82 信長が総力戦を宣言したので、俺たちは手取川で迎え撃つ
元亀四年(1573年)、夏。 岐阜城の最上階。
織田家の最高幹部たちが信長を囲んでいた。
彼らはいずれも超一流の切れ者であり、猛将だ。景虎たちの策に対し、彼らなりに必死の対抗策を捻り出し、信長へと具申する。
「殿。北陸へ派兵するだけでは、景虎の思う壺にございます」
最初に口を開いたのは、丹羽長秀だった。
「奴の狙いは、我らを焦らして誘い出し、潤沢な弾薬を備えた防衛線で迎え撃つこと。……そんなもの付き合ってやることなど無用。軍を細かく分け、あえて上杉の防衛線の隙間を縫って越後へ侵入させましょう。城など攻めず、村々を焼き、上杉が育てた領地と経済を片端から摘み取るのです。奴が損害を計算し、耐えられなくなる迄、我らは破壊に徹するべきです」
「……景虎を、計算不能なパニックに陥れるというわけか」
信長が低く応じる。続いて、明智光秀が静かに一歩前に出た。
「……偽金の逆流は私の失策。なればこそ、次は心を折ります。殿、景虎は武田の遺臣や佐竹の残党まで取り立てた。あれは強みであると同時に、最大の弱点。……彼らの家族や故郷に残っている不満分子に、我らが裏で通じ、一斉に内乱を起こさせます。金で繋がった縁は、より高い金、あるいは命の恐怖で容易に断てる。丹羽殿の策への対応に追われている隙に、我らは更に領地内深くで混乱を起こします」
「……内側から腐らせるか。十兵衛らしいな」
最後に、猛将・柴田勝家が床を鳴らして叫んだ。
「殿! 策など、もう間に合いませぬ!奴らが硝石を能登、越中の港で商いをするのなら、我らは陸路でその港を攻め取ります。物流を力ずくでこじ開けます! 弾がなければ石を投げ、槍が折れれば拳で戦う! 織田の強さは、銭の多寡ではなく、死を恐れぬ執念にあることを、あの上杉の小倅に教えてやりましょうぞ!」
三者三様の具申。信長は、光秀が持ってきた偽銀貨を一枚、自らの手で握りつぶした。
「……長秀、光秀、勝家。……お主たちの言葉、確かに聞いた」
信長は立ち上がり、壁に掛けられた真っ赤なマントを羽織った。
「儂は、勝つぞ。……長秀、軍を分けろ。光秀、工作を急げ。勝家、先陣はお主に任せる。……上杉を我らの狂気で塗り潰してやるのだ」
「……旦那様。織田軍は、ついに岐阜を出ましたわ」
ふるきが、届いたばかりの早馬の報告書を差し出した。
俺はそれを手に取ることもせず、激しく主張する胃壁を宥めるように、胃薬を飲み込んだ。
「……長秀の分散進軍、光秀の内部工作、そして勝家の突撃。……全部、来るだろうな。信長なら、家臣たちの具申をすべて飲み込んだ上で、それ以上の暴力を仕掛けてくるだろう」
俺は、窓の外に見える日本海を眺めた。
「これから、戦国時代で最もつまらない戦いが始めるぞ」
伊保野は凛とした佇まいで応えた。
「景虎様。勝ちましょう。この戦いで、この戦乱の世は終わるでしょう」
「そうだな、こんな戦いはこれで終わらせよう」
鶴も続く。
「旦那様、これまで旦那様には面白い世にして貰いました。子も生まれました。こんな戦を早く終えて、もっと楽しい世にしましょう。早く吾を、海の外に連れて行ってくれ」
「わかった。約束だ」
ふるきが青ざめた顔で話す。
「ここまで商いの戦。私が全財産はたいて旦那様に投資したの。絶対、元を取らせてもらいますわ。ここからは刀と火薬の戦。私が元を取るのだから、絶対に死んではいけませんわ」
「それも約束する。回収させてやる」
「……いえ、私が約束してほしいのは死んでは駄目ってことなのだけど」
「……ええ。私たちの家を壊そうとするものは、一匹残らず燃やして差し上げますわ」
栞が微笑んだ。
「……あの。戰場をご用意ください。武田の軍は、何時でも戦える準備が出来ております」
