1 俺、武田で死にかけて川に流される
ゆるく書いている歴史×戦略ラノベです。
気軽に読んでもらえたら嬉しいです。
永禄十二年(1569年)、甲斐。
「西堂丸。貴様は今日をもって北条に帰されることとなった」
武田の将の冷淡な声に、十五歳の少年・北条西堂丸は深々と頭を下げた。
(――やっとだ。やっと、この泥船から脱出できる!)
西堂丸の肉体に宿る現代人の魂、俺は、ついに訪れた「契約解除」の瞬間に、心の内で快哉を叫んでいた。
前世の俺は、親会社のヤシマ商事から死に体の子会社に送り込まれる『掃除屋(リストラ担当)』だった。
親会社は創業100年の老舗。かつてはベンチャーとして鳴らしたが、今や伝統という名の鎖に縛られ、特権階級を自認するオーナー一族が私物化する斜陽企業。俺の仕事は、彼らが垂れ流す赤字を埋めるため、現場を切り刻み、リストラと事業売却を繰り返して帳尻を合わせること。
あの日も、現実を見ないオーナー一族への毒吐きを飲み込み、駅のホームに立っていた。
「もう少し、現実を見ろよ……」
独り言と共に背中を押された。線路に落ち、見上げたホームに立っていたのは、昨年クビを切った元従業員の青ざめた顔だった。
次に目が覚めた時、俺は痩せこけた少年になっていた。
視界に広がるのは、延々と続く山、山、山。
「……なんで武田の菱紋が? 時代劇? いや、眼鏡なしでこんなに見えるのか?」
呆然とする俺を、侍が木の棒で小突き回す。
「西堂丸、サボるな! 無駄飯食いの北条の小倅め!」
痛みに顔をしかめながら、俺は鎌を振るい、状況を整理した。
(ドッキリにしちゃ、体が縮みすぎだ。夢にしちゃ、この鎌、全然切れねえし重すぎる。……これ、マジで『転生』ってやつか?)
まずい。とてもまずい。前世はただのサラリーマン。サバイバル知識もなければ、歴史オタでもない。あるのは「詰んだ組織」を内側から見てきた経験だけだ。
しかもこの甲斐という国、空気が重い。組織全体が拡張主義の限界を迎え、現場が疲弊しきっている「ブラック企業」特有の臭いがする。
(ここで目立ったら殺される。まずは生き残る)
俺の転機は、伝説の医聖・永田徳本との出会いだった。
「作物の扱いが丁寧だ」という理由で小間使いに採用された俺は、彼から薬学と、この時代の「物流」を学んだ。
「先生、この桂皮って……」
「ほう、よく覚えたな。それは堺の商人が南蛮から仕入れる。砂金と同じ価値だ」
徳本先生は寂しそうに笑う。
「薬が高すぎて、救える命も救えん。いっそ自由に海を渡れればな」
俺は先生の横で、武田晴信(信玄)の診察も遠目に見た。
歴史に名を残す名将。だが、間近で見るその顔は土気色に浮腫み、無理な拡大政策の後遺症が体にまで回っているように見えた。
(信濃一国を落とすのに何十年かけてんだよ。リソースを戦争に全振りして、兵站が限界を超えている。三国同盟を破ってまで駿河に手を出したのは、海を手を出さないと、もう銭が回らないからか……?)
数日後、徳本先生は「患者の心がけ次第じゃ」と言い残して信濃へ去った。
そして俺もまた、同盟決裂に伴い、いらない在庫として北条へ送り返されることになったのだ。
「皆様の御恩、一生忘れません」
武田の館を出る際、俺は精一杯の「無能な小僧」を演じて涙を流した。
(タダで帰るかよ。この数年で見た武田の内部資料、兵站の弱み、全部北条への手土産にしてやる)
だが、組織の末端には、いつだって「独断専行する無能」がいる。
「小僧は人質にする。身ぐるみ置いていけ!」
帰路の山道。突如現れたのは、野盗に扮した武田の家臣・小幡の一団だった。こいつらは上野(群馬県)界隈で最近武田の家臣となった者たちだが、対北条に俺が必要らしい。
統制の取れた動き。明らかに素人じゃない。
「西堂丸様、こちらへ!」
護衛の北条武士が叫ぶが、敵の槍が鋭く空を突く。
「うわっ……!」
避けた足元は、雨でぬかるんだ泥濘。
俺はバランスを崩し、抱えていた荷物ごと崖下へと転落した。
(おい、冗談だろ……? やっと脱出できると思ったのに、ここで……!)
バキバキと枝を折る衝撃。最後に掴んだ枝は腐っており、無情にも折れた。
俺の体は、激流渦巻く渓流へと吸い込まれていった。
夕刻。躑躅ヶ崎館。
「……日没まで探しましたが、西堂丸殿の姿も荷も見つかりませんでした」
報告を聞いた武田晴信は、苦々しく筆を置いた。
「小幡め……余計な真似を」
北条の御曹司が、武田の領内で、武田の家臣の手によって消えた。
この件は既に同盟が破棄された両家の決定的な亀裂となり、後に意趣返しされる事になる。
そして。
そして、冷たい川底に沈んだ俺の物語は、ここから再建へと舵を切り始める。
読んでくださりありがとうございます。
この章は主人公の導入をテーマに書きました。
ここから始まります、
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