたちの小さな声が聞こえる。
レクスターが大人たちに水の煮沸や怪我の処置を説明している声も、時折混じる。
トマは棒を抱えたまま、ぽつりと言った。
「戻ってきた」
「うん」
「本当に戻ってきた」
「約束したから」
「約束しても、戻らない大人はいる」
その言葉は、鋭かった。
アレックスはすぐには答えなかった。
トマの過去に何があったのかは知らない。
けれど、その言葉の中には確かな痛みがあった。
戻ると言って戻らなかった人。
助けると言って助けなかった人。
守ると言って守れなかった人。
トマは、それを知っている。
「そうだな」
アレックスは静かに言った。
「いると思う」
「じゃあ、なんで約束するんだ」
「守りたいから」
「守れなかったら?」
トマの声が少し強くなる。
「守れなかったら、嘘になる」
「うん」
「だったら最初から言うなよ」
その言葉は、怒りだった。
でも、その奥にあるのは恐怖だった。
期待して裏切られるのが怖い。
信じたあとで失うのが怖い。
子どもがそんなことを覚えてしまっている。
アレックスは胸が痛んだ。
「トマ」
「何」
「俺も、守れなかった約束がある」
トマがこちらを見る。
アレックスは小さく息を吐いた。
「王都で、守りたいと思っていたものがあった。でも、守れなかった。たくさん置いてきた」
「……王都の人間なのか」
「元は」
「貴族?」
「もっと面倒なもの」
「何だよ、それ」
「そのうち話す」
「今話せよ」
「長いから」
「逃げたな」
「少し」
トマは目を細めた。
だが、さっきほどの棘はない。
アレックスは続ける。
「守れないかもしれないから、約束しない。そういう考えもあると思う」
「……」
「でも、約束しないと、歩けない時もある」
「歩けない?」
「戻るって言わなかったら、戻らなくてもいい理由ができる。助けるって言わなかったら、助けられなくても仕方ないって思える」
アレックスは焚き火の光を見る。
「俺は、それが少し怖い」
トマは黙っていた。
「だから言う。守るために。戻るために。自分が逃げないために」
「……自分のため?」
「うん」
「人のためじゃなくて?」
「人のためでもある。でも、自分のためでもある」
アレックスは少しだけ笑った。
「俺はそんなに立派じゃないから」
トマは、しばらく彼を見ていた。
そして、ぽつりと言う。
「変な大人」
「それも今日何回か言われた」
「でも」
トマは視線をミナへ戻す。
「戻ってきたから、今は少し信じる」
その言葉は、本当に少しだった。
全面的な信頼ではない。
まだ疑っている。
まだ怖がっている。
それでも、ゼロではない。
アレックスは頷いた。
「ありがとう」
「礼を言うな。変だ」
「ごめん」
「謝るな」
「難しいな」
トマは小さく息を吐いた。
その肩が、ほんの少しだけ下がる。
ずっと張り詰めていた糸が、少しだけ緩んだようだった。
アレックスは立ち上がる。
「少し外を見る」
「逃げるのか」
「戻るよ」
「……分かった」
トマはそれ以上言わなかった。
外へ出ると、森の夜気が頬を撫でた。
焚き火の周囲では、解放された人々が少しずつ落ち着きを取り戻していた。
ただし、全員が眠れるわけではない。
身体は疲れているのに、目だけが眠れない人もいる。
人買いたちが縛られている場所から、時折呻き声が聞こえる。
太った指揮役の男は、腕の黒い筋が薄れたとはいえ、まだ顔色が悪い。
レクスターは彼の近くで帳簿を確認していた。
焚き火の光に照らされる紙束。
そこに記された名前と数字。
それを読むたびに、レクスターの表情は少しずつ冷えていく。
「どうだ?」
アレックスが近づいて聞く。
「最悪です」
即答だった。
「予想以上に?」
「はい」
レクスターは帳簿の一ページを指で押さえた。
「取引先が複数あります。グレイル裏市だけではない。旧街道沿いの小規模な採掘場、南西の農園、さらに名前を伏せた買い手もいる」
「人を売っていた先か」
「ええ」
「どれくらい」
「少なくとも数十人単位。記録にあるだけで」
アレックスは息を呑んだ。
マーガレットも近くへ来る。
子どもたちが眠り始めたため、少し離れていたのだ。
「数十人……?」
