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鶴姫と景虎の国盗り経営録 ──戦国の怪物たちを円卓に集めたら資本で世界を取りに行った件  作者: みなと
第4章 関東編 ~二千の潜入、唐沢山の死闘~

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55 佐竹義重を二重の罠に嵌めました

 唐沢山城を包囲する「坂東太郎」こと佐竹義重の五千の軍勢。その包囲網が完成してから、二十日が経過していた。

 黎明の光が、険峻な山城を青白く照らし出す。南の空、武蔵の境界に近い地平から、一筋、また一筋と狼煙が上がる。

「……北条だ。氏政が今頃動いたぞ!」

 佐竹の陣中から歓声が上がった。それは援軍への恐怖ではなく、獲物を追い詰めた猟犬たちの咆哮だった。


 総大将・佐竹義重は、黄金の毛虫を模した前立てが輝く兜の下で、冷徹な目を南の地平に向けていた。そこには、「三鱗」の旗印が山を埋め尽くさんばかりに翻っている。

「……ふん。派手に旗を並べおったな、氏政め。だが、あの足音の軽さはどうだ。砂塵は舞えど、大地の震えが足りぬ。あれは寡兵を大軍に見せかける『空箱』の類よ」

 義重は鼻で笑った。名将ゆえの、鋭すぎる洞察。彼は北条の援軍が「ハッタリ」であることを見抜いた。

「北条は、我らの注意を南に逸らし、その隙に城内を逃がすか、あるいは後詰の時間を稼ぐつもりよ。その策、乗ってやる。……全軍、突撃! 氏政が幻影を見せている間に、本物の地獄を唐沢山に刻んでやれ! 上杉輝虎が来る前に、景虎の首を石垣に晒せッ!」

 義重の号令一下、五千の精鋭が怒涛の勢いで登城道を駆け上がった。

 だが、本丸への細い山道で、予期しない滞りが起きた。

「どけッ! 邪魔だ、死に損ない共が!」

 佐竹の先鋒が罵声を浴びせる。そこには、これまでの二十日間、宇佐美衆の精密狙撃によって「あえて殺されず、動けなくされた」数百の負傷兵が、肉の壁となって折り重なっていた。撤退もできず、かといって戦う力もない自軍の兵たちが、進軍の足枷となっていたのだ。

 宇佐美衆の栞と小次郎が仕掛けた、時間稼ぎ――「負傷者の量産」。

 焦れた佐竹兵は、ついには自軍の仲間を踏みつけ、蹴散らして進み始めた。その光景はもはや軍勢ではなく、血に飢えた獣の群れだった。

 その時、本丸の最奥から地響きのような悲鳴が上がった。

「門が開いたぞ! 佐野が門を開けた!」

 極限の飢えと死の恐怖に耐えかねた佐野昌綱の重臣・阿久沢某が、ついに独断でかんぬきを外したのだ。

「佐竹様! 景虎の首はすぐそこに……!」

 狂喜して門へ雪崩れ込む佐竹の騎馬武者。だが、先頭の武者は、縋り付こうとした内応者の阿久沢を、無造作に一刀の下に斬り捨てた。

「裏切り者の面など見たくもないわ! 景虎はどこだ!」

 義重の冷酷な宣告が響く。縋ろうとした誘惑が死神の鎌であったことを知り、内応者たちは絶望の中で事切れていった。

 大手門を破り、本丸へと突き進む佐竹軍。

 その前を塞ぐのは、血反吐を吐きながらも槍を杖にする前島修理亮であった。

 琵琶島衆を率いる彼は、全身に矢を浴び、血の泡を吹きながらも、仁王立ちで敵を迎え撃っていた。

「……越後の武士を、舐めるなと言ったはずだ……!」

 前島が死力を振り絞って槍を振るい、三人の敵を同時になぎ倒す。

「……そこをどけ、前島。景虎の首を獲れば、すべては終わる」

 黄金の毛虫を揺らし、馬上の佐竹義重が「八文字長義」を振り下ろそうとした、その時だった。

「――終わるのは、あんたのうちの方だぜ、義重殿」

 本丸の階段に、泥だらけの陣羽織を纏った男が一人、床几に腰掛けていた。

 俺、三郎景虎だ。

 俺は震える手で、一通の書状を掲げた。

「……何だと? 死にぞこないの若造が何を言う」

「あんたがこの城を落とすのに夢中になっている間に、佐竹は死地に入りこんだ。……義重殿、あんたは氏政殿の軍を寡兵と見抜いた。それは正しい。だが、その寡兵が何をしているかまでは見誤ったな」

 義重の眉が動く。

「南で旗を振っていた北条の精鋭は、そのままあんたの後方へ回った。……今頃、あんたの補給拠点――壬生城と祇園城は、北条の五色備えによって火の海だ。落城の報せは、もうすぐ届くぜ」

「……ぬかせ! 城の一つや二つ、唐沢山を落とした後で奪い返せば済むこと!」

「いや、無理だ。あんたの補給線は今、完全に消滅したんだよ」

 俺は空腹で霞む目を、城壁の陰に潜む栞と小次郎に向けた。

「合図だ。……ぶっ放せ!」

 栞が微笑み、最後の一握りの火薬を点火した。

 鉄屑を詰め込んだ特大の爆音弾が、佐竹軍の「火薬運搬隊」の真横で炸裂した。

 ――ドォォォォォォォン!!

