61 能登作戦開始──目標は信仰心の崩壊
数日後。
俺たちは、畠山家からの使者を「租界の外」で迎えた。
「……我らは、畠山には『優先順位が違う二つの勢力だ、直接の協力はしないが、邪魔もしない。だから、お前らも同じようにしてくれ』と伝えろ。俺たちはこれから、一向一揆の背後を突き、越中へ踏み込む」
福良津は、表面上は一向宗と明の商人の平和な港。だがその内側では、三百の精鋭が体力を取り戻し、小次郎がようやく桶から解放され、宇佐美衆の銃器が整備を終えようとしていた。
「景虎様、宇佐美衆、準備は整いました」
栞が俺の前に進み、静かに告げる。栞は比丘尼の格好をしている。部下たちも身に纏うのは、煌びやかな具足ではない。泥と墨で汚した野良着や、使い古した法衣だ。
だが、いずれの目も、すでに戦う者のそれに変わっていた。
そこで、俺の説明だ。
「まずはお前たち、その場に座れ」
「殿?」
訝しむ部下たちに俺は続ける。
「座ってくれ。これからお前たちにやって貰いたいのは正規軍の仕事じゃないんだ。だから、規律正しくやっていると難しいと思う」
やがて部下たちが座ったところで語りかけた。
「戦は兵を斬るより、兵の心を斬る方が早い。なぜ、心を狙うのか。それは、心を折れば、兵は自ら崩れる。刀で斬るより、ずっと早く、ずっと確実にな」
「……」
「俺たちが狙うのは、兵糧でも寺でもなくてな。彼らの信仰心そのものを砕く。それが今回の俺たちの目標だ」
その言葉に、場の空気が変わった。ふるきが微笑み、鶴が腕を組み、栞がわずかに頷く。
「俺たちの今回の動きは特殊部隊だ。目立ってはいけないんだ。これからやることはな、一向宗に疑心暗鬼の種植え付けて、内紛を起こさせることなんだ。だから、旗は袋の中に縫い込んでおけ。俺も、この真新しい陣羽織は、ここぞという時までしまっておく。案ずるな。数週間後には、俺たちの旗でこの地は騒然とする」
栞が手を上げた。鶴が栞を指名する。
「景虎様、教官殿。内紛をどのように起こさせるのでしょうか」
「……では、具体的な手順を説明します」
そこでふるきが答える。
「既に何ヶ月も前から、私どもが石鹸などの高級品を、寺院の高僧を中心に提供しています。もちろん、一向宗全員に使える分量などあるわけが無く、ここに格差と不満を生み出しやすい状況を作り始めました」
そこで一呼吸置くと、兵の一人に声がけする。
「そこのあなた。もし、近くにいる者が清潔で良い香りを漂わせている。自分は汗まみれで発疹がある。どうします?」
「え? えーと、奪う?」
「はい。ほかには?」
(……胃が痛い。これ、絶対あとで伊保野に報告して怒られるやつだ)
ふるきは次々と他の者を指していく。
「……商人から奪う」
「俺?……えっと、商人会って買いにいく」
ひとしきり兵に質問したあと、ふるきはこう話していく。
「そうですね。その辺の商人ならそれも良いでしょう。しかし、既に私たちは高僧たちの庇護下に置かれている、大明の豪商の娘。簡単には襲えない。だから取引を持ちかけられます。しかし、大明は寛永通宝の輸入元。ですから、通貨で取引しません。次の質問です。私は何と交換していると思いますか。はい、そこのあなた」
(ふるき、ノリノリだな。あんな喋る子だったか?)
「金や銀か?」
「残念、今回は違います」
「……なんだろう」
ふるきは横の蔵を部下に開けさせる。
「正解は、兵糧です」
「ッツ!!」
ふるきの部下が開けた蔵の中にはおびただしい量の兵糧が山積みになっていた。
(……ふるき、完全に講義モードだな)
「三万の軍勢が二月は戦える量があります。一向宗が現地調達しようとするものです」
「……つまり、一向宗は加賀から物資を搬送しないと継戦出来ないと」
ふるきは我が意を得たりと微笑む。
「はい。補給路とは、一番近くの拠点から潰すものです」
「……流石だな。というわけで、趣向品を使って不満の種を撒き、更に付近の兵糧を買い取った。一向宗が戦う為には長距離の物資の輸送か、臨時徴発をしないといけない。このタイミングで我らが動く」
そこに鶴が続ける。
「まずは、輸送中の物資が寺院に入るところで、龍穴を撃ち抜いて壁や蔵を破壊する。狙撃と爆破だ。そして、その理由を神罰だと流布する。実際に物が壊れているのを見ると、そしてあり得ない事が起きると、人は呪い神秘を信じやすくなるものじゃ」
「しかもな。約束の物資が届かないので、現地調達を行い始める。ところが、能登に余剰物資などあるわけがない。……元々一向宗は生産ではなく、イナゴのように周囲から略奪で大きくなった。飢えたイナゴはすぐに内部分裂を起こすだろう」
「……共喰いですね」
「それを誘発するように情報操作を行っていく。お前たちが修行僧、比丘尼、山伏、日雇い人夫のような姿なのはこの為だ。最後、ここぞというところで軍装に着替え、一向宗の後ろをつく。……何か質問はあるか?」
「……」
「よろしい。では、行くぞ。たとえ仏敵と呼ばれても、俺たちは生き残る」
「「「応」」」
ふるきが俺にしか聞こえない声でつぶやいた。
「……本当に、戦国の男たちは単純で助かりますわね」
俺たちは、夜陰に乗じて福良津を静かに発った。
目指すは越中。上杉本隊が動くための「街道の掃除」が始まる。
越中境の街道沿い。
ここには、かつて俺とふるきが「セメント」で補強したばかりの支坊や検問所が点在している。
俺たちは姿を隠し、街道を見下ろす茂みに宇佐美衆を配置した。
「……来たぞ」
加賀から越中へ向かう、兵糧を積んだ小荷駄隊。護衛の門徒たちは、自分たちが寄進した「最新の石造りの門」を誇らしげに通り抜けようとしていた。
「やれ」
「御意」
乾いた音が一つ。だが、狙ったのは人間ではない。
門の最上部、崩壊の起点となる「龍の脈」に打ち込まれたクサビだ。
鉄砲の衝撃でクサビが弾け、過積載の塩分で脆くなった内部構造が嫌な音を出し始める。そして。
ドォォォォォン!!
巨大な石塊が、まるで神の鉄槌のように門徒たちの頭上に降り注いだ。
逃げ惑う彼らに追い打ちをかけるのは、姿の見えない狙撃。
「足を狙え。殺すな、生かして恐怖を語らせろ」
更に、意識的に生き残った門徒の耳に届くよう、法衣や比丘尼姿の部下たちに叫ばせた。
「不信心な輩が通るから、如来様が門を落とされたのだ! 大明の石鹸を横領した報いじゃ!」
鶴が逃げ惑う門徒たちを背に呟いた。
「人は、理解できぬ現象ほど神の仕業と信じるものじゃ。早う、広めよ」




