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鶴姫と景虎の国盗り経営録 ──戦国の怪物たちを円卓に集めたら資本で世界を取りに行った件  作者: みなと
第6章 信長・天下編 ~戦国の終わり、八洲商会の誕生と世界の始まり~

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86 羽柴秀吉、最期の計算違い──民の怒号が猿を呑み込む

 越前 栃の木峠近くの山中。

「……急ぐぞ。この峠を越えれば近江だ。坂本につきさえすれば、我らは生き残れる」

「光秀殿、少し休まれた方が」

「駄目だ。……このあたりは、我らが散々調略を行なった地だ。こんな少数。地元の者たちに見つかれば、逃げられぬ」


 しかし、周囲はいつの間にか農民たち、それに朝倉の残党によって囲まれていた。

「……あんたら、散々俺たちを追い詰めてくれたなぁ」

「父ちゃんを返せ!」

「殺してやれ!!」

「生ぬるいわ、八つ裂きにしろ!」

 何十もの竹槍が光秀たちに向けられる。対する光秀は部下を含めて僅か五名。

「……これが、上杉殿の仰る『義』だというのか! 約束を守り、私を坂本へ向かわせる……だが、守るべき兵も武器も与えぬ。それは、天にこの光秀を裁けと申されるに等しい! 農民よ、その竹槍を引け! 私は……私は正しき世を創るために……!」

「黙れ、死ね!」

 その時、山中から朝倉残党たちに向けて何十発という鉄砲が撃ち込まれた。

「なんだ? 織田軍か?」

 そこに姿を現したのは鶴が指揮する一隊であった。

「あれは、上杉じゃ。逃げろ、殺されるぞ」

 蜘蛛の子を散らすように逃げて行く農民たち。

「……忝ない。景虎殿の手の者か?」

「はい。景虎様から伝言です。御実城様は『同行は認めぬ』とは仰せだったが、道中の安全を『保証せぬ』とは仰っていない。故に、我らを派遣する、と」

 「……信長様を裏切り、輝虎公に試され、景虎殿に拾われた。この命、もはや私のものではございませぬな。景虎殿の義を根付かせるための礎にさせてくだされ。そうお伝え頂きたい」

「間もなくお会いになるでしょう。直接申されよ」


 秀吉は、俺の側室のふるきから贈られた極上の大徳寺の酒を抱え、軽快な足取りで山道を下っていた。

「毒入りなどと、あからさまな手を使うわけはないだろうがな。……だが、用心に越したことはねえ」

 秀吉は道すがら、鼻歌まじりに酒瓶の封を切った。

「勿体ねえが、道連れは御免だわ。……俺の未来には、黄金と重臣が待っているんだからな」

 「秀吉様、急ぎませぬか? ここはまだ安全な場所とは言えません」

 「美濃の百姓ども? あんなのは殴れば黙る。殴って米を出させりゃいいんだよ。俺はそうやって出世してきたんだ」

 ドボドボと、芳醇な香りを漂わせる酒を道端に捨てる秀吉。彼は知らない。その酒には、一滴の毒も入っていなかったことを。

 だが、酒を捨て終えた秀吉の前に現れたのは、黄金の未来ではなく、数百人の飢えた一揆勢だった。


 秀吉は刀に手をかける。

「……貴様ら! どけ! 儂は羽柴……」

「羽柴秀吉でしょう。よく知ってる」

 一揆勢の後ろから、見窄らしい浪人が現れた。

「誰じゃ」

「佐伯、と申します。……お忘れでしょうなぁ。私のことなど」

「……佐伯。……おぅおぅ、よく覚えておるぞ。以前、景虎様のことを教えてくれたな。儂はな、その景虎様から岐阜を任されたのよ。そうだ、佐伯よ。そこの農民たちを取り成してくれぬか。儂はそなたを取り立てるぞ!」

「黙れ」

「ん?」

「景虎様だと? 私は、その、三郎景虎によってここまで落ちぶれた。なのに、その三郎に尻尾を振った貴様に仕えろだと? ふざけるな」

「……いや、そういうわけではなく。その、そなたを初めて会った時から買っていたのだ。……それに、儂は何時までも、仕える気はない。……そう、今は雌伏の時! 共に景虎打倒をやろうではないか」

「……私は、三郎景虎に策を破られ、すべてを失った。だが、その景虎は戦場で泥を啜り、仲間と飯を食う男よ。貴様のように、主君の首を銀貨に換えて笑う下衆とは魂の格が違う。私が生涯をかけて倒す相手はそういう男だ。…… 皆の衆!!もう十分だ。この男は織田で圧政を敷いて、その織田を裏切り、大量の褒賞を得ている。山程の財を持っているぞ!!」

「お前だ! 俺たちの村から最後の一粒まで米を奪っていったのは!」

 かつて秀吉が信長のために、そして自らの手柄のために散々「徴発」し尽くした民たちの憎悪。

「待て! 待て待て! お前ら、儂が誰だか分かっとるのか! 和紙は上杉様から岐阜を任された男だぞ! 金か? 金が欲しいのか! ……あ、あぁ……そうか、それで武装解除か……。輝虎様、あんた、最初からこうするつもりだったのか……! 報酬なんてのは、あの世への冥土の土産だったってわけかよ……!」

 押し寄せる農民たち。秀吉が慌てて懐から放り投げたのは、あの上杉の銀貨だった。

「ほ、ほら 銀だ! これで米を買え!」

しかし、輝虎によって武装解除を命じられ、手勢もいない秀吉の言葉に耳を貸す者はいない。

「銀なんて食えねえんだよ!」

投げられた銀貨は、泥の中に沈む。

 

 その影で、冷たい瞳で凄惨な光景を見つめる鶴と、可笑しそうに扇子で口元を隠すふるき。

「……あら、勿体ない。あのお酒、本当に良いものだったのに」

「……旦那様の手を汚すまでもないわ。彼は、自分が積み上げた『数字(犠牲)』に食い殺されるのがお似合いよ」

秀吉の悲鳴は、民衆の怒号にかき消された。算盤の時代を誰よりも早く理解した男は、算盤からこぼれ落ちた端数たちの手によって、その生涯を閉じた。


「申し訳ありません。御実城様。明智光秀は我らの手勢が間に合い保護出来たのですが。羽柴秀吉、美濃に向かう途中、農民たちの襲撃を受け、死亡とのことです」

「義とは、神仏の裁き。刃を振るうまでもない。彼らは自らの生業によって、自らの結末を選んだのだ」

輝虎は、返り血一つ浴びることなく、静かに岐阜城へと歩を進めた。

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