78 物量で佐竹を押し潰し、軍神が鬼義重を斬る──関東決戦、終幕
数日後。下野の山間に、佐竹義重率いる精鋭一万が姿を現した。
宇都宮の危機を救うべく、電撃的な進軍。彼らの前には、俺が率いるわずか二千の部隊が、急造の柵を築いて待ち構えていた。
「……わずか二千だと? 唐沢山の死にぞこないの小倅に随分と舐められたものだ。ここにはあの城の城壁はないぞ。一気に踏み潰してやれ!」
義重の号令とともに、佐竹の騎馬隊が土煙を上げて突進する。
だが、俺が右手を振り下ろした時、森の中から聞いたこともないような連続音が響き渡った。
――ッ、ドッドッドッドッドッ!!
それは、単発の火縄銃の音ではなかった。
燕三条で規格化され、潤沢な火薬と弾丸を供給された銃手たちが、数人一組となって「絶え間ない斉射」を繰り返しているのだ。
弾幕が佐竹の兵をなぎ倒す。
一発撃てば終わりの火縄銃ではない。次から次へと銃身を替え、装填役が阿吽の呼吸で弾を送り込む。まるで、マシンガンのような圧倒的な投射量だ。
「なっ……なんだ、あの音、あの弾の数! 馬鹿げてるぞ。奴ら、前の戦い方とあまりに違いすぎる!」
義重は驚愕した。これまでの戦は「弾を込める隙」を突くのが定石だった。だが、この「殺しの間」にはその隙がない。
俺が佐渡の銀と福良津の物流で用意した、無限のような物量が、佐竹の勇猛さを次々と肉片へと変えていく。
「……戦いってのは、気合じゃなくて物量なんですよ、義重殿」
俺は、ライフルから吐き出される白煙の向こうで、激しく痛む胃を抑えながら呟いた。
「……馬鹿な。隙がないだと!? 奴ら、弾を込める間もなく撃ち続けているのか!」
義重の叫びは、絶え間なく続く銃声にかき消された。
栞が設計した「殺しの間」。そこには、かつての籠城戦で佐竹軍に煮え湯を飲まされた宇佐美衆が、執念の牙を研いで待ち構えていた。
「全門、斉射。一秒も休ませるな。火薬の在庫なら、旦那様(景虎)が山ほど用意してくださっている」
銃座の最前線で、栞が命を下す。
彼女の瞳には、かつての屈辱を晴らすべく、苛烈な闘志が宿っていた。燕三条製のライフルは、一発撃つごとに銃身を交換する分業体制により、実質的な「連射」を実現している。佐竹の兵は、弾丸の雨の中で、ただの「的」と化していた。
だが、その弾幕がふわりと途切れた。
ほっと一息つく間もなく、地平線の向こうから、一筋の「白」が駆け抜けてくる。
「――義は我が方にあり。迷える鬼を滅する」
上杉輝虎(謙信)である。
白頭巾をなびかせ、放生月毛に跨った軍神が、三千の騎馬隊を率いて佐竹の本陣へ真っ直ぐに突き抜けた。
「……上杉輝虎ッ! 望むところよ!」
義重が咆哮し、愛刀を抜き放つ。
「鬼義重」と「軍神」。
この時代の最強を象徴する二人が交錯した。義重の剛剣が輝虎の肩を狙うが、輝虎は柳のようにそれを受け流し、すれ違いざまに一閃。
鮮血が舞った。
義重の体が、ゆっくりと馬から崩れ落ちる。
「……見事なり、軍神……」
それが、関東にその名を轟かせた名将の、最期の言葉だった。
主君・義重の戦死により、佐竹軍は完全に瓦解した。
残兵たちは、命からがら本拠・常陸へと逃げ帰ろうと、東へと馬を急がせる。
だが、彼らが辿り着いた先には、絶望が待っていた。
「開門、開門」
しかし、門は開かず、代わりに弓矢が放たれる。
「な、何故撃つ」
すると、これまで隠されていた旗がたなびく。それは佐竹ではなく、北条の三鱗。
「輝虎公よ。北条も目端が利く者はおるのですよ」
「……嘘だろ。小栗城、真壁城、下館城も……旗が、北条の『三つ鱗』に変わっている……!」
逃走経路にある主要な城は、氏政の指示を受けた北条勢によって、すでに陥落していた。
壬生城と祇園城を守っていた北条三万は、俺たちが「殺しの間」で敵を足止めしている隙に、宇都宮と常陸を結ぶ連絡線の城を、一足先に「接収」していたのだ。
「ここはもう北条の庭よ。不法侵入は認められんよ」
城壁の上から、北条の将が冷笑と共に鉄砲を向ける。
西には輝虎の騎馬隊、東には北条の城塞。
佐竹の残党たちは、広大な関東平野の中で、文字通り「出口のない部屋」に閉じ込められていた。
一方、宇都宮城。
そこでは上杉顕景率の一万五千が十重二十重と包囲を行なっていた。
「宇都宮家当主・広綱殿。もはや、降るしかありません」
城門を破壊し、本丸に踏み込んだ顕景は、病床の宇都宮広綱にそう告げた。
周囲を囲む家臣たちは、すでに戦意を失っている。それもそのはずだ。彼らの手元には、俺たちの放った間者がばら撒いた「上杉銀貨」と「新生活の保証」が記された書状が握られていた。
