69 論功行賞──海を丸ごと任される
春日山城、評定の間。
千畳敷とも思える広大な広間には、越後、越中、能登、そして関東の国衆たちが居並び、静謐ながらも肌を刺すような熱気が満ちていた。
正面一段高い席には、御実城様――上杉輝虎が、法衣を纏い、泰然と座している。その左右には、直江大和守景綱と山吉豊守。
「これより、此度の連戦における論功を行う!」
山吉の鋭い声が響き、評定が始まった。
まず、全軍の兵站と内政を支え抜いた直江景綱と、主君の耳目として奔走した山吉豊守への恩賞が告げられた。
「直江大和守、貴殿には直江津の管理権をさらに広げ、上杉家全領の蔵入地代官を免ずる。これからの百万石を支えるのは、お主の筆と算盤よ」
「ははっ、身に余る光栄にございます」
直江は深く頭を下げる。だが、「膨大に膨れ上がった新領土の検地」という地獄のような仕事量に思いを馳せ、その目は微かに痙攣していた。
続いて山吉には、三条城の安堵に加え、家中法度の改定権が与えられた。これは「輝虎の言葉を法律にする」権利であり、家臣団を統制する実質的なナンバーツーの地位の確立であった。
「長尾顕景、前へ」
輝虎の呼びかけに、若き顕景が緊張した面持ちで進み出る。
「お主には、現在の湯沢周辺から国替えを申し付ける。……越中、富山城、二十万石を預ける。一向一揆の残党を鎮め、西からの織田の影を払え。できるか?」
広間がざわついた。二十万石。若き顕景にとっては破格の加増だが、同時にそれは「最も泥臭く、危険な最前線」への追放にも等しい。
「……謹んで、拝命いたします。この顕景、御実城様の盾となりて、越中を不落の地としてみせましょう」
顕景の力強い答えに、輝虎は満足げに頷いた。これは「贔屓」ではない。上杉の次代を担う者に与えられた、苛烈なまでの「帝王学」としての処遇であった。
次いで、柿崎景家が呼び出される。
「柿崎和泉守。お主には下野、唐沢山城を預ける。佐野昌綱亡き後のあの地は、北条・武田への最大の楔だ。お主の武勇で、関東の連中に夜も眠れぬ恐怖を植え付けてこい」
「がはは! これは面白い。あそこの城は籠城にもってこいですな。御実城様、俺が生きているうちは、北条の一兵たりとも越後へは通しませぬぞ!」
柿崎の豪快な笑いが、重苦しい空気を一気に吹き飛ばす。
最後に、俺の名を呼ばれた。
「三郎景虎、前へ」
広間の空気が変わった。
誰もが知っている。此度の能登制圧、七尾城落城、そして関東での調略。そのすべてを主導したのは、この「北条から来た養子」であることを。
景虎は、直江と山吉の間に座る輝虎の正面まで進み、膝をついた。
「景虎。お主の軍功、もはや既存の帳面には書ききれぬほどよ。……お主には、何を与えるべきか」
俺が平伏すると、輝虎の低く、愉しげな声が降ってきた。
「景虎。此度の働き、言葉では言い尽くせぬ。能登を制し、七尾を一晩で落としたその知略。家中、もはや異を唱える者はおらぬ」
輝虎は傍らに置かれた朱塗りの杯を手に取り、俺を真っ直ぐに見据えた。
「よって恩賞を与える。先日の約束通り、宇佐美の旧領復興を認め、その民をすべてお主の配下とせよ。そして、お主を新たに、上杉家直轄『北陸道水軍総管』に任ずる。能登を本拠とし、能登・越中・越後のすべての港の管理、および交易の全権はお主に預ける」
広間はざわめきに包まれた。
「港の管理権だと……?」
「領地ではなく、交易の全権か」
国衆たちの困惑は当然だ。戦国乱世において、恩賞とは「土地(石高)」がすべて。米がどれだけ取れるかが武士の格を決める時代に、土地ではなく「水辺」を与える。これは一見、冷遇にも見えかねない。
だが、俺の前に座る直江景綱殿の表情は、苦虫を噛み潰したようでありながら、どこか感服した色を帯びていた。