「記録にあるだけです」
レクスターの声は冷たい。
「記録に残さない取引もあるでしょう。実数はもっと多い」
「……最低」
マーガレットの声が震える。
「本当に、最低」
アレックスは帳簿を見る。
文字。
数字。
金額。
取引先。
人の人生が、そこに事務的に並んでいる。
怒りがまた沈んでいく。
深く。
静かに。
「グレイルへ行けば、助けられる人がいる」
アレックスが言った。
「いるでしょうね」
レクスターが答える。
「ただし、同時に危険です。裏市に関わる者たちが、どこまで町に食い込んでいるか分からない」
「町全部が敵の可能性」
「あります」
「味方は?」
「いる可能性もあります」
「探せる?」
「慎重に探す必要があります。いきなり詰所へ行くのは危険。帳簿を見せれば奪われるか、こちらが消される」
「消されるって……」
マーガレットが眉を寄せる。
「役人に?」
「腐っていれば」
「うわ、嫌」
「現実です」
「現実、嫌すぎる」
レクスターは帳簿を閉じた。
「まず、グレイルへ入る前に解放した人々をどうするかです」
「町へ連れていくのは危険?」
アレックスが聞く。
「はい。裏市の関係者に見つかれば、再び狙われる可能性があります」
「ラドナ村へ戻す?」
「距離があります。人数も多い。村に余裕もない。全員を連れて戻れば、村の負担が増えます」
「でも放置はできない」
「当然です」
「近くに安全な場所は?」
レクスターは地図を広げた。
古い森番小屋の周辺。
旧街道。
グレイル。
ラドナ村。
そして、森の北側に小さな礼拝所の印がある。
「ここ」
アレックスが指差す。
「礼拝所?」
「古い旅人用の礼拝所ですね。現在使われているかは不明」
「人がいる可能性は?」
「低いですが、建物として残っていれば一時避難場所にはなる」
「そこへ移す?」
「明日の朝、確認する価値はあります」
マーガレットが頷く。
「子どもと怪我人、そこで休ませたいね」
「はい。ただし、そこが安全なら」
「じゃあ明日、まずそこを見る」
アレックスが言う。
「そのあとグレイル?」
「状況次第です」
レクスターは慎重だった。
「人々を礼拝所へ移せるなら、私たち三人でグレイルへ入る方が動きやすい」
「トマとミナは?」
「礼拝所が安全ならそこへ」
マーガレットが少し顔を曇らせる。
「トマ、納得するかな」
「しないでしょうね」
レクスターが即答する。
「だよね」
「妹を守る意識が強い。こちらへ同行したがる可能性があります」
「でも危険」
「危険です」
アレックスは小屋の方を見る。
トマは入口近くに座ったままだ。
眠ってはいない。
ミナを見ている。
あの子を無理やり置いていくことはできない。
けれど、連れていくわけにもいかない。
その判断もまた、重い。
「話すよ」
アレックスが言った。
「朝になったら」
「今でなく?」
「今は少しだけ休ませたい」
「正しい判断です」
レクスターが言う。
「珍しく褒めるな」
「最近、あなたが少しだけ学習しています」
「少しだけか」
「少しだけです」
マーガレットが笑う。
「でも、アレックス頑張ってるよ」
「それは否定しません」
「素直!」
「事実なので」
その時、縛られていた人買いの一人が呻いた。
「……水」
マーガレットの顔が一瞬険しくなる。
彼らは加害者だ。
水を求められて、すぐに渡したいとは思えない。
だが、放っておくのも違う。
彼女は葛藤した顔で水袋を見た。
アレックスが静かに立ち上がる。
「俺が」
「アレックス」
「大丈夫」
彼は水袋を持って、人買いの男の前にしゃがんだ。
男は縄で縛られたまま、乾いた唇を開く。
アレックスは水を少しずつ飲ませた。
男はむせながらも飲む。
「……なんで」
また、その問いだった。
「俺たちに水なんか」
「喉が渇いてるだろ」
「俺たちは、お前らの敵だ」
「うん」
「人を売った」
「うん」
「なのに、水をくれるのか」
「罪と水は別だ」
男は理解できない顔をした。
アレックスは淡々と続ける。
「君たちがしたことは許されない。逃がすつもりもない。でも、喉が渇いている人に水を与えない理由にはならない」
男はしばらく黙っていた。
