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鶴姫と景虎の国盗り経営録 ──戦国の怪物たちを円卓に集めたら資本で世界を取りに行った件  作者: みなと
第6章 信長・天下編 ~戦国の終わり、八洲商会の誕生と世界の始まり~

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77 信長が市場を壊しているので、その隙に関東で佐竹と雌雄を決する

 元亀三年(1572年)、秋。

 岐阜城の信長は、苛立ちと共に帳簿を睨みつけていた。

「何だと? 硝石の値段が、値上げだと。しかも三倍だと!?」

「はっ……。堺の商人が売ってくれませぬ。『織田様の銅銭(寛永通宝)では、次の仕入れができぬ』と……」

 これこそが、俺たちの仕掛けた本当の罠だった。

 

 堺の商人たちは、手元の「寛永通宝」や「びた銭」を、織田領内の物資に無理やり交換する。そしてその物資を北陸道へ運び、景虎が発行する「上杉銀貨」へとロンダリング(洗浄)していたのだ。

 信長の手元には、山のような「旧銅銭」が貯まる。

 そして、その金で物を買おうとしても、商人は首を縦に振らない。

「旦那、その銭はもう『古い(価値が下がる)』んで。五倍出してもらわんと」

 倍の金を出せば買えると思っていた硝石が、いよいよ市場から姿を消す。

 信長は、自らの金蔵が「無価値な銅の山」で埋まっていく恐怖を、初めて味わっていた。

「景虎……。貴様、銭を殺しに来たか……!」

 信長の絶叫は、誰にも届かない。その日、信長は珍しく深酒をしたという。

 

 翌日、二日酔いで頭の痛い信長は、景虎が仕掛けた「インフレ地獄」に対し、あまりにも信長らしい回答を出した。

 「商人が言うことを聞かないなら、市場そのものを奪ってしまえばいい」

 信長の瞳は、もはや天下人のそれではなかった。追い詰められた獣の光だ。

 

 「今井宗久、ならびに津田宗及。……お主らの首と、蔵の荷。どちらが惜しいか」

 岐阜の会合所に踏み込んだのは、織田家家臣、最近、木下藤吉郎から名前を改めた羽柴秀吉だった。その背後には、抜き身の槍を構えた兵たちが並んでいる。

「……羽柴様、滅相もございません。銭も物資も、すでに本願寺様や将軍様に差し出しておりまして……」

 宗久が震えながら答えるが、秀吉の目は笑っていない。

「嘘はよせ。お主らが北の『上杉の小倅』に銭と職人を流しているのは分かっている。今日より、お主らの全財産を織田家が接収する。抗う者は信長様の命で処刑されると思え」

 秀吉は、景虎が「通貨の信用」で流れを変えようとしているのに対し、死の恐怖で物流を強制停止させた。織田家内の商人は、織田軍による「公的な略奪」の場と化し、熟練の職人たちは縄を打たれ、岐阜の工廠へと拉致されていった。もう、そこには楽市楽座は無かった。

 「……旦那、もう限界や。ここ(織田領)はもう、商いのできる所やのうなりましたわ」

 今井宗久らは、夜闇に乗じて最後のアセット(資産)を小舟に積み、北陸道へと亡命を開始した。


 諏訪へ向かう直前の春日山城。

 表向きは北条の姫として静かに暮らす鶴が、珍しく部屋に伏していた。

「……旦那様。産まれるようじゃ……」

 普段は影のように気配を消す鶴が、景虎の袖を弱く掴んだ。その声は細いが、どこか誇らしげでもあった。短い産声が、静かな部屋に響く。


「女の子です!」

 侍女の声に、鶴はゆっくりと上体を起こし、赤子を胸に抱いた。その表情は、戦場の忍びではなく、ひとりの母のものだった。

「……よう来たのう。小さいのに、強い声じゃ」

 出産を聞いて駆けつけてきた俺がそっと覗き込むと、鶴は微笑んだ。

 鶴の瞳が、母のそれになっていた。普段の冷たさも鋭さもない。ただ、柔らかく、温かい光だけが宿っていた。俺は、そっとその小さな額に触れた。

「……鶴。よく頑張ったな」

「旦那様……」

 その笑みは、戦場で見せるどんな表情よりも、ずっと人間らしく、美しかった。

「この子の名は……旦那様に決めていただきとうございます」

 俺は、窓の外から吹き込む秋風を感じながら、静かに言った。

「『風羽かざは』はどうだ。風のように自由で、羽のように軽やかに生きてほしい」

 鶴は、胸に抱いた娘を見つめ、ゆっくりと頷いた。

「……良い名じゃな。 この子は、きっと……風のように、どこまでも遠くに行くのじゃろう」

 そのとき、鶴の腕の中で風羽が小さく泣いた。まるで、自分の名を受け入れたかのように。

 鶴は赤子の額に口づけし、静かに目を閉じた。

「……吾も行きとうが、今はこの子を置いては行けぬ。悔しいのう。……吾は行けぬが、旦那様。諏訪も、佐竹も……必ず戻ってきてくれのう。この子と、吾のためにも」

 その声は、ただひとりの女として、夫を送り出す温かさに満ちていた。

 (……守らねば。戦国から、この子も、鶴も)

