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鶴姫と景虎の国盗り経営録 ──戦国の怪物たちを円卓に集めたら資本で世界を取りに行った件  作者: みなと
第4章 関東編 ~二千の潜入、唐沢山の死闘~

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53 佐野の裏切りで、唐沢山で二重包囲されました

 予期せぬ方向からの強襲に、宇都宮軍は呆気なく瓦解した。俺たちはその混乱を突き抜け、地響きを立てて開いた大手門へと滑り込む。

 しかし、大手門が閉まった直後、信じられないことが起きた。

 本丸へと続く跳ね橋が、乾いた音を立てて跳ね上がる。それと同時に、本丸の狭間から一斉に弓矢が突き出された。

「なっ……佐野昌綱、何の真似だ!」

 七介の怒号が響く。だが、二の丸と三の丸に閉じ込められた俺たちを待っていたのは、沈黙と弓矢だった。

 

 本丸の階上、そこには先ほどまで「土色の顔」をしていた佐野昌綱が立っていた。その横には、佐竹からの使者であろう、黒具足の武者が勝ち誇ったようにこちらを見下ろしている。

「裏切りだと……! 俺たちはあんたらを助けるために、八十里を駆けてきたんだぞ!」

 蓮次が刀を抜きかけるが、俺はそれを手で制した。

「……昌綱殿。説明を願いたい」

 俺の静かな問いに、昌綱の顔が歪んだ。それは裏切りの愉悦ではなく、追い詰められた獣の絶叫に近い表情だった。

「仕方なかろうが! 景虎殿!」

 昌綱の喉が鳴る。

「上杉の義理? 越相同盟? そんな言葉で腹が膨れるか! 去年もそうだ。御実城様(謙信)は『助ける』と言いながら、雪が降ればさっさと越後へ引き揚げてしまうではないか! その後、残された我らがどれほど佐竹や宇都宮の猛攻に晒されたか、貴殿にわかるか!」

「だから、俺たちを売ったのか」

「七百の佐野の兵、そしてこの地の民を守るには、これしかなかったのだ! 佐竹義重公からは、貴殿の首を差し出せば、二度とこの城を攻めぬと約束を頂いている!」

 まもなく、城外から地響きのような鬨の声が上がった。

 佐竹義重の本軍五千。彼らは、俺たちが二の丸・三の丸を確保し、本丸と分断された瞬間を狙い澄ましたように、城を三重に囲んだ。

 内側に七百の佐野軍。

 外側に五千の佐竹軍。

 その隙間に、俺たち二千の軍勢が挟み込まれたのだ。

「……三郎様、こいつは出来の悪い話だ」

 七介が乾いた笑いを漏らす。

「外に出れば佐竹に食われ、後ろを向けば佐野に撃たれる。俺たちは、間抜けな袋のネズミってわけですか」

「クソッ、……兵を二手に分けるぞ。前島修理亮、お前たちは二の丸、武者溜まりを中心に布陣しろ。本丸を完全に包囲し、井戸を封鎖しろ。水一滴、本丸の裏切り者どもには渡すな。それから東、渡良瀬川へと続く崖下のルートを死守せよ」

