4 戦国の長老にプレゼンしたら、娘を嫁にされました
躑躅ヶ崎館を出てから、盗賊に襲われ川に流されるという散々な目に遭ったが、俺はようやく北条の侍たちと合流を果たした。
今は馬に揺られながら、これまでの自分と、これから対面する「義父」に思いを馳せている。
(……結局、前世の俺は便利屋だったんだよな)
オーナーや上司に体よく使われ、汚泥を啜るようなドブ掃除ばかり。
「これさえ終われば次は……」と自分に言い聞かせては、また新しいドブを押し付けられる。その繰り返し。最後は恨みを買って、ホームから突き落とされてジ・エンドだ。
相模の空はどこまでも蒼かった。
突き抜けるような青を見上げていると、胸の奥に澱んでいた陰鬱な気分が少しずつ晴れていくのを感じた。
(もう、あんな生き方は御免だ。折角こうして新しい人生を手に入れたんだ。今度は誰かに利用されるんじゃなく、自分の意志で、好き勝手に生きてやりたいじゃないか)
行く手には、北条幻庵が待つ久野村がある。北条五代に仕えたと言われている伝説の長老のような存在だ。
俺――西堂丸は、北条氏康の六男という余り物の立場だが、今日から幻庵の養子となることが決まっていた。
(……俺は本来なら、あっちの同盟すればその為の養子、こっちで同盟すればその為の養子と、使い捨ての駒のようにとして終わる人生なのだろう。だが、俺にとってはこれ以上ないチャンスだ。ここはプレゼンの場だと思って話してみよう)
幻庵の屋敷、奥の間。
そこに座っていたのは、枯れ木のような、しかし底知れぬ威圧感を放つ初老の武者だった。
北条幻庵。乱世を生き抜いてきた怪物の瞳が、俺を射抜く。
「……西堂丸か。氏康から話は聞いておる。この幻庵家を継ぐ養子として、お前を迎え入れろとな」
その声は低く、鋭い。
(……中々の圧迫面接だな、これは)
前世の俺なら縮み上がっていただろう。だが、一度死んだ身だ。これ以上の最悪はない。
俺が沈黙を守っていると、幻庵はさらに畳み掛けてきた。
「顔を上げよ。武田での人質生活、辛酸を舐めて話もままならぬか? 武田の館で、信玄に骨まで抜かれて帰ってきたか、あるいは牙を研いで帰ってきたか。……どちらだ?」
俺はゆっくりと顔を上げた。
怖がっていても勝ちは取れない。この初老の投資家を納得させるためのストーリーを語るだけだ。
「お父上。牙を研ぐには、まず砥石が必要です。そして砥石を買うには、銭が必要です。……私は、その銭の種を持ってまいりました」
「銭の種だと?」
俺は懐から、甲斐で密かに入手していた数粒の種子と、一枚の図面を畳の上に広げた。
「武田で灯明に使われている胡麻や菜種です。ですが、これを効率よく、かつ大量に搾り出す術があれば、それは金塊にも等しい価値を生みます」
当時の油搾りは「立木式」という極めて非効率なものだった。実際、俺もやっていたが、大量の種が必要で絞るのは重労働、それなのにほんの少ししか油は採れず、あとは家畜の餌にされていた。
俺は、テコの原理とクサリによる加圧を最適化した、戦国時代には早すぎる搾油機の設計図を指し示した。
「お父上。この機械を使えば、従来の倍以上の油が、半分の労力で手に入ります。油が安くなれば夜の活動時間が増え、手工業が進む。余った油は他国へ高く売りつける戦略物資になります」
幻庵は目を細めた。
「……倍だと? ほらを吹けば、その舌を抜くぞ」
「二月ください。もし収益が上がらねば、私は幻庵の名を捨て、一介の足軽として戦場で死にましょう」
幻庵が、枯れ木のような手で図面を撫でる。
「……効率か。だが、手間が減れば職を失う民が出る。溢れた民はどうする」
「彼らには別の、より高度な労働力として価値を与えるべきです」
俺は静かに、だが断固として言い放った。
「農繁期には戦えない片手間の兵は、これからの時代では限界です。油の利益で彼らを食わせ、一年中戦うことに特化させた常備軍として再雇用するべきです。お父上の所領を、北条で最も精強な軍事拠点に作り変えられると考えました」
沈黙が流れる。
幻庵はしばらく腕を組み、瞑目していた。
(どうだ、幻庵。俺のプラン投資する価値はあるか?)
やがて目を開いたとき、その瞳には鋭い光が宿っていた。
「西堂丸。どうやら武田では、よほど腹を空かせていたようだな」
「……ええ、いつも腹ペコでした」
「であろうな。優遇されていればこんなことは思いつかないだろうし、武田で試していただろう。一日二日で思いついたものでないだろう。なぜ、このような事を思いついた?」
「武田に勝ちたいのです。……武田は強いですが、構造的な欠陥を抱えています。豊かでないから、蝗のように侵略を繰り返すしかない。私は、そんな略奪モデルの武田に、経済で勝ってみたいのです」
幻庵の口元が、わずかに吊り上がった。
(この養子は、ただ、家を継ぎに来たのではない。北条という組織の中に、新しい経済と軍事の歯車を組み込もうとしている。儂にそれを投資しろと言っているのか)
「面白い……。だが、油の利権を独占すれば、既得権益を持つ寺社や商人が黙ってはおらぬぞ」
「既得権益を使って儲けた銭で、奴らは更に高利貸しもしているでしょう。それは利権とは別の事。銭が重いなら、吐き出させてやるまでです。神仏を盾にするなら、経済的に干し上げ、軍事的に解体し、宗教だけをやればいい。北条に権威は幾つもあってはなりません」
幻庵は大きく頷いた。
「わかった。儂の所領、神奈川湊の北に小机領がある。そこで試してみろ」
幻庵は俺を試すことに決めた。
(「試用期間」の開始だな)
俺を信じて場を与えてくれた幻庵に、俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。二ヶ月、一所懸命に働きます」
「駿河周りの武田動きがきっかり二カ月で落ち着くかはわからん。だが、小机にもなるべく早く行けるようにしよう。……そうだな、三ヶ月。それで結果を出せ」
「精進致します」
「うむ。儂の代理で行くのだ、元服前では格好がつかん。また、小机はお前にとって未知の土地。助けとなる存在が必要だろう。……そこでだ」
幻庵は、射抜くような視線で俺を見つめ、次の言葉を続けた。
「元服して、北条三郎と名乗れ。そして、儂の娘、鶴を妻にせよ」
周囲の家臣たちがざわめく。「羨ましい」「なぜ鶴姫様まで」という声が漏れ聞こえる。
「三郎という名はな、西堂丸。早世した儂の嫡男の名だ。……励めよ」
その名の重み、そして「姫」という名の監視。幻庵の期待と警戒が入り混じった、強烈なプレッシャーが俺の肩にのしかかった。




