46 ブートキャンプ卒業生、初陣で乱波を一瞬で静かにしました
越後・荒浜。
かつては潮風に焼かれた砂地だったこの地は、俺の野望を具現化する、日ノ本最大の化学工場になろうとしていた。
海風に混じる独特の油の香りと、鼻を突くアルカリの刺激臭。その熱源の中心に、俺を支える二人の対照的な女性の姿があった。
「温度上昇が、以前の記録より四半刻(約30分)も遅れておる! 苛性ソーダの投入は一滴の狂いも許さないと、あれほど伝えたはずじゃ。釜の火力を絞れ!」
蒸気と熱気が渦巻く最前線。凛とした鋭い声で職人たちを指揮しているのは、北条幻庵の娘にして俺の側室、鶴だ。
鶴は、俺から託された製造業の全工程を取り仕切る実務の責任者だ。その理知的?な采配に、前島たちや琵琶島で雇った荒くれ者の人夫たちもキビキビ動く。
「……相変わらず、ここは熱気が凄まじいですわね。鶴、あまり根を詰めすぎては、お体に障りますよ」
工場の入り口に、陽光を背負って一人の女性が佇んでいた。
俺の正室、伊保野である。
輝虎の義娘としての気品を纏い、落ち着いた所作で歩み寄る彼女の姿に、工場の喧騒がふっと静まる。その瞳には、正妻としての揺るぎない包容力と、同時に武家の女としての鋭い洞察力が宿っていた。
「伊保野様……。正室殿とあろうお方が、このような煤けた場所へ、一体何のご用でしょうか。ここは私のような者が差配する場、遊び場ではありませんわ」
鶴が手を止めず、微かな対抗心を込めて言葉を返す。実務を支えている自負が、彼女の言葉を尖らせる。
「遊びなどとは。……景虎様が新しい施策に没頭され、顕景は街道整備で帰ってきません。春日山があまりに静かでしたので、こちらで励む貴女の様子を、少しばかり応援に来たまでです」
伊保野は穏やかに微笑みながらも、その視線は型に流し込まれていく「白い塊」を注目していた。
型から抜かれたのは、雪のように白く、滑らかな手触りの石鹸。
そこには景虎の指示通り、大明帝国の官許品を思わせる『大明』の文字が、精巧に刻まれている。
「……これが、噂に聞く『大明』の刻印ですわね。旦那様が仕掛けられた、あまりに巧妙な罠……」
伊保野が静かに囁く。その声はあまりに小さく、鶴にしか聞こえない。
彼女の視線は、工場の高い天窓――そこに潜む微かな気配を捉えていた。
労役人に扮して紛れ込んだ武田の忍び。彼らは今、必死にこの光景を、大陸との密貿易の証拠として記憶しようとしている。忍びは、石鹸の白さを見て、明の皇帝の御用工場と誤認し、喉を鳴らしている筈。
「ええ。あの鼠どもは今、景虎様の背後に大陸の巨影を見て、慄いているじゃろう」
「……鼠共が、その偽の真実を抱えて無事に逃げ延びるまで、決して邪魔をしてはなりませんね。景虎様が仰った通り……最高の間諜とは、こちらが望む嘘を、命懸けで主君に届けてくれる者のことですから」
伊保野の言葉に、鶴は深く頷いた。内政を支える側室が富を築き、大局を見守る正室が外の敵に目を光らせる。
高台からその様子を眺めていた俺は、夕刻、二人に礼を述べた。
「伊保野、鶴。いつも苦労をかける。ありがとう」
景虎の声に、二人が同時に背筋を伸ばし、深く一礼する。
「武田の忍びが一人、南へ向かった。……伊保野、これはあなたに頼みたい。奴が躑躅ヶ崎館の門を叩くまで、決して気づかれぬよう影から見届けさせてくれ。武田の跡継ぎに、上杉には大陸が後ろについている、簡単には手が出せないという情報を掴ませてやってくれ。そうだな。明の新興宗教に取り込まれた三郎景虎は、荒浜でせっせと密輸品を製造している、とか良いんじゃないかな」