松が戦国最強と言われた軍のことを心強く言ってくれる。
「栞、松。頼む。助けてくれ」
二人は無言で頷く。
「それでは」
伊保野がまとめる。
「我らは引きません。景虎様、心置きなくご活躍くださいませ」
「伊保野、鶴、ふるき、栞、松。ありがとう。軍議に行ってくる」
春日山城 評定の間。
千畳敷とも思える広大な広間には、越後、越中、能登、そして関東の国衆たちが揃っていた。
正面の一段高い席には、左右に直江大和守景綱と山吉豊守が控える。そこに御実城様――上杉輝虎が、法衣を纏い、やってきた。
「これより、軍議を行う!」
山吉の鋭い声が響き、評定が始まった。
まずは景綱が状況を報告する。
「既に多くの者も聞いていることと思う。織田が動き始めた。狙いは能登の七尾城と推定。我らが抑えた北陸道の海運を奪い取る魂胆と推定する。織田軍の数は。……十万」
この数字に評定の間の雰囲気が変わる。
「馬鹿な、なんだそのバカげた人数は」
「それでは奴らの領地の守備が出来ないではないか」
「……全軍突撃ということか」
ざわつく場を山吉が制する。
「狼狽えるな! 御実城様の前である」
ざわめきが潮のように引く中、山吉が続ける。
「御実城様。如何になさいますか」
目を瞑って黙っていた輝虎は、涼やかな声で答える。
「無論、討つ。 織田家は我らに戦を挑んできたのだ。戦い、勝ち、この戦乱を終わらせる」
「そうだ! 織田討つべし」
「討つべし!」
「十万とはいえ、我らは恐れぬ」
武闘派が気炎を上げる中、顕景が発言を求める。
「よろしいか」
「顕景殿、どうぞ」
「我ら越後の者は、織田のことなど知らぬ。しかし、我らは、関東を、越中を、能登を、一所懸命に豊かにしてきた。それを、土足で踏みにじろうとするような者は、ただのエゴじゃ。我らは決して許さぬ、引かぬ。お下知を頂ければ立ちどころに滅してまいりましょう」
改めて景綱が取りまとめる。
「方々。御実城様も戦うと仰せだ。どのように戦うかを話し合うとしよう」
景綱は誰もが見えるように、巨大な和紙の地図を壁に貼るよう、近習に指示する。
その巨大な地図に、街道や防衛拠点等の情報が精密に記載されている。そこに、織田の情報が足されていく。
「……このように、織田軍は大きく三つの行動を行っている。一つ目は国境沿いへの少数の部隊を数多く派遣し、狼藉を繰り返すもの。二つ目は領内奥深くに入っての破壊工作。そして三つ目が加賀への侵攻。一向宗の寺を最低限の攻撃に抑えて街道を確保し、一路、能登に向かおうとしている。先陣が柴田、後詰が羽柴。ここに約八万が集中している」
「勿論、七尾城は強固であるが、手前でまみえた方が戦いやすい。そこまでの被害も抑えられるだろう」
柿崎景家が発言する。
「戦場は我らが決める。最も適した場所は、……ここであろう」
守景が指し示した場所。そこは、手取川であった。
景虎が宣言する。
「決戦は手取川。軍を三軍に分ける。景虎、本隊が来る迄、手取川で防戦を行え」
「ハハッ」
俺は首を垂れる。
「死守致します」
……また最前線だ。胃が痛い。
「顕景、越後衆をとりまとめ、越中から手取川を目指し、景虎に合流せよ。儂も向かう」
「速やかに。義兄上、一刻も早く合流するように動きます」
「北条高広、真田昌幸」
「「ハハッ」」
「そなたらは、信濃路から美濃、尾張を攻められよ。織田を長期戦の出来ない状況に追い込んでいただきたい」
最後に景虎が一同を見回して語った。
「よいか。この戦に負ければ、これまでまとめ上げた世が戦乱に逆戻りじゃ。この戦、絶対に勝つぞ」
「「「「応ッ!!!」」」」
夜。
手取川へ向かう前夜、俺は海王丸と風羽の寝息を聞きながら。
(……絶対に帰る)と静かに誓った。