「承知。本丸のネズミども、喉を焼いて干からびさせてやりましょう」

 前島衆が、槍の石突きを石垣に打ち鳴らして応える。彼らの役割は、内側の佐野軍を封じ込めつつ、険峻な東側の崖からの潜入を防ぐことだ。

 一方、三の丸には小机衆が展開した。

「七介、蓮次。お前たちは西と南、佐竹・宇都宮の主力と向き合え。大手門が破られれば終わりだ。死力を尽くして食い止めろ」

「任せておけ、若旦那。小机衆の意地、坂東太郎に見せつけてやる」

 俺たちは、自分たちを閉じ込めたはずの檻を、逆に敵を閉じ込める檻へと作り変えることにした。

 だが、兵糧と弾薬の欠乏だけはどうにもならない。胃の底が熱を帯び、思考が霞み始める。


 本丸の包囲を完成させ、防衛態勢が一段落したあと、評定に集まった俺たちの顔は険しかった。

 俺は地図を睨んだ。北条ほうじょう家からの補給部隊は、すでに佐竹の別動隊によって渡良瀬川のほとりで壊滅させられたとの報も入っている。

 孤立無援の中、御館様(謙信)が越山してくるまで、あと二十日。


 「景虎様、マズイです。佐野に予め撤収されていたようで、二の丸にも三の丸にも備蓄はほぼありません。我ら二千、食料は十日も保ちません。さらに……」

 栞が、手入れを止めた火縄銃を見つめて言った。

 「火薬と弾薬。我ら宇佐美衆が沼田から持参した分は、先の入城戦で四分の一を消費しました。……補給がなければ、直ぐに使い物にならなくなります」

 「栞。本丸から指一本でも出そうとする奴がいれば、眉間を撃ち抜け。ただし、それ以外は一発も撃つな。弾薬の無駄を減らそう」

「了解です。……佐竹の挑発は?」

「無視だ。……一言も発さず、無駄玉も撃たず、ただそこに居るだけで敵を震え上がらせてしまえ。いいか。粘るぞ」


「鶴。……柚子を連れて、今夜中に城を抜けろ」

 俺の言葉に、鶴が眉を動かした。

「……吾に逃げろと言うのかえ?」

「違う。この包囲網を抜けられるのはお前たちだけだ。厩橋の北条高広の領地を抜け、さらに南、北条氏政殿の元へ救援の要請に向かってくれ」

 鶴はしばし俺を見つめていたが、艶然と笑った。

「……旦那様、高くつくのじゃ。柚子、準備しなさい」

 その夜、闇が最も深まった頃。俺は城の北端、最も険しい断崖を背にした物陰に立った。

 「……準備はいいか」

 鶴と柚子は、二人とも夜陰に紛れる漆黒の装束に身を包んでいる。

「言われなくても。この程度の包囲網、吾からすればザル同然よ」

 鶴は笑う。だが、その瞳には珍しく鋭い決意が宿っていた。

「柚子、首尾は?」

「抜かりおまへん。佐竹の陣、交代の隙間は三つおます。そこを抜けて、一気に南の足利へ向かいまっせ」

 俺は鶴の肩に手を置いた。

「北条氏政殿に伝えろ。三郎景虎、唐沢山にあり。俺を死なせれば、関東の均衡が逆戻りになる。上杉との約定、北条の意地を見せてみろ、と焚き付けてきてくれ」

「旦那様、人使いが荒いのじゃ。……良いか旦那様。絶対に死ぬな」

 鶴が俺の耳元で囁き、冷たい指先で俺の頬を撫でた。

「すぐに戻る。もし首だけになっていたら、……追いかけるぞ」

 二人の影が、音もなく石垣を滑り降りていく。

 鶴が手を上げ、柚子が息を止めた。

 佐竹の夜警の足音が、闇の中で湿った土を踏みしめる。犬の低い唸り声が、すぐ近くで響いた。

 「……ッ」

 そのまま二人は、影に溶けるように斜面を滑り降りた。

 

 数分後。城下の闇の中で、一瞬だけ鳥の鳴き真似のような音が響いた。突破の合図だ。

「……行ったか」

 俺は、彼女たちが消えた南の空を見つめた。そこには実家の北条氏政が治める広大な関東平野が広がっているはずだ。


 佐竹軍は連日、城門の近くまで寄せ、罵詈雑言を浴びせてくる。

「三郎景虎、北条の捨て子よ! 飢えて死ぬ前に、その首を差し出して楽になれ!」

 だが、二の丸の壁に並ぶ宇佐美衆は、微動だにしない。

 本丸の佐野軍も、不気味なまでの静寂に耐えかね、夜中に逃げ出そうとした兵が数名いた。だが、彼らが本丸の柵を越えた瞬間、闇の中から「シュッ」という風切り音と共に、火縄銃の鈍い音が一発だけ響いた。

 翌朝、本丸の堀には、眉間を正確に撃ち抜かれた佐野兵の死体が転がっていた。

 

 三日、五日。

 城内の兵糧は尽きかけ、雑草を煮て食う日々が続く。

 ……腹が減ると、思考が鈍る。

 俺は地図を睨んでいるつもりで、ただ紙の上の黒い線を眺めているだけの時間が増えていた。

 「本当に、これで良かったのか」

 そんな弱音が喉まで上がり、慌てて飲み込む。指揮官が揺らげば、二千の命が揺らぐ。だが、揺れぬ人間などいない。俺もまた、その一人だ。

 本丸の昌綱も、外の義重も、この沈黙に苛立ち始めていた。俺も、腹が減って仕方がないのだが、愛刀の柄を握りしめ、ただ一点を見つめていた。

「景虎様、本丸から矢文です」

 蓮次が、火に炙られた一本の矢を持ってきた。

 文を開くと、そこには昌綱の震える筆跡でこう記されていた。

『降れ。さもなくば、明日、本丸に蓄えた火薬を爆発させ、この城ごと自害する』

 俺は文を握り潰し、冷たく笑った。

「自害か。どうでも良い。……七介、本丸に向けて叫べ。『死ぬなら勝手に死ね。ただし、火薬を爆発させた瞬間に、我ら二千が本丸へなだれ込み、一人残らず地獄へ道連れにしてやる』とな」


 兵たちは、もはや飯の夢を見るようになっていた。

 夜中、誰かが「味噌汁……」と寝言を漏らし、すぐに泣き声に変わる。雑草を煮た鍋は、泥の匂いしかしない。それでも、皆で分け合った。

「殿、これ……まだ食えます」

 小次郎が差し出したのは、石垣の隙間に生えていた苔だった。七介が頭を抱えた。

「……お前、それは食い物じゃねえ」

※お読みいただきありがとうございます。

唐沢山城では、景虎の力ではどうにもならない局面を描きました。

この先どう動くのか、続きを楽しみにしていただけたら嬉しいです。

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