 

 諏訪湖の畔。霧に包まれた療養所に、景虎は数人の供だけを連れて現れた。

 そこには、死の臭いを纏いつつも、生に執念を燃やす武田晴信が座っていた。

「……来たか。お前は、佐竹を食いにいく途中に、わざわざ死に体の儂を拝みに来たのか」

「ご挨拶ですね、大膳大夫様。一応、ご様子を伺いに」

「ふん。気休めはよせ。……お前、勝頼を『肉壁』に使っているだろう」

 晴信の眼光が、俺の胃の底を射抜く。俺は冷めた茶を飲み干し、静かに応えた。

「彼が信長の弾薬を浪費させてくれるおかげで、北条も上杉も無傷でいられる。武田のブランド(勇猛さ)を最大限に活用して、信長の防衛コスト(硝石)を出費させているのです」

 晴信は、短く、しかし自嘲気味に笑った。

「……救いようがない。まだ思考の若い勝頼に、泥舟の舵を握らせた俺のせいだ」

 だが、と格好を崩して俺に語りかける。

 「景虎よ……。織田が動き出したな。奴は経済に聡いと思ったが、ただ『暴力』という武器を使い始めたぞ」

 晴信は、死を目前にしながらも、信長の暴挙をどこか楽しげに語る。俺は激しい胃痛をこらえながら、残りの茶を飲み干した。

 「ええ、最悪ですよ。あいつ、自分の財布と信用(楽市楽座)を焼き払ってまで実弾を欲しがっている。……大膳大夫様、だからこそ、武田の『軟着陸』を急いでください。佐竹を潰した後、俺は信長と全面的な『経済戦』に入る。その時、武田が織田に食われていたら、救済もできなくなる」

 「……分かっている。勝頼には儂から言い聞かせる。あやつも、部下たちが腹を空かせていく様を見れば、いつまでも矜持だけではいられまい」

 晴信は理解していた。武田という「会社」はもう債務超過だ。

「上杉と北条が武田を攻めないのは、佐竹を滅ぼすまでです。まもなく関東は上杉と北条の旗だけになる。東国がまとまります。それまでに、武田を軟着陸させてください。条件は、無血開城。そして、勝頼殿を貴方が説得することだ」

「……勝頼を、家臣ごと買い取るというわけか」

「ええ。彼らを『上杉・北条連合』の騎馬鉄砲部隊として再雇用します。家としての名は残す。先日の約定通り、武田の姫を娶ります。それが、俺に提示できる精一杯の『救済プラン』です」

「……承知した。死に土産に、最高の結末を見せてもらうぞ、景虎」


 ところ変わって、下野国・唐沢山城。

 佐竹討伐の拠点となるこの城には、既に上杉・北条の主力が集結していた。

「義兄上! 待ちわびましたぞ!」

 声をかけてきたのは、義弟の長尾顕景だ。彼の背後には、最新の具足を纏った上杉の精鋭二万。そして、北条氏政が率いる関東軍三万。

 軍議の場。広げられた地図には、佐竹義重の防衛網が描かれている。

「佐竹は鬼義重と恐れられる猛将。力攻めは損害が出ますが……」

 そこで御実城様が発言する。

「ただ勝つだけなら稚児でも出来る。大事なのはな、氏政殿。勝ち方じゃ」

 一気に場の空気の温度が下がる。

「戦の常道では、兵力の分散は愚か言われる。然るに、我らは別々の拠点を持つ宇都宮と佐竹を攻めねばならぬ。必然的に、軍を分けねばならぬ。佐竹はそこを狙ってくる」

 そのまま、輝虎は地図を指さしていく。

「我ら上杉勢、そのうちの一万五千で宇都宮を攻める。その間、氏政殿。北条勢は壬生城と祇園城の戦線を守って頂けぬか」

「……それは勿論構わないが。一方的に上杉に負担が強いられぬか」

「うむ。佐竹は背後を狙ってくるじゃろう。そこで、景虎よ」

「ハハッ」

「おぬしの兵二千で、その佐竹に奇襲をかけよ。前回の意趣返しの機会をやる」

「……有り難く。脳髄にぶち込んでやりましょう」

「儂は三千の兵で遊軍をやろう。危険なら助けに、相手が敗走すれば追い討ちを、防戦に徹したのであれば後方を撹乱しよう。どうじゃ、皆の衆。忌憚のない意見を言ってくれ」

「……」

「従いましょう」

(輝虎も、相手がそう動かねばならぬ状況を作るんだよなぁ)

