67 七尾を落としたが、領地ではなく海を任されそう
春日山城、奥座敷。
そこには、上杉家の双璧である直江大和守景綱と、柿崎和泉守景家の姿があった。
二人の前には、関東から能登に至る膨大な軍功帳が広げられている。
「此度の顕景様の活躍。富山城をお任せするべきだ」
「それは与えすぎだ。むしろ、甘粕殿こそ相応しい」
「では、領地替えを行い、長岡を持ってもらうか」
「まて。それは、我が家の道が……」
深夜まで議論が続く。
「一旦、こんなものか。……さて。いよいよ景虎だ」
「……むう。どうしたものか」
直江が疲れ切った顔で、細長い顎髭を撫でながら顔をあげた。
「真田の調略、唐沢山での籠城と北条との共闘。転進した能登では福良津を中心とした一向宗への補給路の寸断。そして極めつけは、あの難攻不落の七尾城を一晩で灰にした……。三郎景虎殿の軍功、もはや帳面からはみ出しておりますな」
「はっは! 景虎の奴、やりすぎだ。おかげで俺たちの手柄が霞んで見える」
柿崎が豪快に笑い飛ばすが、その瞳には武者としての深い敬意が混じっている。
「だが、景綱よ。功には報いねばならん。それが義に生きる上杉の道だろう?」
「わかっておる。……だが、褒美の規模が問題なのだ」
直江は指で地図の一部を叩いた。
「景虎殿は既に琵琶島、関東との街道の利権、そして福良津という港がある。そこに加えて、仮に、今回、能登一国をそのまま与えるとなれば、家中での発言力は御実城様(輝虎)に次ぐものになる。……顕景(後の景勝)殿との均衡も考えねばならぬだろう」
その時、奥の襖が開き、上杉輝虎が静かに入ってきた。
二人は即座に平伏したが、輝虎は手でそれを制し、無造作に二人の横へ腰を下ろした。
「論功か。景虎に何を出すか、知恵を絞っているようだな」
「はっ。……難航しております」
「御実城様は、どのようにお考えで?」
輝虎は、畳に置いてあった、俺が七尾城で使った「泡立つ水」の報告書を手に取り、眩しそうに目を細めた。
「あやつは、儂が持たぬものを持っている。儂は力で城を抜くが、あやつは理で城を崩す。あやつが武田との戦いで北条勝った三増峠、あれはまぐれではなかったということだ。最早、我が家で景虎のことを北条の小倅と嘲る者は誰もおるまいよ。愉快ではないか」
「全くですな」
「……」
「それに。あやつを支える四人の女人、あれも景虎の能力よ。景虎の弱さを見事に克服させている。これから、活躍する女子も増えるだろうな。……直江よ、能登一国を景虎に預けることに、家臣団は納得するか?」
「功績だけを見れば、誰も文句は言えませぬ。……ですが、越後の国衆の中には、北条から来た『養子』がこれほど巨大な力を持つことを危惧する者もおりましょう」
直江の現実的な進言に、輝虎は一つ頷いた。
「……ならば、こういうのはどうか。七尾の港、それと越中から能登にかけての主要な港の管理権を一任する、というのは」
「領地を与えず、港だけですか。七尾城をあそこまで鮮やかに落としたのに?」
「そうだ。陸の領地を増やすのではない。その代わりに海路をあやつに与えるのだ。……これなら、伝統的な領地にこだわる国衆との摩擦も避けられる。その代わり、景虎には能登の港の利権、そして福良津を拠点に日本海側の交易と水軍の全権を握らせる」
「……なるほど。新しい富を生む権利を与える、と。既に関東との街道の利権も持っていますから、接続すれば、大きな物理と情報の流れになるでしょう」
直江が感心したように頷く。
「それに、三郎はもう一つ、何物にも代えがたい褒美を自分で手に入れた。……宇佐美の娘を側室にしたことよ。あれで、上杉の旧臣たちの心もあやつに付いた。……直江、柿崎。あやつは俺の背を追うのではなく、俺が作れなかった『海の国』を作ろうとしているのだ」
「ふぅむ」
柿崎は腕を組んで考え込んだ。
「柿崎、お前なら迷わず土地を取るだろう?」
「ええ、そりゃあ。米が取れてナンボですからな。だが景虎は、巨大な責任と内政の負担を喜んで捨てるでしょう。本当に変わった男だ。それで、なんという肩書が良いですかな」
直江が暫く考えたのちに提案する。
「……そうですな。「北陸道水軍総管」など如何でしょう」
「長いな。「水軍領主」で良いのではないか」
輝虎は立ち上がり、開け放たれた縁側から遠く北の空を眺めた。
「普段は水軍領主でも良いがな。対外的な箔も必要であろう」
「外交、ですか」
「そうだ。もう、機内も無視が出来ないだろう。三郎景虎を、上杉家直轄の『北陸道水軍総管』に任ずる。……能登をその本拠とし、宇佐美の再興を認める。これが若い愛弟子への評価と信頼じゃ」
「承知いたしました。……ただ、御実城様」
直江が少しだけ声を潜めて言った。
「景虎は、四人の女性に囲まれて、政務よりそちらの差配に苦労されるのではないかと……それだけが案じられます」
その言葉に、輝虎は今日一番の笑みを漏らした。
「伊保野になんて言うのか、など、儂は知らぬよ。それはあやつ自身の戦だ。儂にも助けられん」
「まあ。夫婦喧嘩は犬も……」
「よせ、景綱。そういう言葉は回り回って帰ってくるぞ」
「……」
春日山の夜はふけていく。
本日もご愛読いただきありがとうございます。
ここからさらに物語のスケールが広がり、景虎と鶴たちの新たな挑戦が始まります。
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