84 勝家の特攻で陣地が崩れかけた瞬間、秀吉が背中から刺しにきた
手取川を眼下に臨む丘の上、織田信長の本陣には、重苦しい沈黙の中にあった。
先陣の敗退、二千の死傷者。その報告を聞いてもなお、信長の表情には微塵の揺らぎもない。
「……武田の鉄砲、射程は我らの倍、威力は盾を突き破る、か」
信長は、勝頼軍から撃ち込まれた弾丸を弄びながら、傍らに控える明智光秀へ視線を投げた。
「光秀。お主の調べでは、奴らは全ての兵に給金を払い、年金なる仕組みまで整えているそうだな。……笑わせる。銭で縛った兵に、我が天下布武の火を消せると思うてか」
「……殿。上杉の法は、確かに理に叶うております。なれど……」
光秀は平伏しながら、その実、俺たちが敷いた新たな世界の図面を頭の中でなぞっていた。信長の天下は、古い秩序を焼き払い、その灰の上に立つ。だが上杉三郎景虎は、焼き払いなどせず、全く新しい理を上書きしようとしている。
「なれど、何だ」
「いえ……。ただ、これほどの物資、これほどの精度。もはや、戦というよりは作業にございます。景虎は、戦を仕組みに変えてしまいました」
「仕組みか。ならば、その仕組みを食い破るのが、我が軍法よ」
信長は弾丸を握りつぶすように拳を固めると、最前線の柴田勝家へ伝令を放った。
「勝家に伝えよ。全軍、引くことは許さぬ。死兵となって橋となれ。後ろに下がる者は、この信長自らが斬るとな」
一方、最前線の柴田陣営。
「鬼柴田」と恐れられる勝家ですら、眼前の光景には血の気が引いていた。
「……何だ、あの土嚢の壁は。崩しても崩しても、蟻の這い出る隙間もない!」
与力の佐々成政、前田利家らは、傷ついた具足を直す暇もなく、次々と兵を突撃させていた。
「権六(勝家)殿! このままでは兵が持ちませぬ! 我らが敵陣に攻めようとすると、武田の赤揃えが、左右から執拗に揺さぶりをかけてくる。まるで、我らを逃がさぬよう、このキルゾーンへと押し込めているようだ!」
利家の叫びに、勝家は血走った眼で怒鳴り返す。
「分かっておるわ! だが引けば殿に首を跳ねられる! 行け! 死んで屍を積み上げれば、いつかは弾も尽きるはずだ!」
勝家の先鋒隊が泥にまみれ、返り血を浴びながらも叫び、突撃を繰り返す。
「銭で命が買えると思うなッ! 景虎、貴様の算盤ごと叩き潰してくれる!」
上杉軍の防衛線は、かつてない危機に瀕していた。
燕三条製のライフルが火を噴き、栞が計算し尽くした「キルゾーン」を形成しているのだが、勝家軍はその屍を盾にして一歩ずつ、ジリジリと間合いを詰めてくる。
その光景を、五町(約500メートル)ほど後方から眺めている軍勢があった。羽柴秀吉の二万である。
「……ありゃあ、地獄だねえ」
秀吉は、懐に忍ばせた相越銀貨の重みを感じながら、隣に立つ弟の小一郎(秀長)に、声に出さぬよう囁いた。
「小一郎、見てみろ。勝家さんは気合、精神力で勝とうとしてる。だが、上杉の小僧は物量で戦ってる。どっちが勝つか、猿でも分かるよな」
「兄者……本当に、後ろから行くのですか」
「……殿は強い。だが、殿の戦には終わりがねえ。俺はな、小一郎。終わりの見えねえ戦より、始まりの見える世に賭けたいんだわ」
「兄者。確かに、殿の戦働きは辛いが……」
「ああ、辛い。それにな、投資ってのは、一番価値が跳ね上がる瞬間に、全額ぶち込むもんだ。……勝家さんの背中が、最高に美味しそうな『特等席』になった時。それが俺たちの勝負時よ」
秀吉は、狂ったように突撃を繰り返す織田の兵たちを、冷めた、しかし獰猛な目で見つめていた。
空を焦がすような熱気の中、手取川の河原は地獄と化していた。