 こうして、ほぼ御実城様の案で方向性は定まった。


「ところで。この後、下野と常陸はどうされますか」

「戦後のことか」

「たしかに、互いの本拠地から離れている。統治も簡単ではないだろう」

「こういうのはどうでしょう。どちらかの家の領地とせず、関東管領の領地する。その上で、両家が軍事力を提供する代わりに、その領地の収益を両家に還元する、というのは」

「なぜ、そのような面倒な形でをとる」

「氏政様。我々が欲しいのは『そこから動かせない土地』ですか? それとも、兵を養い、最新の装備を揃えるための『利益』ですか?」

 俺は冷えた胃をさすりながら、地図の上に銀貨を一枚置いた。

「これまでの戦は、奪った土地に家臣を縛り付けるものでした。しかし、これでは領地が広がるほどに本国の守りが薄くなる。おまけに、縁もゆかりもない土地へ送られた家臣は、統治の苦労で摩耗していくばかりです」

氏政が、食い入るように銀貨を見つめる。

「土地の管理は、その土地に詳しい者や、実務に長けた者に任せればいい。我ら上杉・北条は『大旦那』として、軍事力を提供する代わりに、その土地の収益から一定の配当を得る。これを『関東管領の領土』という形で、相越連合が一括管理するのです」

「……つまり、特定の誰かの領土にせず、連合の共有財産にして、上がりだけを分け合おうというのか」

 氏政の目が、戸惑いから驚愕、そして理解へと変わっていく。

「はい。こうすれば、上杉と北条が国境の村一つで小競り合いをする必要もなくなります。そして……」

 俺は地図の西側、まだ赤く塗られたままの甲斐と信濃を指で叩いた。

「このモデルは、下野や常陸をテストケースにして、広げていけると考えました」

「てすとけーす?」

「実験場ですね。佐竹の後に降伏させる武田の地も同じです。武田の家臣たちは、土地の所有権こそ失いますが、我らの『軍事専門職』として、慣れ親しんだ甲斐や信濃の統治実務を継続できる。彼らを敗将として処刑するのではなく、連合の傭兵として再雇用するのです」


「再雇用……。お主、武田の騎馬隊を、そのままの形で取り込むつもりか」

 輝虎がニヤリと笑った。

「面白い。三郎、お前の頭の中には、常に無駄を省くという算盤があるな。土地という鎖から武士を解き放ち、銭という血を回して組織を太らせるか」

「……確かに、それならば武田の遺臣たちも、必死の抵抗を試みるよりは傘下に入る道を選びやすいだろうな」

 氏政が深く溜息をつき、俺の胃痛の原因でもある提案を飲み込んだ。

「分かった。下野・常陸はその『公領』の実験場としよう。だが景虎、条件がある」

「何でしょうか、氏政様」

「その仕組み、管理には膨大な計算が必要になるはずだ。お前の言う『不必要な仕事をしない』ための帳簿付け、北条の者たちにも教えろ。……お前の言う未来には、刀よりも算盤が必要になりそうだからな」

「……喜んで、研修を開催させていただきます」

 俺の返答に、軍議の場にいた将たちが、得体の知れない期待と不安の混じった顔を見せた。

 信長が「暴力」という名の最強の通貨を使い始めたのなら、俺は「システム」という名の見えない檻で、この国を囲い込んでやる。

(さて、そのためにも……まずは佐竹義重という名将を、この合理的な枠組みの中に引きずり出すとしようか)

 俺は再び胃の鳴る音を聞きながら、戦の準備へと意識を切り替えた。

 

 俺は軍議の後に、「チラシ」を顕景に渡した。

 「……義兄様、これは?」

 顕景が目を丸くする。そこには、美濃や尾張の農民に向けた「転職・移住の斡旋案内」が記されていた。

『織田の過酷な取立に苦しむ者へ。北陸・能登・越中にて開墾先を保証。初年度、年貢免除。さらに、上杉銀貨による支度金支給』

「信長が物理的な壁を作るなら、俺は『人』を引っこ抜いて、奴の領地の生産能力を減らしてやる。……秀吉が職人を拉致するなら、俺は農民を『自由』で誘い出す。減税策は、どんな鉄砲よりも信長の腹に響くはずだ。越中で、増産する場所を用意してくれよ。石高があがるぞ」

 顕景は引きつった笑いを浮かべた。

「……義兄上。貴方は本当に、戦場に立たずして国を滅ぼすおつもりか」

「いや、領民も良き君主を選びたいじゃないか」

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