3 頭巾美少女、何も言わずに消えるのやめてくれ
翌日、なんとか乾いた服を着込むと、俺と尼は街道を避けながら北条の支配圏に向かった。川沿いは歩きづらいが、街道よりも見つかりにくい。尼の歩みはしっかりしていて、歩きやすい場所をよく教えてくれた。
(ただの尼さんじゃないだろうなぁ……)
「お、エビスグサだ」
「食べられるのか?」
「秋に種を収穫するのです。天日干しすると薬湯になります」
「本当に詳しいのう」
「食うためです。ほとんど野草で生きてきましたから」
「……そうか。これは吾もわかるぞ。オオバコとカタバミじゃ」
「はい、採っておきましょう」
なんだかんだで、二人とも野草を採りつつ川を下っていく道を楽しんで進んでいった。まるでピクニック気分だ。
まもなく日が暮れる頃、尼は俺に声をかけた。
「のう。そろそろ野宿の支度をしたほうがよいぞ」
「そうですね、山の中は日が暮れるの早そうだ」
山は平地よりも影に隠れる場所が多く、その分暗くなるのも早い。
「近くに川が流れていたから、水を取ってきてくれぬか。吾は焚き火の支度をしておく」
「わかった」
俺は竹の容器を持って河原に向かい、水を取りに行った。
すると、河原で複数の人の気配が感じられた。俺は物陰に隠れて辺りを見回す。
複数の大人が河原で何かを探しているようだった。足軽も交じっている。ということは正規軍だ。武田か北条のどちらかの指示によるものだろう。旗印は……。
(北条だ!)
良かった。どうやら北条の圏内に入っていたようだ。
それでもいきなり出て矢でも放たれては困るので、まずは顔を上げずに声だけ張り上げた。
「北条の家来衆とお見受け致します! お助け頂けませんか?」
そして、ゆっくりと手を上げて、顔を出してみる。
遠巻きに何人もの武士が俺の周りに集まってきた。
「そなた、名はなんと申すか!」
ここで名乗らないと逆に疑われそうだ。仕方ない、若干不安だが名乗ってみよう。
「西堂丸と申します!」
「見つけたぞ!」
「ご子息様じゃ!」
まもなく、俺をここまで案内してくれていた武士たちもこの場に駆けつけ、平伏された。
俺もあの場で足を滑らせなければ、ここまで迷惑をかけなかっただろう。しかし、結果として一人も欠けることなく合流できて、ほっとした。
「ところで西堂丸様、ここまでどうやって来られた? 襲撃のあった場所からは大分離れておりますぞ」
「ああ。それなら、箱根権現の比丘尼に助けられたんだ」
「……箱根権現でございますか? 熊野ではなく? 聞いたことがございません」
「そう、名乗っていた。すぐ側で焚き火の支度をしている筈だ」
俺は武士たちを連れて、尼が焚き火の支度をしているはずの場所へ向かった。
しかし、そこには俺の荷物だけが置かれ、尼の姿はどこにもなかった。
「誰もおりませんな」
「そんな……隠れたのか? 比丘尼! 大事ない、この者たちは敵ではないぞ!」
暗闇に向かって俺は声を投げかけたが、何も反応はなかった。
ただ、昼間に一緒に採った野草が、茹でるために几帳面に結わかれて、そこに置かれていた。
尼の置き土産である野草の束を手に、西堂丸は複雑な面持ちで夜空を見上げた。
(箱根権現の比丘尼……本当に何者なんだ?)
謎の尼が残したものは、野草だけではなかった。
荷物の中に収められた例の『備忘録』、徳本先生の教えを記した手記も、そのままだった。
しかし、その中には、尼が読み込んでいた痕跡が残されていた。
特定の薬草の記述に、小さな書き込みが加えられている。
それは、甲斐には自生しないはずの薬草の、「生育地のヒント」だった。
(これは……まさか、俺への伝言か?)
尼は、俺の『備忘録』が持つ価値を見抜き、そして、その知識が未来に繋がる可能性を感じ取ったのかもしれない。
「西堂丸様、これからどうされますか?」
案内役の武士の問いに、俺は顔を上げた。
「北条に戻る」
俺の目に、これまでとは違う、強い光が宿りはじめたと思う。




