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鶴姫と景虎の国盗り経営録 ──戦国の怪物たちを円卓に集めたら資本で世界を取りに行った件  作者: みなと
第6章 信長・天下編 ~戦国の終わり、八洲商会の誕生と世界の始まり~

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76 信長が引きこもったので、俺は上杉銀で天下をひっくり返す

 元亀三年(1572年)、秋。

 七尾から海を隔てた佐渡島。

 そこでは、昼夜を問わず熱風が吹き荒れていた。

 金堀衆が掘り出した精錬銀が、次々と型に流し込まれていく。

 表面には「毘」の一文字と、公的な鋳銭次官としての証が刻まれる。

兌換紙幣だかんしへい……紙の銭は。さすがに、それはまだ早いな」

 俺は試作された銀貨の重みを掌に感じながら、独りごちた。

 まずはこの「銀」という絶対的な実物資産で、信長の古い銅銭経済を物理的に破壊する。紙の銭を信用させるのは、この「銀貨」が日ノ本のスタンダードになってからでいい。


「将来、これ一枚で、越後の米も、南蛮の硝石も、燕三条の鉄も買える。だが、その前に、堺から来た商人たちの銭は全て、この銀貨と、俺たちが新たに作った銅銭に変えてやる」

 更に、これまでの寛永通宝と上杉銀貨の交換レートを張り出す。毎日、そして次第に午前と午後、一刻と、期間を狭めていく。

「旦那! えらいこっちゃ。このレート、びた銭も綺麗なのも、寛永通宝の価値がどんどん下がってまっせ! 目も当てられへん!」

 交換所の前では、堺から逃げてきた商人たちが、上杉銀貨を手に震えていた。

「……景虎様は、銭で国を殺せる御方や……」

「寛永通宝が紙くずになる日が来るなんて、誰が想像した……?」

 彼らの声には、尊敬と恐怖が入り混じっていた。

「買い手と売り手の決め事ですからね。ただ、実社会で寛永通宝が使われる機会が目に見えて減っています。手元に置いとくより、早めに物に変えるか、『上杉銀』へ交換された方が賢明かもしれませんよ」

 「……へえ、旦那。それを狙って、わざと流通絞ってはるんでっしゃろ? ほんま、えげつない商人やわ」

 堺の商人が、半ば呆れ、半ば感心したように、空になった千両箱を叩く。

 (商人こええ、目が全然笑ってないわ)

 俺はその視線を、手元の帳簿に落としたまま、胃の奥に広がる鈍い痛みを感じていた。貨幣改革は、戦ではなく経済で国を滅ぼす力を持ち始めた。


 一方、戦場は泥沼化の一途を辿っていた。

 三方ヶ原の先に本陣を構える武田軍。隠居を決意した晴信は、諏訪の湖畔へと居を移し、療養に入っていた。

 跡を継いだ勝頼は、父の危惧を余所に、猛然と織田の防衛線へ突っ込んでいた。

「俺の武勇を見せつけてやる!」

 だが、信長と徳川家康は、要塞化した陣地から冷徹に火力を集中させ、武田の精鋭を少しずつ、しかし確実に削っていく。勝頼は、自分が景虎の用意した「肉壁」にされていることにも気づかず、消耗戦の沼に沈んでいた。


 上杉景虎が能登で「経済の城」を築き、北条と佐竹が関東で火花を散らしている頃。

 織田信長は、美濃・近江の要衝を繋いだ巨大な防衛網の奥深く、深い沈黙の中にいた。

 

 本陣の空気は、凍り付いたように冷たい。

 地図を睨みつける信長の背後に、織田家の双璧、柴田勝家と丹羽長秀が控えていた。

「……報告せよ」

 信長の短い言葉に、丹羽長秀が淀みなく応じる。

「はっ。武田勝頼、なおも我が防衛線に猛攻を繰り返しております。徳川殿が必死に支えておりますが……勝頼は父・信玄以上の苛烈さ。兵の消耗を厭わぬその攻勢、正気とは思えませぬ」

