62 ふるきの復讐──こうして信者は(物理で)高みへ旅立った
数日もすると、越中の街々には一つの噂がはじめは野火のように燻り、やがて山火事のように広がっていった。
『不信心な僧や門徒が近づくと、明の壁が自ら崩れ、彼らを押し潰す』
実例(俺たちの工作)を伴ったその噂は、狂信的な彼らにとって、恐ろしい神託となった。事が大きくなり、僧兵たちが鎮静化させようとした時はもう遅かった。あちらこちらで不信心者を摘発し戒めようと、内ゲバ、つまり暴力による内部抗争が発生していた。
越中侵攻の拠点として寺院に居座る一向宗、三万。だが、彼らは一歩も動けずにいた。
加賀からの補給路を宇佐美衆が寸断しているのは事実だが、それ以上に深刻な事態が陣内で進行していた。
「……まだか。加賀の門徒から集めた米は、まだ届かぬのか」
「それが、途中の寺院で足止めを……」
僧兵たちが焦燥に駆られる中、さらに追い打ちをかける報告が届く。
「申し上げます! 蔵にあるはずの備蓄米……そのほとんどが、香木や絹織物、そして出所の知れぬ南蛮の酒に交換されていました」
「何だと……!?」
これこそが、ふるきが仕掛けた贅沢の罠であった。
包囲を完了する数ヶ月前から、ふるきは明の商人に擬装して近づき、陣中の僧侶や幹部たちに贅沢の味を覚えさせていたのだ。
「加賀からの補給は盤石。余った米を少し回せば、現世で極楽の味が楽しめる」
そう囁かれた上層部は、すぐに追加が届くことを疑わず、門徒たちが命懸けで運んできた兵糧を、高価な嗜好品へと次々に物々交換していった。そして集合した三万の兵は、そこに潤沢な備蓄があるという前提で糧米を消費していく。その結果、寺の蔵には煌びやかな宝物と、鼻を突くほど高貴な香煙が満ちたが、兵の胃を満たす米はあっという間に枯渇していった。
「旦那様様。敵陣の兵糧、そろそろ底をついたようじゃ」
鶴が、空腹に耐えかねて逃亡してきた足軽たちの惨状を報告する。
「上層部の坊主どもが如来様への供物と称して贅沢品を買い漁り、我らの米を使い果たした」
飢えに震える末端の門徒たちの間で、その噂は瞬く間に広がっていく。
「あいつらが南蛮の酒に溺れている間、なんで俺たちは飢えを強いられている!」
信仰という名の鉄の結束は、空腹の前に、音を立てて崩れ始めていた。不満は、やがて殺意に変わる。
混乱がいい感じに渦巻いた頃、俺は、ここ、という一点を突く。
ターゲットは、一向一揆を統率する強硬派の坊官だ。
彼は、真新しい本堂の奥で、厳重な護衛に囲まれていた。これまで豪華な法衣、石鹸、酒に珍味と、豪勢な生活を続けていたのだが、暴徒に襲われそうになり、加賀から僧兵が来るまで立てこもっているらしい。その本堂の壁は俺たちが作ったものだ。
「……ここだな」
鶴の部下は、壁の裏側に仕掛けておいた隠し戸を静かに開ける。宇佐美衆は音を立てないよう忍び込み、就寝中の坊官の首を掻っ切った。そして、不信心者、と書いた紙をそっと置いた。護衛たちが騒ぎ出す前に、再び壁の中へと消えていく。
「坊官様が殺されてる!? どうやって、誰が本堂入ったというのだ!」
「馬鹿な、ずっと鍵をかけていたではないか……」
「やはり呪いだ! この寺自体が、不信心者を食らう魔物の口じゃ!」
別に呪いでも魔術でも何でもない、種も仕掛けもあるトリックだ。だが、緊張状態にあった僧侶たちに、もはや、軍としての統制は存在しなかった。
疑心暗鬼に陥った門徒たちは、互いを不信心者と罵り合い、各地で内紛が勃発する。
加賀からの増援も、呪われた能登に入ることを拒む僧兵が増え、足止めを余儀なくされていた。
福良津 本誓寺 本堂
薄暗い本堂。中にはうず高く積まれた南蛮の酒に石鹸、嗜好品たち。この世の極楽の筈なのに、集まった坊官たちに笑顔など見られず、皆、険悪な関係であった。
「大体、貴様が考え無しに兵糧を交換したからこうなったのではないか」
「黙れ。お前が毎晩、夜水のように酒を飲むから、足りなくなったのだ」
