34 父娘の再会で、職人は忠義に燃え、娘の柚子は殺気に目覚めました
数日後。荒浜の作業小屋で、弥次兵衛は寝食を忘れて破岩杭の最終調整に没頭していた。火花が散り、金属の擦れる嫌な音が響く。
「……若様、あともう少しだ。あとのもう少しで、この杭の回り方がピタッと決まるんだ。そうなれば、どんな岩盤だろうが、紙ぃ剥ぐみたいにブチ抜いてみせますぜ……!」
弥次兵衛の目は血走り、頬はこけていた。もはや狂気すら漂うその背中に、俺は声を投げかける。
「弥次兵衛、手を止めろ。客だ」
「邪魔しないでくれ! ……今、良いところなんだ!」
「こっちを見ろ」
没頭するあまり、主君である俺にすら吠える。だが、入り口に立った人物を見た瞬間、彼の動きは石のように固まった。
「――お父ちゃん?」
作業小屋の入り口に立っていたのは、一人の少女だった。
年は十三歳。旅の汚れはあるが、鶴が手配した小奇麗な着物に包まれている。
その傍らには、旅商人風の格好をした男が一人。氏政の配下、風吹だ。今回、氏政兄上に無理を言って、堺に行って貰った。
風吹は無造作に笠を脱ぎ、俺に軽く頭を下げた。
「……予定通り。堺の商家より、こちらの御息女を。商いの荷に紛れ、日本海を渡って参りました」
「柚子……? 柚子なんか……!?」
弥次兵衛の手から、重い工具がドサリと落ちた。
最後に会った時よりも少し背が伸び、顔つきも大人びた娘が、そこに立っていた。
「お父ちゃん! 死んだって……みんな、お父ちゃんはもうおらへんって……!」
柚子が駆け出し、弥次兵衛の胸に飛び込む。
弥次兵衛は、油と鉄粉で真っ黒になった自分の手を見て一瞬躊躇したが、我慢できずにその小さな体を抱きしめた。
「柚子、柚子……! 堪忍や、堪忍やで……! よう、よう無事でいてくれたなぁ……!」
男泣き、という言葉では足りない。弥次兵衛は咆哮に近い声を上げ、娘の生存を噛みしめるように何度もその名を呼んだ。
「風吹、苦労をかけたな」
俺が声をかけると、風吹は一歩下がった。
「……いえ。道中、この娘に『父親は立派な仕事をしている。父親の主が新しい国を創るための、大事な仕事だ』と教え込むのに、少々骨が折れました」
「吾の旦那様に使えるのじゃ。当然じゃ」
鶴が近づいて風吹に声をかける。
「どうじゃった。この娘は、使えるか?」
「……鶴姫様。見どころがあるかと。如何に父親が織田家や堺の町衆に邪険にされたか、自分なら何が出来るか、そう言い聞かせました」
「ほう。良い仕事をしましたね、風吹」
鶴がほほ笑む。
「それでは、相模に戻ります」
風吹は少しだけ口角を上げ、再び闇に溶けるように帰っていった。
「……若様」
ひとしきり泣きはらした後、弥次兵衛が柚子を抱いたまま、こちらを向いた。
その目は、もう先ほどまでの狂った技術者のものではない。主君への、絶対的な忠誠を誓う侍の目だ。
「この破岩杭……それから、若様が言わはった『新しい鉄砲』。柚子に見せてやりたいんですわ。お父ちゃんが作ってんのは、この国を豊かにする道具なんやて。……せやから、ワテは死ぬ気で、若様のために打ちまっせ」
「……ああ、期待している。お前の腕があればきっと成功する。頼むぞ」
その夜、弥次兵衛は柚子が持ってきたおむすびを大事そうに頬張っていた。食堂に来なかった弥次兵衛の為に、柚子が作ったものだ。
柚子は、父が再び作業台に向かい、自分には見せない険しい顔で鉄の杭を睨みつける背中を、じっと見つめている。
「お父ちゃん。おむすび、美味しいか?」
「ああ、美味しいわ。……柚子の持ってきてくれたもん食べたら、力湧いてくる」
「嘘ばっかり。お父ちゃん、食べてる時も頭の中は鉄のことばっかりやんか。……うちは、それが怖いわ」
「……何がや」
弥次兵衛は、柚子にだけは決して邪険な態度は取らない。手を止め、優しい目で娘を振り返る。
柚子は、散らばった鉄粉や、父がさっきまで握っていた重い工具に触れながら、ぽつりと呟いた。
「お父ちゃんは、すごいのん作れば作るほど、周りが見えへんようになる。……堺でもそうやった。お父ちゃんが鉄に夢中になってる間に、悪い奴らが後ろで笑うてた。お父ちゃんのすごいのん、横取りしようとしたり、邪魔しようとしたり……。今だってそうや。お父ちゃんがこれ作ってる時、誰かが後ろから刺しに来ても、お父ちゃん、きっと気づかへん」
「ははっ、柚子……。ワテには若様がついてはる。そんな心配はいらんわ」
「ううん。若様は大事な人やけど、ずっとお父ちゃんの横におるわけやない」
柚子は、父の腰にある錆びついた脇差に手を置いた。柚子の瞳は、堺での苦労と、父を失いかけた怖さが混じり輝きを失っていた。
「お父ちゃんは、すごいのんだけ作っといて。……お父ちゃんを笑う奴も、邪魔する奴も、うちは許さへん。お父ちゃんの背中は、うちが守ったる。……一人も、寄せ付けへんから」
「柚子……? お前、何を言うてんねん。女の細腕で……」
弥次兵衛は力なく笑い、柚子の頭を大きな手で撫でた。
だが、柚子は笑い返さなかった。ただ、父の背後――小屋の入り口から差し込む月光を、鋭い目で見据えていた。
鶴がいつものように薬湯を運んできた。
「……柚子か。旦那様、あの子は良い。瞳に強い意志がある。吾が預かって、侍女としての作法を仕込んでも良いかのう?」
「……鶴。お前、さっそく自分の手足のように動く候補にしようとしているな」
「くふふ」
「侍女じゃなくて諜報部員だろ」
「さて? 吾の侍女としての仕事は様々じゃ。旦那様が男たちを掌握するなら、吾はその女たちを束ねねばの」
俺は薬湯を啜り、窓の外の暗い海を見つめながら、ぼやいた。
「……怖いなぁ」
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