「……抵抗しても、死者が出るだけです。宇都宮の地は、これより関東管領の名の下、上杉・北条の共同統治の地として再開発されます。貴方とその一族は、越後の穏やかな隠居先を用意しましょう」
広綱は力なく頷いた。
かつての名門、宇都宮家。北条と上杉よって静かにその幕を閉じた。
岐阜城の広間は、かつての華やかさが嘘のように、作業の場と化していました。
床には書類と、もはや「数える価値も失われつつある」銅銭の袋が積み上げられている。
信長の前に控えるのは、織田家の屋台骨を支える重臣たち。
しかし、その表情は一様に暗く、沈痛な空気が漂っていた。
「……殿、これが現時点での『在庫』報告です」
丹羽長秀が、几帳面な筆致で書かれた帳簿を差し出した。織田の兵站を一手に引き受ける「米五郎左」の指が、わずかに震えている。
「堺からの硝石、雑賀からの鉛……すべて途絶えました。今井宗久らは物資だけでなく人材も持ちだしました。熟練の火薬調合師、さらには鉄砲の鍛冶職人も『より高い賃金と安全』を求めて、北陸道へと消えました。米はあります。しかし、戦うための牙が、銭と共に溶けていくようです」
信長は帳簿に目もくれず、ただ虚空を見つめています。
「長秀。余の領地は、それほどまでに魅力がないか」
「……いえ。魅力がないのではなく、向こうの仕組みが強すぎるのです。景虎は、金を払うのではなく、職人たちに『将来の年金』と『子供の教育(学校)』を約束しているとか。個人の忠義ではなく、家族の生活の安定で職人を囲い込んでいるのです」
「……合理的だな。反吐が出るほどに」
信長が吐き捨てた時、静かな声が響いた。
「――ならば、こちらも『仕組み』で対抗すべきかと」
明智光秀だ。彼は常に整えられた直垂の襟を正し、景虎が発行した「上杉銀貨」を一目も見ずに言葉を続けた。
「殿。景虎の強みは『信用』です。奴は佐渡の金銀という裏付けをもって、紙切れ同然の文を価値あるものに変えている。ならば、我らはその『裏付け』を叩くのではなく、『信用の流動性』を逆手に取るのです」
「申してみよ、十兵衛」
「景虎の銀貨は、今や近畿の商人たちの間でも標準となりつつあります。ならば、我らは意図的に『偽造銀貨』を大量に流布させます。それも、本物と見分けがつかぬほど精巧なものを。景虎の銀貨に『混じり物がある』という噂を流し、一気に通貨の信用を崩壊させるのです」
光秀の提案は、かつて名門・足利幕府に仕えた彼らしい、権威と信用の急所を突くものであった。
「さらに、景虎が『学校』や『年金』で人を集めるなら、我らは『神仏の威光』を使います。本願寺や比叡山を焚き付け、その傘下の信徒たちの網の目を、織田の新たな『物流網』として組み替えていきましょう。商人が動かぬなら、信仰という名の狂気で物を動かせばよいのです」
「……ふん。偽金と宗教か。お前も大概なことを考えるな」
信長が、この日初めて、わずかに口角を上げた。
「殿、しかし……」
秀吉が割って入る。
「偽金を流せば、我らの領内の商いもさらに混乱しますぞ! それは諸刃の剣にございます!」
「サル、黙っていろ」
信長が一蹴する。
「……混乱して何が悪い。十兵衛の策、採用する。長秀、職人が逃げるなら、逃げた先を焼き払え。戻ってきた者にだけ、これまでの倍の給金を約束しろ。金がないなら、寺社から没収した金仏を溶かして鋳造しろ」
信長は立ち上がり、燃えるような眼差しで北の空を睨んだ。
「景虎……。貴様が『善意と計算』で世界を創るというなら、儂は『悪意と狂気』でそれを塗り潰してやる。この戦、どちらの仕組みが先に壊れるかの戦いだ」
信長は、傍らの柴田勝家に命じた。
「権六。武田が沈む前に、軍を動かす準備をせよ。偽金が効き始める頃、余自ら勝頼を、いや……景虎の首を獲りに行く」
「……御意!」
こうして、織田家は統治を捨て、収奪の組織へと変貌を遂げ始めた。
俺は、栞が丁寧に淹れた茶を啜り、激しく鳴り始めた胃の痛みを鎮めていた。
「旦那様、佐竹義重の首、御実城様が持ち帰られました。御実城様に宇佐美衆の意趣返しをやって頂きました」
栞が、どこか清々しい表情で報告する。
「……そうか。義重殿には、できれば次の世で働いてほしかったんだがな。軍神相手に刀を抜いちゃ、交渉の余地はないか」
俺はため息をつき、地図を広げた。
宇都宮、消滅。佐竹、実質的な解体。
下野と常陸は、これで北条と上杉の支配下に入った。
「……次は諏訪だな」