防衛陣地に侵攻する柴田軍。それを宇佐美衆を中心としたライフル隊が、一斉斉射でなぎ倒していく。俺たちが用意した豊富な弾薬という暴力が、織田の命を次々と刈り取って行く。
さらに、武田勝頼率いる赤揃えが、波状攻撃を繰り返し、織田軍を逃がさず、絶えず出血を強いていた。
だが、その圧倒的な有利だというのにに、俺たちの本陣の空気は重かった。
「……旦那様。右翼、第三防衛線が突破されましたわ」
栞は本陣で、刻一刻と変わる配置図を指先でなぞる。その声に余裕はない。
「織田軍、こちらの弾幕で薙ぎ払う量を上回る量で、兵を使い捨ててきます。……このままでは、弾が尽きるのが先か、うちの兵の心が折れるのが先か……」
織田軍は、一人が倒れれば二人、二人が倒れれば四人が、味方の死体を文字通り楯にして土嚢を乗り越えてくる。ふるきが仕掛けた買い占めによる兵糧不足さえ、信長は「動けぬ者は食わさぬ」という非情な仕打ちで突破してきた。
「……計算通りにいかないのが、戦国か」
景虎は、もはや効き目があるかも怪しい胃薬を噛み砕いた。
前線では、栞がひっきりなしに火を噴いている。彼女の精密なキルゾーン形成をもってしても、信長の狂気に突き動かされた勝家たちの理不尽な暴力が、ジリジリと、しかし確実に景虎の喉元に迫っていた。
「景虎ァ! 算盤の弾き出す未来など、俺の槍で突き破ってくれるわ!」
勝家の咆哮が、本陣まで届く。
(……もう限界だ。だが、ここで折れたら全部が終わる)
「……旦那様。少し、下がってください」
音もなく背後に現れたのは、復帰した鶴だ。
「御実城様の軍、ここより半日の距離に。その報を受け、光秀殿からの合図が届きました。……そして、あの猿も動き始めましたわ」
戦場の右翼、織田軍の勝利を決定づけるはずだった羽柴秀吉の軍勢が、突如として動きを止めた。彼らは、勝家の背後を「支援」するという名目で、最も致命的な死角に布陣していた。 秀吉は、懐の『雇用契約書』を指先でなぞり、ニヤリと笑った。
「……勝家さん、悪いな。あんたは信長様の夢に殉じる。だが、俺は未来の席を買うんだわ」
秀吉が軍配を振り下ろす。
「野郎ども! 織田の古臭い夢(本陣)へ向けて、全軍突撃ィ! これからは、相越同盟の特等席で飯を食うぞ!」
突如として反転した秀吉の軍勢が、勝利を確信していた勝家の背中に襲いかかった。
「なっ……秀吉ぃ!? 貴様ッ!」
勝家の叫びが、戦場を貫く。
背後から味方に突き刺される。秀吉の裏切りは、織田軍という組織の指揮系統を切断する一撃だった。
同時刻。
越前方面からの一向宗に備えていた明智光秀の軍勢が、信長の退路を封鎖するように動き出す。信長は、一瞬にして、四方を敵に囲まれる状況へと変えられた。
「……旦那様。状況が整いました」
鶴が報告する。
「織田軍は完全に包囲されました。……信長様は、今、たった一人で本陣に取り残されています」
俺は、震える手で泥に汚れた戦況図を丸めた。
「……よし。……行こう。……交渉の時間だ」
俺は立ち上がると、足元はふらついていたが前へと一歩、歩み始めた。
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ここで皆様にお知らせです。
5月から毎日更新で投稿をし続けてきた本作ですが、7月23日(木)配信の第89話をもちまして完結を迎えることになりました!
景虎たちが資本で世界を取りに行く結末を、ぜひ最後まで見届けていただけると嬉しいです。
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