それから、かすれた声で呟く。
「……気味が悪い」
「よく言われる」
「お前、損するぞ」
「もうしてる」
男は一瞬だけアレックスを見る。
追放されたことなど知らないはずだ。
だが、その言葉に何かを感じたのかもしれない。
「……グレイルは、甘い奴から死ぬ」
男が言った。
アレックスの目が細くなる。
「どういう意味だ」
「優しい奴、正直な奴、困ってる奴を放っておけない奴。そういうのから裏市に食われる」
「経験談か」
「見てきた」
男は目を伏せる。
「俺も、最初からこうだったわけじゃない」
マーガレットが遠くから睨む。
その言葉に同情する気はない。
しかし、アレックスは聞く姿勢を崩さなかった。
「何があった」
「借金だよ。グレイルで荷運びしてた。失敗して、金借りて、返せなくなって、仕事を回された。最初は荷物の番。次は見張り。次は……人の移送」
「断れなかった?」
「断れば沈む」
「沈む?」
「川に」
沈黙。
橋の下を流れていた細い川が、頭をよぎる。
グレイルの裏市。
腐った役人。
消える人々。
アレックスは静かに息を吸った。
「だからって、君がしたことは消えない」
「分かってる」
「でも、話せるなら話してくれ」
「……何を」
「グレイルの裏市について。誰が関わっているか。どこに人がいるか。黒外套とどこで会ったか」
男はしばらく黙っていた。
焚き火がぱちりと鳴る。
やがて、彼は小さく言った。
「話したら、殺される」
「守る」
アレックスが即答した。
男は笑った。
乾いた、諦めた笑いだった。
「お前、何人守るつもりだ」
「守れるだけ」
「馬鹿だ」
「よく言われる」
「本当に馬鹿だ」
男は目を閉じた。
「……でも、あの黒外套はやばい」
「知ってる」
「いや、分かってねえ。裏市の連中も最初は利用するつもりだった。でも、逆だ。あいつが裏市を使ってる」
レクスターが近づく。
「詳しく」
「黒外套は、欠片を渡した。人を弱らせる道具だと言った。逃げなくなる、従順になる、値が上がるって」
マーガレットの拳が震える。
「でも違った」
「違った?」
「欠片を近くに置くと、人が変になる。熱を出す。夢を見る。身体に黒い筋が出る。何人かは……売り物にならなくなった」
「だから捨てた?」
レクスターの声が低くなる。
男は答えなかった。
それが答えだった。
マーガレットが立ち上がりかける。
アレックスが手で制する。
自分の手も、震えているのが分かった。
「その人たちはどこへ」
「森の奥に捨て場がある」
空気が凍った。
「捨て場……?」
マーガレットの声が消えそうになる。
男は目を逸らした。
「動かなくなった奴、黒い筋が出た奴、使えなくなった奴を運ぶ場所だ」
レクスターの表情が完全に冷えた。
「場所は」
「ここからグレイル寄りの谷。古い礼拝所の近くだ」
アレックスたちは、同時に地図を見た。
先ほど避難場所として候補に挙げた礼拝所。
その近く。
つまり。
「安全じゃない」
マーガレットが呟いた。
「はい」
レクスターの声は硬い。
「むしろ最悪の場所です」
「そこに、人がいるかもしれない」
アレックスが言う。
男は首を振る。
「生きてるかは知らない」
「いるかもしれない」
「……ああ」
焚き火の周りが静まり返った。
解放された人々の何人かも、その話を聞いていた。
顔を青ざめさせる者。
口を押さえる者。
誰かの名を小さく呼ぶ者。
そこに、消えた家族がいるかもしれない。
友人がいるかもしれない。
そして、もう手遅れかもしれない。
重すぎる沈黙が落ちた。
アレックスは目を閉じた。
心の中で、何かが軋む。
グレイルへ急ぐべきだ。
黒外套を追うべきだ。
欠片を取り戻すべきだ。
でも、捨て場があると知ってしまった。
そこに人がいるかもしれない。
見ないふりはできない。
レクスターが静かに言う。
「行くつもりですね」
「うん」
「でしょうね」
「止める?」
「止めません」
アレックスが目を開く。
レクスターは地図を見ていた。
「止めても無駄ですし、私も確認すべきだと判断しています」
「レクスター……」
「ただし、全員を連れて行くのは論外。少人数で確認します」
「誰が行く?」
「私とアレックス」