「おい、まだ兵糧は来ないのか」
「加賀の信徒共は何をしている」
一人の坊官が呟いた。
「……あの明の商人共が、兵糧を返せばよいのに」
「……」
その坊官の独り言が周りに伝播する。
「……その通りじゃ。奴らが兵糧を持って行ったのが悪い」
「そうじゃ。こんな状況になったのなら、奴ら、喜んで寄進するべきじゃ」
「……決まりじゃな。この状況でもそうしないのは、奴らが誠の信心を持っていない証よ。……不信心者は討たねばならん」
「仏罰じゃ! 不信心者を皆殺しにせよ!」
福良津港
冷たい海風が、殺気を含んで吹き抜ける。
明の商人が作った石の蔵の前で大勢の僧兵たちが取り囲んでいく。石蔵の前に立つのは、明の商人に扮したふるきだ。
「不信心な商徒よ、その蔵を開けい!」
先頭に立つ坊官が、血走った目で叫ぶ。
「これまでの取引はすべて無効じゃ。その蔵にある米は、元より我ら門徒が命懸けで運んだもの。今ここで返さぬというのなら、仏罰として一人残らず打ち首とする!」
ふるきは、坊官の醜悪な顔を静かに見つめ、ふっと口角を上げた。
「……仏罰、ですか」
その声は驚くほど低く、地を這うような冷たさを孕んでいた。
「かつて、この福良津を焼いた時も、同じことをおっしゃいましたね。私の家族を、家を、すべて灰にしながら、あなた方は『信心のためだ』と笑っていた」
坊官が眉をひそめる。
「……何の話だ。貴様のような余所者の過去など知らぬわ!」
「そうでしょう。奪う側は、焼いた村の名前などいちいち覚えない。……ですが、奪われた側は、その煙の匂いを一日たりとも忘れないのですよ」
(……ふるき。お前はずっと、この瞬間を待っていたんだな)
ふるきは後ろを振り返る。すると、蔵の上に旗が掲げられた。漆黒の地に鮮烈な朱で描かれた「懸り乱れ龍」の旗印。
上杉の総攻撃を意味するその紋様が、たなびいた瞬間、一向宗の数を頼みに押し寄せていた坊官たちの顔色が変わった。
「……あ、あの旗は……『越後の龍』か!?」
石の蔵の上部の覗き窓、狭間が開く。そこには、完全武装の宇佐美衆が銃口を僧兵に向けていた。
狼狽する坊官や僧兵たちをよそに、蔵の扉が重々しく開く。中から現れたのは三段に組まれた、黒光りする最新鋭の火縄銃の銃列だった。
「馬鹿な、なぜこんな後方に上杉軍が!?…… まさか、これまでの怪異はすべて……!」
俺は、ふるきが用意してくれた陣羽織を力強く羽織っている。背中には『丸に三つ鱗、一翼雀に下向き五根』。一歩前に出ると、ふるきの手に、信頼を込めて軍配を渡した。
「ふるき。随分とお客様が多いじゃないか」
「ええ、お陰様で千客万来です」
「手伝いを約束したお前の復讐だ。大事なお客様の対応だ、お前に任せる」
ふるきは深く、深く頭を下げた。そして顔を上げた時、その瞳には復讐の炎を見せた。
「——畏まりました、景虎様」
ふるきが右手を高く掲げる。三百の銃身が一斉に、欲にまみれた僧兵たちの胸元を捉えた。
「当店の石鹸は、お気に召しましたでしょうか? 身を清め、酒を楽しみ、いよいよ仕上げのアフターサービス……『仏の御元への直行便』をご案内いたします」
ふるきの持った軍配が、力強く振り下ろされた。
「お買い上げ、誠にありがとうございました! ——一斉斉射!!」
ドォォォォン!!
福良津の空を、地獄を焦がすような轟音が切り裂いた。
鉛の弾丸という名のプレゼントが、祈りの言葉を吐く暇も与えず、強欲な坊官たちの胸を次々に撃ち抜いていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ついに、ふるきが長年温めていた復讐ができました。
明の商人に化けて贅沢を覚えさせ、内部から兵糧を枯渇させる……という経済からの一斉斉射の流れ、とても楽しく書いていました。
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