2 黒頭巾の美少女に拾われ、運命が動き出す
───これは夢だろうか。
さっき、川に落ちた筈なのに、寒くもないし苦しくもない。なんだか眠い。頭がはっきりしない。
周りで誰かが話している。何を話しているのだろう。
はじめはよくわからなかったが、段々と聞こえてきた。
姿は見えない。
何人かが、俺を取り囲むように言葉を交わしているようだ。
凛とした声が言った。
「次の戦、●様は無理をされると思います」
静かな、そして自信を持った声が返す。
「いつものことでしょう」
少し拗ねたような声が割り込む。
「死なれたら困るの。私がお貸しした金、まだ返してもらってないし」
「……」
「……なによ」
妙に落ち着いた、年不相応に乾いた声が言う。
「わたしは死なれたら困ります。まだ嫁いだばかりだし」
「「「「……」」」」
少し遠い、どこか硬い声が言う。
「…………本当にそれしか言わないのですね」
「●●城を焼いたんですよ。約束は約束です」
「貴方、●様の前で直訴しましたしね」
「度胸あるよね、この子」
───なんの話をしているんだ、今。
凛とした声が、今度は少しだけ柔らかくなる。
「……今回も、全員で帰ってきましょう」
「珍しく殊勝なことを言う」
「旦那様が死んだら、わたしが一番困ります」
乾いた声が、少し笑いを含む。
「いや、わたしでしょう。未亡人は嫌」
「そういう意味ではありません」
「わかってます。冗談です」
小さな間のあと、硬い声が、わずかに柔らかくなった。
「私が言うのもなんですが……わたしも、帰ってきてほしいとは思っています」
───その声を最後に、ふっと五人の気配が消えた。
気が付くと、俺は洞窟の中にいた。パチパチと音を立てる焚き火の温もりが、冷え切った体にじんわりと染みわたる。出口らしき方は漆黒の闇に沈んでいるが、耳を澄ませば、すぐ近くを流れる川のせせらぎが聞こえてくる。
「おや、気がついたか」
焚き火の向かいで、火を頼りに書物を読む人物が声をかけてきた。かなり若い女性の声だ。目を細めると、どうやら尼の姿をしている。頭からすっぽりと被った黒い頭巾が印象的だった。
「あなたが……助けてくれたのか?」
俺が訝しんで尋ねると、尼は嬉しそうに答えた。
「おお、そうじゃそうじゃ! 吾が水を取りに行ったらな、すぐ近くで、お主、川の縁で気を失っておったぞ。このまま放っておくのも不憫に思えてな。ここまで運んだんじゃ」
「それは……大変なご迷惑を。感謝いたします」
体を起こして頭を下げる。
「うむ。良かったのう。お主、侍の家の出のように見えるが、何処へ行くつもりだったのじゃ?」
「……いやあ」
「それに……その手の豆、鎌のものではないのう。筋のつき方が違う。武家の子じゃろう?」
(ここで正直に身分を明かすのは得策じゃない。あの盗賊騒ぎの直後だしな……)
「いや、実は、北条に縁がありまして、そこへお世話になりに行く予定なのです。ところが、途中で道中を共にしていた方々と逸れてしまいまして……道に迷っていたところ、足を踏み外して崖から落ちてしまったようです」
「踏み外して……それは大変だったのう。どうじゃろう。明日には服も乾くであろうから、吾が近くの北条の砦まで送ってやろうか?」
それは願ってもない申し出だ。だが、この乱世に、こんな親切な人間がそうそういるものだろうか? 俺は警戒を解けないでいる。
「……」
「うむ、疑っているな。よいよい。吾にも理由があってな。吾は見ての通り比丘尼じゃ」
「申し訳ありません、無知で。比丘尼とはどのようなことをするのですか?」
「ほう、知らんのか、珍しいのう。比丘尼とは、こういう物で説明をするのじゃ」
尼は背負いの箪笥(のような箱)から紙を取り出し、広げながら話し始めた。その絵には、地獄や極楽のような世界が描かれていた。
「悪いことをすると、このように、死後に酷い目にあう。だが、箱根権現を信じれば救われる」
(……宗教ビジネスか。原価ゼロで粗利ほぼ100%。なかなかエグイ)
そんな感想は顔には出さずに、朴訥に聞いてみた。
「誠ですか?」
尼は笑って答えた。
「そう、語って聞かせるのじゃ。そしてな、霊験あらたかな御札を皆が買い求めるのじゃ」
「……なんとまあ」
「このご時世、縋るものがないことが問題じゃ、特に女子はな。女子はな、縋るものが無いと生きていけん」
「……」
俺が黙っていると小さく呟いたのが聞こえた。
「……もっとも、縋るものを作る側も、大変じゃがの」
一転して、努めて明るく話を続けていく。
「まあ、そうやって旅をしているのじゃが、そろそろ御札が心もとなくてな。一度、箱根に戻ろうかと思っていたんじゃ」
「そうですか」
「まあ、お主も箱根権現に救われたようなものじゃから、勧進しても良いと思うぞ」
「……その本」
「うん?」
俺は尼が読んでいた本を指差した。
「俺の本ですよね」
尼は「おっと」という顔をしたが、すぐに悪びれず笑った。
「そうじゃよ。荷物を回収した時に、濡れていないか確認しようと思ったら出てきてな。中々面白いな」
「……その本は、甲斐で本草学の徳本先生の雑務をやらされていた時、俺が見聞きしたものを書き留めておいたものです」
「そうなのか、随分と多岐に渡る事が記されているのう」
「小僧の備忘ですよ」
「ふむ」
「ご興味がおありですか?」
「かなり面白いと思う」
「では、勧進いたします」
「……本当か。知識は簡単に手放せるものでは無いと思うぞ」
「ご覧のように他に金目のものは持ってませんし、後で本当に払えるかもわかりません。それに俺は自分で書いたものはほぼ覚えているんで、受け取ってください」
それを聞いて、尼は嬉しそうに笑った。
「お主。中々、真っ直ぐで嘘が下手じゃだな。良いじゃろ。明日、北条の砦まで送ってやるわ」
※お読みいただきありがとうございます。
次話では、この黒頭巾の少女が何者なのか”が少しだけ見えてきます。
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