(……やはり、わかるか)
直江殿の視線が痛い。彼は気づいているのだ。
俺が土地を望まない理由。そして、この「水軍総管」という肩書きが、実質的にどれほどの巨大な力を俺に与えるかを。
俺は、あえて「殊勝な顔」を作って深々と頭を下げた。
「……過分なる仰せ、身に余る光栄にございます。陸の管理は私には荷が重いもの。琵琶島を含め宇佐美の復興をお認め頂ければ十分。勝ち取った領地は、是非、武功を上げた皆様に」
その言葉に、今度は感嘆の声が上がった。
「なんと無欲な」
「手柄のすべてを他人に譲るとは」
……ふふ、理想の状態だ。
義弟、顕景には越中・富山城という大層な「土地」と二十万石が与えられた。周囲から見れば、輝虎が実の甥である顕景を贔屓し、養子の俺に「負担の多い水域」を押し付けたように見えるだろう。
だが、現実は逆だ。
顕景が受け取ったのは、一向一揆の残党が燻り、維持費と統治の苦労が絶えない「負債の土地」だ。
対して俺が手に入れたのは、日本海の物流を牛耳る「富の源泉」。
佐渡、越後、能登を繋ぐ航路。そこを行き交う船から徴収する関銭、そして独占的な交易利権。米の収穫に左右されない「キャッシュ(現金)」を握る者が、最終的にどれほど強力な常備軍を養えるか――。
「景虎よ、面を上げよ」
輝虎様が、悪戯っぽく目を細めて俺を見ていた。
この人は分かっている。俺が「清廉潔白な武士」などではなく、誰よりも強欲に「新しい時代の力」を毟り取ったことを。
「欲のないふりをして、儂が考えもしなかった海の路を本当に作ろうとするか。……良い。存分にやってみせよ」
俺は、その鋭い視線に不敵な笑みを返した。
「……はっ。仰せのままに」
評定が終わり、重臣たちが退出していく中、俺は一人、開け放たれた縁側から空を見上げた。
空は青く、もう潮の香りが混じっている。
背後から、二つの柔らかな気配が近づいてきた。
「旦那様。……見事な立ち回りにございました」
微笑むのは、蔵田屋の女主人、ふるき。彼女の頭の中では、すでに直江津と能登の港を基点にした利益計画が始まっているはずだ。
「……家臣一同の前で、御実城様のお言葉で、宇佐美の復興を宣言頂きました。私も、宇佐美衆も、魂を賭して旦那様をお守りします」
凛とした声で告げたのは、宇佐美栞。彼女の背後には、俺の新たな親衛となる宇佐美衆が控えている。
そして、この春日山には俺の帰りを待つ正室・伊保野と、影として俺を支え続ける鶴がいる。
手に入れたのは、日本海の交易権。
味方につけたのは、上杉の旧臣たちと、経済を動かす商人。
石高という古い物差しなどいらない。俺は、この「海の道」を起点に、誰も見たことがないような新しい上杉の姿を築いてやる。
「……やっぱり、まずは、佐渡だな」
水平線の向こうに浮かぶ島影を見据え、俺は小さく呟いた。
「……やはり、まずは佐渡だな。佐渡を押さえれば、信長の楽市楽座に対抗できる」
佐渡銀山。
後に世界有数の金の産出地となるが、この時代ではむしろ銀山として有名であった。銀は貨幣となり、貨幣は交易を支え、交易は常備軍を養う。それに、国外に流れる主要な産品は銀だ。海を握った今、次に必要なのは金の流れそのものだ。
佐渡を押さえれば、日本海の物流と貨幣の循環を丸ごと掌握できる。それは、石高に縛られた戦国の価値観を根底から覆す一手だ。
第69話をお読みいただきありがとうございました。
ライバルたちが維持費のかかる土地を奪いあっている間に、景虎はちゃっかり、日本海というのプラットフォームを手に入れました。
さて、本作は明日からはいよいよ新章に突入します!
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