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7 公害対策で作った石鹸が、寺社の経済を崩壊させた

 小机の製油工場がフル稼働を始めると、経営課題が浮上した。

 「三郎様、このドロドロの塊……どうにかしてくれませんか。臭いもきついし、捨てる場所にも困ってます」

 現場責任者の七介が、鼻をつまみながら桶を指差した。中には、油を精製する過程で出た不純物の塊――「オリ」が溜まっている。

 隣に立つ蓮次も、苦り切った顔で頷いた。

 「これのせいで工場の裏が油まみれです。今のままじゃ、せっかく効率化しても大きな害が出来てしまいます」

 五百年前に公害の概念を考えられる蓮次の意見に俺は喜んだ。

「たしかに酷い匂いだ。これが川に流れ込んだら問題が起きそうだな」

「何かやり様はありませんか?」

「……ちょっと考えさせてくれ」


 俺は工場を離れて近くを歩きながら解決策を考えていた。

(まさか500年前に公害対策を考えねばならないとは。だが、このまま川にたれ流しは出来れば避けたいところだ)

 近くの鶴見川まで来た。今の季節は川は穏やかだが、雨季になると下流に向けて反乱して泥沼のようになっていく。今日はよく晴れていたので、付近の村人が何人かで洗濯をしていた。皆、ムクロジの実を使って泡を立てているが、かなり重労働のようだ。

 村人の一人俺に気がついたようで怪訝な顔をしながら尋ねてきた。

「若様ですか? どうしました」 

「丁度いい。少し聞きたいことがあったのだ。洗濯は大変な仕事にみえるが、ムクロジは何処から取ってきているか教えてくれないか」

「そりゃあ極楽寺ですよ」

「……なんで寺なんだ」

「極楽寺に立派なムクロジの木がいっぱいありまして。そこで分けて貰ってるんで」

「……そうか。教えてくれてありがとう」


 (また寺か。まったく、油、高利貸し、ムクロジ。本当に手広く権益を持っている。やはり早めに潰すべきだ)

 権益を奪う為には力だけでは駄目だ。更に利益を与えないと簡単に背かれてしまうだろう。

「……そういえば、軍の衛生管理を徳川はやっていたらしい」

 確か、江戸の終わりに貯蔵庫を開けたら、金は無かったが石鹸が大量に備蓄されていたとかいないとか。

「……ああ、そうか。石鹸も作れば良いんだ」

 (折角だ、あの廃棄物を再利用してやろう)

 

 「いいか三人とも。これはゴミじゃない。北条を……いや、戦の概念を塗り替える戦略物資の材料だ」

 「はぁ? この泥がですか?」

 信じられないといった顔の蓮次達に、俺は命じた。

 「鉄造。大釜と、そうだなこのくらいの四角い型を用意させろ」

「その型ってのは菓子を作る時に使う道具か?」

「物知りだな。そう、あれだ。ただ、もっと基本的な四角でいいから同じ大きさの型にしてくれ。後で液体を流し込む」

「わかった」

「七介。お前は大釜用の薪と、薪を燃やした後の灰を大量に集めておいてくれ」

「蓮次、お前は塩を手に入れておいてくれ。それで材料は揃う筈だ」


 三郎流の石鹸製造は極めてシンプル、かつ合理的だ。

 まず大量の木灰を水に溶かし、煮詰めて強アルカリの濃縮灰汁を作る。そこに、七介たちが忌み嫌っていた廃棄油オリを投入する。

 「ひたすらかき混ぜろ」

 俺の指示で、常備軍の男たちが大釜を回す。熱せられた油とアルカリが反応し、特有の刺激臭を放ちながら、次第に粘り気のある白いペーストへと変化していく。

 「仕上げだ。塩を入れろ」

 高価な塩を投入する。すると塩析えんせき反応が起き、純度の高い石鹸成分だけが表面に分離して浮き上がってきた。これを型に流し込み、乾燥させれば完成だ。

 数日後、出来上がった白い固形物を手に、七介と蓮次は首を傾げていた。

 「三郎様、これ……ただの硬い塊ですが」

 「七介、その汚れた手で、水と一緒にこすってみろ」

 言われるがままに七介が手を洗うと、瞬く間に白い泡が立ち、真っ黒だった油汚れが魔法のように落ちていく。

 「な……!? 落ちる、汚れが消えるぞ!」

 「これは南蛮の石鹸だ」

「これが石鹸ですか? 石鹸というのはムクロジとかではないので?」

「そうだ。ムクロジ等よりも汚れを落とすものだ。南蛮では酒盆(サボン)と呼ばれているのだそうだ」

皆が白い泡を興味深そうに見ている。


「酒盆は、病の源である『穢れ』を消し去る事が出来るんだ。だからこれは戦略物資になる」

 

