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鶴姫と景虎の国盗り経営録 ──戦国の怪物たちを円卓に集めたら資本で世界を取りに行った件  作者: みなと
第5章 北陸編

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57 唐沢山の褒美──景虎、能登行きと軍旗を拝命する

唐沢山城を包囲していた「坂東太郎」の五千が、下野の霧の彼方へと消えてから三日。

城内はようやく、血と死臭と硝煙に代わって、炊き立ての米や味噌の匂いと、上杉軍が持ち込んだ酒の香りが漂い始めていた。

だが、俺――三郎景虎に、その余韻に浸る時間は与えられなかった。


「景虎、今回の武功、誠に天晴。その褒美と言っては何だが、一つ宿題をやる。春日山に戻るまでに、己の『軍旗』を考えておけ。この後、越中と能登に行くからな」

「……え、もう越中?」

 俺は、まだ節々が痛む体に鞭打って、本丸の広間に呼び出されていた。

 褒美の言葉に一瞬だけ期待した俺の心は、続く「越中」という単語に秒でへし折られた。


「この先、お前が率いるのは俺が貸す軍ではない。お前を信じて泥を啜りながら作った、お前だけの軍勢だ。ならば、そいつらが死地で仰ぎ見る『柱』が必要だろうが。……相模の鱗か、上杉の雀か。お前が何者として戦うか、その模様で示してみせろ。……それまでは、儂の旗は貸さんぞ」

(……出た。この人の『自分で考えろ』攻撃だ。しかも、春日山に着くまでにって、納期が短すぎるだろ……!) 


 目の前には、遠征の疲れなど微塵も見せず、冷えた突き出しの川魚を美味そうに咀嚼する御実城様(上杉輝虎)がいる。俺ら、まだ粥しか食えないぞ。

「お前も食うか?」

「……絶対辞めてくださいね。まだ、内臓が回復出来てません。長期間の飢餓のあとに急に栄養を入れると、身体がショックを起こして死ぬことがあります。「リフィーディング症候群」っていうんですよ」

「ショウコウグン? ……よくわからぬが、お前はもう歩けるではないか。ならば戦える」

「二十代くらいまでなら、新陳代謝がいいので、栄養取れば見た目だけは元気になりますが。心が弱いやつもいるんですよ」

「ふむ。まあ、それでも行って貰わねばならんがな」

「越中ですか。たしかにそういう作戦でした」

「左様。唐沢山の後始末は、佐野昌綱と北条の寄騎に任せれば良い。義重も拠点を焼かれては、当面は常陸で大人しくしておろう。ならば、今この瞬間こそが儂の持っていた時よ。越中に向かう。明日、向かう」

「待ってください。俺の軍勢は、二十日間、泥水すすって佐竹の猛攻を凌ぎ切ったばかりの、ボロ雑巾みたいな二千です。少しは『有給休暇』って概念を思い出してくださいよ……胃がキリキリしてきた」

「ユウキュウ? またお前の妙な異国言葉か。案ずるな、全軍を動かせとは言わぬ」


 輝虎は、地図の上にゴトリと空の杯を置いた。そこは、越後の西、北陸道の要衝・越中(富山県)だった。

「越中の神保長職じんぼう ながもとが、再び一向宗と結んで不穏な動きを見せている。さらに加賀からは一向宗が雪崩れ込み、能登の畠山も内紛でガタガタだ。俺が本軍を率いて春日山へ戻り、直ちに越中へ踏み込む。……だが、正面から入れば、奴らは湿地帯と城砦に引きこもって持久戦に持ち込むだろう」

 輝虎は、その鋭い眼光を俺に向けた。

「そこで、お前の出番だ。お前の手勢のうち、動ける五百……いや、三百で良い。宇佐美衆を連れて、越後から船に乗れ。目指すは能登の境、福良津ふくらづだ」

「……福良津が危ないと?」

「うむ。既に能登の大半は一向宗が掌握しつつある。このままでは畠山も時間の問題だ。折角お前が用意した福良津の橋頭堡、どんなに人工石で固めても多勢に無勢では持たん」

「逆に、越中侵攻時に裏から撹乱しろと。そうおっしゃいますか」

「そうだ。顕景をはじめとして、上杉勢はほぼ無傷。だから越中に当てることができる。しかし、撹乱を誉れとは思わないだろう?」


 ……くそ。俺はまだ本調子ではないんだぞ。だが、ふるきたちを見捨てるわけにもいかない。結局、伊保野の「しばらくはお側に」という殊勝な願いも、鶴の「死なれたら困る」という説教も、まとめて軍令という名の荒波に押し流されることになった。

「わかりました。ですが、徒歩と騎乗は無理かと」

「わかったわかった。ここに来るまでに使った荷車は空になっていよう。それで直江津まで搬送させよう。顕景(上杉景勝)が通した街道、中々良いぞ」 


 輝虎のその一言で、俺たちは文字通り「荷物」として、ガタゴトと揺れる荷車に詰め込まれた。

 唐沢山の石垣にへばりついていた俺たちの体は、平地を走る荷車の振動ですら節々に響く。隣では前島修理亮が、傷口に障らぬよう、借りてきた猫のように丸くなって寝息を立てていた。

 (やはり、白兵戦をやっていた小机衆と琵琶島衆は休養と補給が必要だ)

 揺れる荷車の中で、俺は必死に筆を走らせていた。

 隣で鶴が「旦那様、また熱が上がりますよ」と呆れ顔で看病してくれているが、これを出さなきゃ越中行きのゴーサインが出ない。……いや、いっそ作らない方がいいのか?

「……できた。これだ」

 俺が輝虎の馬に並び、描き上げた図案を差し出すと、輝虎は手綱を引いて足を止めた。

「ほう。『丸に三つ鱗、一翼雀に下向き五根笹』……か。随分と欲張ったな、三郎」

「鱗は俺のルーツ、相模の血です。それを上杉の『和』を示す円で囲みました。雀は片翼にしました。俺一人では飛べない……もう一方の翼は皆と共に、という意味です」

 輝虎は無言で図案を見つめる。

「景虎。お前はもうただの養子ではないからな」

その瞳の奥に、わずかな熱が灯った。

「五根笹を逆さまにしたのは?」

「逆さまではありません。これは根です。俺は上杉の根となり、この北陸の地に深く突き刺さる。二度と引き抜かせないという覚悟です」

しばしの沈黙のあと、輝虎は図案を俺に返した。

「…… 許す。その旗を掲げて、越中の泥沼を好きなように掻き回してこい!」

「……ははっ。ありがたき幸せ、でございます」 


 俺は途中の琵琶島で七介、蓮次、前島らに休養を命じ、最小限の宇佐美衆と鶴たちで直江津に向かった。

 直江津の港に着く頃には、ようやく人心地がついた。だが、俺たちを待っていたのは、日本海の荒波と、輝虎の無茶ぶりを軽く超える船上の修羅場だった。

※お読みいただきありがとうございます。

関東での戦いはひとまず幕を下ろし、景虎は再び北陸へ向かうことになりました。

次回からは、越中・能登を舞台に新たな局面が始まります。

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