マーガレットが即座に反応した。
「待って。私も行く」
「あなたはここに残るべきです」
「なんで!」
「子どもと解放者の護衛が必要です。人買いたちの見張りもある。あなたがいれば、ここを襲われても対応できる」
「でも」
「それに」
レクスターはマーガレットを見た。
「捨て場の状態次第では、あなたの感情が危険です」
マーガレットが言葉を失う。
それは鋭い指摘だった。
人が捨てられた場所。
子どももいるかもしれない場所。
もし、そこで最悪のものを見たら。
自分が冷静でいられるか分からない。
マーガレットは唇を噛んだ。
「……ずるい」
「ずるくても必要です」
「私だって行きたい」
「分かっています」
「分かってて置いてくの?」
「はい」
レクスターは冷たく言った。
でも、その冷たさの奥に信頼があった。
「ここを任せられるのは、あなたです」
マーガレットの目が揺れる。
「……任せる?」
「はい」
「私に?」
「はい」
「……」
マーガレットは俯いた。
数秒。
拳を握りしめる。
そして、顔を上げた。
「分かった」
声はまだ少し震えている。
「ここ、守る」
「助かります」
「でも、危なかったらすぐ戻ってきて」
「はい」
「アレックス」
「うん」
「無茶しないで」
「する前にレクスターが止める」
「信用できる」
「私への信用だけ高いですね」
レクスターが言う。
「レクスターは止める時、容赦ないもん」
「事実です」
アレックスはマーガレットを見る。
「ここを頼む」
「うん」
「トマとミナも」
「任せて」
「解放された人たちも」
「任せて」
「人買いたちが逃げたら」
「ぶっ飛ばす」
「ほどほどに」
「そこは保証できない」
「保証してください」
レクスターが即座に言った。
マーガレットは少しだけ笑った。
「努力する」
夜はさらに深くなっていた。
森の闇は濃い。
捨て場へ向かうには危険な時間だ。
だが、朝まで待てるか。
もしそこに生きている人がいるなら、一刻でも早い方がいい。
レクスターは地図と男の証言を照合し、進路を決めた。
「半刻ほどです」
「行こう」
アレックスが言う。
二人が立ち上がると、トマが小屋の入口から顔を出した。
「どこ行くんだ」
「少し確認に」
「危ないところだろ」
「うん」
「また戻るって言うのか」
アレックスはトマを見る。
短い沈黙。
「戻る」
トマは顔を歪めた。
「約束、多すぎる」
「そうだな」
「……でも、戻れ」
「うん」
トマは棒を握りしめた。
「ミナは俺が見る」
「頼む」
「まーがもいる」
「うん」
「だから、戻れ」
アレックスは頷いた。
「必ず」
マーガレットが焚き火の前に立つ。
ハルバードを手に、夜の小屋を守る姿勢で。
「行ってらっしゃい」
その声は明るかった。
でも、心配が滲んでいた。
アレックスは笑う。
「行ってくる」
レクスターは水の本を抱え直す。
「短時間で戻ります」
「そういう言い方が一番安心する」
マーガレットが言う。
「感情的な表現より具体性です」
「はいはい」
二人は森の奥へ歩き出した。
見張り小屋の灯りが背後で小さくなる。
マーガレットの立つ姿も、焚き火の光の中へ溶けていく。
森は暗い。
湿った空気が、喉に絡む。
足元の落ち葉が沈む。
遠くで、水の音が聞こえる。
そして、そのさらに奥から。
かすかに。
本当にかすかに。
誰かの呻き声が聞こえた。
アレックスの足が速くなる。
レクスターが低く言った。
「走らないでください」
「分かってる」
「分かっていません」
「……分かってる」
「なら、呼吸を整えて」
アレックスは息を吸った。
怒りと焦りを押さえ込む。
見てしまったから進む。
でも、焦って見落とせば誰も救えない。
レクスターの言葉が、今は必要だった。
闇の奥。
古い礼拝所の方角。
そこに、人買いたちが捨て場と呼んだ場所がある。
人を人として扱わなかった者たちの、最後の隠し場所。
アレックスは雷の刃に手を添えた。
優しいだけでは進めない夜がある。
それでも、優しさを捨てたくはなかった。
二人は闇の中へ進んでいく。
見張り小屋の夜は、まだ終わらない。
そして森の奥には、さらに深い闇が口を開けて待っていた。