 石鹸の価値を見出したのは、鶴姫だった。

 「……素晴らしい、三郎様。これを軍事物資として秘匿するのは勿体ない。まずは、小田原の奥方衆に付け届けるのじゃ」

 

 鶴は、試作品の石鹸に花の香りを付けるよう提案した。俺は水蒸気蒸留の機械を鉄造作らせ、幾つかの精油を抽出して石鹸に混ぜ込んだ。

「どうだ?香りはするか?」

「これは予想以上の出来栄えじゃ」

 鶴は高級な木箱に収めながら、俺に説明した。

 「いい、三郎様? 小田原の家老たちの奥方にこれを配るのじゃ。女性は美しさと清潔さには目がありません。使えば手放せなくなるばかりか、これが流行れば、奥方たちの口から家臣団の秘密が筒抜けになる……。石鹸は、諜報ツールにもなる」

 「怖いこと言うな。だが、マーケティングとしては正解だ。小田原への手土産ワイロにしよう」

 

 だが、俺の真の狙いは別にあった。

 「鶴、半分は正解だ。だが、俺がこの石鹸を量産させる最大の理由は、軍の生存率を上げるためだ」


 俺は七介と蓮次を呼び寄せ、厳命した。

 「常備軍の全員に、一日一回の洗浄を義務付けろ。特に、傷を負った者はこの石鹸で徹底的に洗わせるんだ」

 戦国時代の戦死者の大半は、即死ではない。小さな傷口から「穢れ(細菌)」が入り込み、体が膿んで死ぬ。

 「傷口を石鹸で洗うだけで、兵の生存率は劇的に上がる。俺の軍勢は、他家の何倍もの速度で戦線に復帰できるようになる。……わかるか? これが組織の強さになる」

 七介は、自分の白くなった手を見つめて震えた。

 「武勲でもなく、祈祷でもなく、この白い塊が兵を守ると……」

 「そうだ。俺の思い描く軍隊は無駄死になどさせない」

  

「三郎様。極楽寺が村から吸い上げている地子(税)の額じゃが、…その額であと百人は雇えるわよ?」

「ああ、銭も軍も準備は整った。そろそろ常備軍のお披露目ついでに、あの寺社の権益を奪い取ろうじゃないか」


小机城下。そこには北条家公認の油座を仕切り、高利貸しとして君臨する古刹『極楽寺』があった。

俺の新型搾油機のせいで油の価格が暴落し、しかもムクロジの需要がめっきりと減ってしまっていた。

極楽寺の奥の院では、僧たちが沈痛な面持ちで帳簿を囲んでいた。

 「……油の値が、半分以下だと?」

 「ムクロジの需要も落ちております。村人どもが“白い泡の石”を使い始めたとか」

 「馬鹿な……あれは南蛮の高級品のはず……」

 「このままでは、貸付金の返済が滞りますぞ」

 「……北条三郎。あの若造、何者だ」

 僧たちの声には、怒りよりも恐怖が混じっていた。

 彼らは既得権益を守るために、「スピリチュアル」なネガキャンを開始した。

「三郎様の油と酒盆は呪われている、使うと地獄に落ちる……だそうじゃ。ふふふ、古典的じゃな」

報告する鶴姫は、楽しくて仕方ないという顔をしている。

「呪いか。前世の経営者も、行き詰まるとすぐ精神論とか占いに頼ったもんだ。……鶴、極楽寺の帳簿は手に入ったか?」

「ええ。父上の忍びを使って、奥の院から表の帳簿と控えの帳簿を拝借したわ」

「思ったとおり裏帳簿があったな。どうだった?」

「実際は北条宗家が認めていない高利で、この近辺の農民、ほぼ全員が寺に首の回らない借金を負わされている」

俺は立ち上がり、愛刀を腰に差した。

「よし。極楽寺を、店仕舞いさせるとしよう」

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