「ふん、無能な働き者よ」

 柴田勝家が、苛立ちを隠さずに吐き捨てた。

「勝頼は上杉の『肉壁』に過ぎぬと、なぜ気づかぬ。殿、いつまで守りに徹するおつもりか! 我ら『権六』の軍勢を繰り出せば、あのような小倅、一揉みにしてくれようものを!」

「勝家、私情を挟むな」

 信長は振り返りもせず、ただ手元の帳簿――堺から流れてきた「上杉銀貨」の一枚を指で弾いた。

「戦の勝敗は、もはや槍の数では決まらぬ。見よ。堺の商人どもが、我らの領内から蜘蛛の子を散らすように逃げ出しておる。その先は、能登。……上杉景虎の元だ」


 その時、襖が静かに開き、明智光秀が音もなく入室した。その表情は、かつてないほど険しい。

「申し上げます。石山本願寺が足利義昭公を擁し、京を完全に封鎖。さらに……加賀より入った報せによれば、上杉景虎、七尾にて新たな『貨幣』の鋳造を本格化させた模様。その銀貨、すでに北陸道全域を席巻しております」

 光秀の言葉に、部屋の温度がさらに一段下がった。

「貨幣、だと?」

 長秀が眉をひそめる。

「ただの私鋳銭ではありますまい。奴は佐渡の銀を背景に、強引な交換レートを押し付けております。京や堺の古き銭を『無価値』に変えていく……これは経済による、日ノ本の再定義にございます」


 信長は、弾いた銀貨が畳の上で静止するのをじっと見つめていた。

「……面白い。俺が武力で古い権威を壊している間に、景虎は『銭』で古い仕組みそのものを腐らせようとしているわけか。光秀、藤吉郎はどうした」

 その問いに答えるように、部屋の隅、影のような場所から「へへっ」という卑屈ながらも鋭い笑い声が響いた。

 木下藤吉郎が伏していた。

「ここにおりまする、殿。……堺の街、見てまいりました。ひどいもんでございますよ。金貸しも職人も、みんな北へ向かう船に乗っております。まるでお祭りの後のようで。……ただ、これだけは奪ってまいりました」

 藤吉郎が懐から取り出したのは、一枚の図面だった。七尾の工廠、その一部を描いた写し。

「景虎様は、恐ろしいお人で。職人をただ集めるのではなく、役割を細かく分けて『型』にハメておられます。これでは、名工一人を育てる間に、凡夫百人が鉄砲を組み上げてしまいましょう」

 信長は、初めてわずかに口角を上げた。

「……経済を回し、技術を平準化し、商人の欲を『平和』という名の檻に閉じ込めるか。景虎、貴様は俺以上にこの世を憎んでいるようだな」

 信長は立ち上がり、燃えるような眼光で北の空を睨んだ。

「勝家、長秀。武田はそのまま干し殺せ。光秀、本願寺への工作を強めよ。……藤吉郎」

「はっ」

「その『共通の型』の思想、我が領内でも即座に始めろ。景虎が銭で攻めるなら、儂は火薬で応える。奴が理想の都を築く前に、日ノ本のすべてを俺の火の色に染めてやる」

 織田信長の瞳には、絶望的な防衛戦の先にある、漆黒の未来が映っていた。その足元には、価値を失い始めた古い銅銭が、虚しく転がっている。

 

 そして東――。

 ついに相模の北条が、宿敵・佐竹義重、宇都宮広綱らとの全面戦争に突入した。

 関東の覇権をかけた激突。北条は数では勝るのだが、佐竹軍の猛攻を受け、苦戦を強いられていた。

「氏政殿、氏康殿。……待たせた。義に基づき参戦する」

 春日山城から、二万の軍勢を率いて上杉輝虎が出陣。

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