 凄まじい轟音と熱風。義重の愛馬が棹立ちになり、義重がわずかに体勢を崩した、その刹那。

 小次郎の指が引き金を絞った。

 弾丸は義重の首筋をかすめるほど正確に飛び、兜の前立てを固定する「座」をピンポイントで粉砕した。

「――なっ!?」

 宙を舞う黄金の毛虫。泥濘の中に、佐竹の信念の象徴が力なく転がった。

 俺はその前立てを拾い上げ、義重を睨み据えた。

「義重殿、あんたは北条の擬態を見破ったことに満足し、一番危険な相手のことを頭から遠ざけた」

「何を……」

 その時だった。

 戦場に、北側の険峻な尾根から、空気を引き裂くような法螺貝の音が響き渡った。

 一度ではない。二度、三度。山々が共鳴し、大地が震える。

 義重が愕然として見上げた北の峰。そこには、日光の霧を切り裂いて、忽然と現れた「毘」の白旗が、尾根を埋め尽くしていた。

「な……上杉だと!? いつからそこに――」

「北条が南で派手に騒いでいたのは、あんたらに目を『南』に釘付けにするためじゃない。『北』から逸らすための特大の目隠しだ」

 俺は血の混じった唾を吐き捨てた。

「御実城様は、あんたが北条のハッタリを『見破る』ことまで読んでいた。疑り深いあんたなら、南の寡兵を見抜いて策の浅さを嘲笑い、北の険路からの進軍を警戒から外すだろうと」

 南では北条の別働隊によって拠点を焼かれ、北からは越後の龍が牙を剥いて駆け下りてくる。

 佐竹義重は、自分の「有能さ」ゆえに、二重の罠に嵌まったのだ。

 壬生城と祇園城が落ちた今、佐竹軍が帰る場所も帰る為の道も失った。唐沢山を落としたところで、そこは孤立した陸の孤島となり、上杉と北条に挟み撃ちにされて全滅を待つだけの檻となる。

「……三郎景虎。貴様、最初から、俺が『前へ進む』ことしか考えていないと見抜いて、後ろを刈り取ったのか。俺がこう振る舞うことを見越して、この網を張ったか」

 義重の目が、凄まじい殺意から驚愕へ、そして敗北の受容へと変わっていく。

 唐沢山の喉元まで、彼の刃は届いていた。あと数歩進んで、座っているこの非力な俺を斬れば、この城は落ちる。

 だが、その時間で逃げねば、佐竹家という大樹が根こそぎ倒れる崖っぷちへの一歩だった。

「……引けッ! 全軍、撤退だ!」

 義重は血の出るほど唇を噛み締め、馬首を巡らせた。

「無念……! 景虎ァ、その前立ては預けておく。次に会う時、貴様の首と共に返してもらうぞ!」

 佐竹軍は、潮が引くように下野へと去っていった。

 入れ替わるように、北の山から「毘」の旗を掲げた黒々とした軍勢が、地響きを立てて雪崩れ込んでくる。

 朝焼けの中、静まり返った唐沢山城。

 俺は陣羽織の泥をを払い、前島の元へ歩み寄った。

「……前島、生きてるか」

「……ええ。景虎様の、あなたの大ボラが……本当になるところを、見届けるまでは」

 前島は槍を杖に立ち上がり、空を仰いだ。

 そこには、越山を終え、白布で顔を包んだ「越後の龍」上杉輝虎が、愛馬に跨り、堂々たる威容でこちらを見下ろしていた。


 城門では、鶴と柚子が北条の将を伴って凱旋し、宇佐美衆は役目を終えた銃を愛おしそうに拭いている。

 誰もが極限だった。誰もが泥にまみれ、死の淵を歩いた。だが、唐沢山の石垣は、最後まで守り通した。

 勝った、とは思えなかった。ただ、生き残っただけだ。この勝利がどれほどの犠牲の上に成り立っているか、俺は嫌というほど知っている。それでも、皆が笑っている。ならば、俺も笑わねばならない。指揮官とは、そういうものだ。


 俺は手の中にある黄金の毛虫を、呆然と眺めていた。

 勝利の美酒を味わう余裕などない。ただ、腹が減って、目が回りそうだった。

「……佐竹の金の毛虫など食えたもんじゃない。お前ら、もう少しでメシが食えるぞ」

 俺の言葉に、仲間たちがどっと笑った。唐沢山を包み込む朝陽は、どこまでも赤く、そして温かかった。

※お読みいただきありがとうございます。

今回の戦いは、景虎の策と仲間たちの執念がようやく実を結ぶ回でした。

ただ、勝ったとは言い切れないですね。

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