「本当に酷いお方で。景虎様。追跡の任、飛猿に命じましたわ。しかと果たしてまいります」
伊保野が微笑むと、付近から気配が去ったのがわかった。飛猿が動いたのだろう。
「旦那様。武田とは別の者がきているようなのじゃが」
「……ああ。また織田か徳川か、それか一向宗かな。鶴、そちらは漏らす必要がない。頼めるか」
「吾に任せよ」
「吾に任せよ。旦那様の夢が叶うなら、吾はどれほど手を血に染めても構わぬ」
荒浜の防砂林。月明かりに照らされた鶴が笑みを浮かべて闇を見つめた。
その視線の先には、荒浜を嗅ぎ回る数人の影、織田か徳川か一向宗か。どこぞの乱波どもだ。
「よし、演習開始だ。……宇佐美衆、準備はいいか?」
鶴の合図に、泥まみれの特訓を耐え抜いた遺児たちが、ガチガチと歯を鳴らしながらも銃を構える。
「イ、イエス・マム! 弾薬、装填完了です!」
「はい、教官殿。硝石の配合、計算通り……なはずです」
彼らが手にするのは、鶴が国産硝石(荒浜産)を詰め込んだ火縄銃だ。
「柚子、お前もわかっているな?」
「御意」
そこには黒い装束に身をまとい、父親の弥次兵衛が作った特製ライフリング銃の銃身静かに照準を合わせる柚子がいた。柚子は緊張している宇佐美衆とは異なり、とても静かに、しかし殺気だけは誰よりも強く。
「一人も逃さへん」
その姿に満足した鶴は、宇佐美衆に語りかける。
「いいか、ウジ虫共。貴様らが心血を注いで作った硝石が、いかに効率よく命を奪うか……その目に焼き付けろ」
鶴が扇を振り下ろした。
「長槍部隊、前進! 獲物を追い込め!」
「「「おおおっ!!」」」
闇から突如現れた景虎の精鋭部隊が、一糸乱れぬ動きで乱波たちを包囲する。
「なっ、伏兵だと!?」「たかが海辺の開拓地になぜこれほどの戦力が!」
狼狽する乱波たち。だが、彼らの絶望はここからが本番だった。
「宇佐美衆。 照準固定……放て(ファイヤ)!!」
――ドォォォォォン!!
夜の静寂を切り裂く、異様なまでの轟音。
景虎が教えた比率で鶴が配合した、高純度硝石入り火薬は、従来の黒色火薬とは比較にならない爆速と破壊力を生み出していた。
「あ、ぎゃああああっ!?」
「防弾の鎖帷子や竹の盾が……貫通した……!?」
「……火縄銃の音が違うぞ」
乱波たちの悲鳴が上がる。小次郎たちの放った弾丸は、闇を切り裂く雷光となって、逃げ場を失ったネズミどもを次々と肉片に変えていく。
「す、すごい……本当に、あの臭い穴の中から、こんな力が……」
小次郎が、反動で痺れる腕を押さえながら、硝煙の向側を見て呆然と呟く。
「当然じゃ。これは景虎様の英知と、貴様らの泥にまみれた労働の結果じゃ」
柚子は逃げ遅れた乱波の頭に、まるで作業のように撃ち抜いていった。
「お父ちゃんを襲いにくるような手合い、一人も逃がさへん」
本日もお読み頂きありがとうございます!
そろそろ、次の舞台に向けた新たな仕込みが始まります。
そこで、皆様は今後の展開、どちらによりワクワクしますか?
① 【軍事行動】
また三増峠のような熱い合戦が見たい
② 【経済ハック】
オークションの資金をしっかり運用してほしい
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新たにお読み頂いた皆様へ
新しく足を運んでくださり、本当にありがとうございます!
本作は、現代ビジネスや化学の視点で戦国をハックしていくお話です。
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次回の最新話(第47話)は、本日 6月11日(木)20時 に更新予定です。




