9 三ヶ月で三拠点制圧したら、幻庵が飛んできた
幻庵のじじいと約束した「三ヶ月」の期限がきた。
小机城の広間で、俺は幻庵と対峙していた。
じじいは、鶴からの「ありえない報告」を信じることができず、直接自身の目で確かめようと予定を早めて飛んできたらしい。
俺の手には、現代の役員会議で使っていたような、要点が整理されたパワーポイント風の報告書。
「お父上。遠路お越しいただき、感謝に堪えません」
「……鶴は、息災か?」
じじいの目が泳いでいる。気が気じゃないんだろうな。
「はい。私には勿体ないほど、最高のパートナーです」
(幻庵視点:鶴め、数ヶ月で婿を骨抜きにしたか……。まあ、娘の傀儡になったのなら管理はしやすいが……)
だが、俺の第一声で、じじいの目論見は粉砕される。
「では、この三ヶ月の決算を報告します。まずは結論から。小机、神奈川、佐江戸の三拠点の既得権益を完全に掌握。収益は当初予測の四倍を達成しました」
報告書をめくる幻庵の手が止まった。そこには単なる数字だけでなく、「なぜ寺を潰す必要があったか」という法的根拠とロジックが理路整然と並んでいた。
「三郎……貴様、神奈川の座まで解体したのか? これは北条の法に触れるぞ」
「いいえ。報告書の三枚目をご覧ください。彼らは武田、あるいは他家と内通し、北条の安寧を脅かすリスクを孕んでいました。武田との関係が不安定な今、これは必要な措置でした」
証拠? そんなものは鶴が捏造した。だが、目の前に積まれた莫大な利益こそが、この戦国における唯一の真実だ。
「お父上。これら新拠点は、今や北条直轄地を上回るような高収益部門です。この利益で、既に五百人の常備兵を組織しました。……この兵はお父上の、ひいては北条の盾となります」
幻庵はじじい特有の苦笑いを浮かべた。
「……三郎。お前は筆一本で国を盗むつもりか」
「滅相もございません。領地の健全化ですよ。……鶴姫のサポートがなければ、ここまでできませんでした」
「待て、鶴が……? ……鶴を呼べ」
暫く逡巡していたが、じじいは鶴をこの場に呼んだ。
入室し、平伏する鶴姫。幻庵が問い詰める。
「鶴、どこまで手を貸した」
幻庵の声が低く落ちた瞬間、鶴姫の睫毛がピクリと震えた。その表情は、幼い頃から叩き込まれた父への畏怖が反射的に滲み出たもののようだ。だが次の瞬間には、いつもの冷静の冷静な鶴の顔へと戻り、静かに頭を上げた。
「お父上、お戯れを。か弱き女子に何ができましょう」
怯えの影は、もうどこにもなかった。
「減らず口を。この報告はまるで国盗りではないか。……顔を上げろ」
ゆっくりと頭を上げた鶴の表情は、俺の大好きな、事業責任者のそれだった。
「三郎様の仰る通りですわ。敵対勢力の沈黙化、自領への取り込み、産業振興による新たな利益の創出……。それが私共の成果です。私はただ、影ながら情報の収集と、正しい情報の流布を担当したまでですわ」
幻庵は苦虫を噛み潰したような顔をした。
(不覚だ……! 混ぜてはならない劇薬と劇薬を混ぜて、とんでもない猛毒を生み出してしまった! 鶴は暫く大人しくしていると思ったのだが……)
「あ、あと」
「む」
(まだあるのか……)
更に鶴が追い打ちをかける。
「こちらで作れました酒盆。とても良いものですので、小田原の親しくしている方々にお送り致しました」
「……重臣の奥方にばかり送ったのは、やはりお前だったのか」
(その酒盆が出回ったせいで、儂の下に我先にと求める者たちで大変なことになっておるわ)
小田原では、酒盆を手に入れた奥方たちが、自分達の肌と石鹸に混ぜ込まれた花の香りを競い合っていた。鶴は複数の花の香りを用意して、それぞれ印象に合わせて贈っていた。フレッシュな酸味の柑橘、清涼感を感じる薄荷、少しスパイシーな菖蒲など。そのことがより一層、奥方たちは相手に自慢したい、もっと手に入れたいという気持ちを煽っていた。
「お前の香りも酒盆によるものか?」
「勿論です。今日の香りは浜茄子(ハマナス 薔薇)です。三郎様に調合して頂いた香りなのです。とても華やかな香りで大好きなのです。……ただ、花が小さいので中々沢山作れないのが悩みです」
海岸に自生している、野生の薔薇のよゆ野性的だが甘く華やか香りだ。
(これは、寧ろ三郎に言い含められてるではないか)
「……婿殿とは、上手くいっているようだな」
鶴姫は、パッと顔を輝かせた。
「控えめに申し上げて、最高の夫ですわ!」
頬を赤らめる鶴に、幻庵の家臣たちが見惚れる。
(やめろお前ら! こいつはそんな風に愛でる対象じゃない、毒花だぞ!)
「……もうよい。よーくわかった」
じじいはこめかみを押さえ、絞り出すように言った。
「鶴よ。……良かったな、焦がれた相手と結ばれて」
「鶴は幸せ者でございます」
「お父上。一つご相談が」
「……まだあるのか」
「今回の利益の一部を、小田原の氏康公へ特別見舞金として贈りたいと考えております」
「私も氏康公の御身が気がかりです。ぜひ、直にお見舞いへ」
幻庵は察した。
(本当に似た者夫婦だ……。利益を積んで宗家の口を封じるつもりか)
「……よかろう。儂も小田原まで同行する」
幻庵の前を辞した後、俺と鶴は顔を見合わせた。
「三郎様、お見事ですわ。父上も、あれだけの銭を積まれれば毒を薬として飲むしかありませんもの」
「鶴のおかげだよ」
そう言った瞬間、鶴姫の動きが止まった。普段は決して乱れない彼女の呼吸が、わずかに遅れる。
「……っ」
頬に、ほんの一瞬だけ朱が差した。すぐに扇子で口元を隠し、いつもの妖艶な笑みに戻る。
「……旦那様は、時々ずるいですわ。……さて」
鶴姫が俺の耳元で声を潜める。
「小田原の氏康公、いよいよお食事が喉を通らぬご様子。……三郎様が小机で作らせていた石鹸と、あの徳本先生から教わった医術。それで、氏康公を治せますか?」
俺は鶴の腰を引き寄せた。
「俺たちはまだ始めたばかりだ。俺たちが国を盗るまで、氏康公に復権してもらわないとな」
「ふふ……楽しみですわ、旦那様」




