29 荒浜で民に泥を投げられ、嵐に叩かれ、賊を捕らえました
作業を始めて一カ月。既に研究施設は完成し、三人は研究に勤しんでいる。表からはただの小屋にしかみえない。いい感じに偽装している。俺が相模から連れてきた部下たちは、その周囲に土地の区画を整備して菜種栽培を始めていった。
一カ月ぶりに伊保野と顕景が様子を見にやってきた。その時を見計らって、このあたりの名主、河津家治が陳情にやってきた。後ろには、鍬や竹槍を手にした数十人の領民たちが控えていた。
「……お止めください、伊保野様、顕景様!」
先頭に立った老いた名主が、震える声で叫んだ。
「ここは祟りの地だ。土を掘り返せば、海の神様が怒って、また津波を呼ぶ。余計なことをして、俺たちの村を滅ぼす気か!」
「これは祟りじゃない。塩害だ。土を洗い、栄養を与えれば、必ず菜種は育つ」
俺の説明に、農民たちは怯えた視線を向ける。
「北条の坊ちゃんには分からねえんだ! 昔、偉いお坊様が祈ってもダメだったんだ。それを、余所者のあんたが……!」
「そうだ! 除塩だか何だか知らねえが、越後の土を汚すな!」
一人が投げた泥は、俺の頬を叩いた。
「三郎様……!」
後ろで控えていた鶴が、思わず刀の柄に手をかける。だが、俺は制した。ここで力を使えば、俺は一生「侵略者の北条」と言われ続けるだろう。何より、こんなにも偽装に適した土地を簡単に手放すわけにはいかない。
「……どけ。俺は、この国を豊かにしたいんだ。神へ祈って腹が膨れるなら、俺も祈ろう。だが、腹を満たすのは祈りじゃなく、知恵と努力だ。俺は、お前たちに腹いっぱい飯を食わせたい。だから、もう少しだけやらせてくれ」
俺は頭を下げるが、農民たちの怒号が飛び交う。中には、せっかく掘った排水溝を足で埋め戻そうとする者まで現れ、俺の部下たちが槍で止めにはいる。
農民たちのパニックは止まらない。彼らにとって、得体の知れない新技術は、未知の恐怖でしかなかった。
「お前たち」
顕景が皆の前に立った。
「おお、顕景様」「顕景様だ」
「……お前たちの言い分、よくわかった」
「おお! 流石は顕景様だ」
「……だが、俺は景虎殿のやってきたことも見た」
顕景の朴訥とした話し方に潮を引くように静かになっていく。
「お前たちは、琵琶島からここまでの道を見たか? 歩いたことがあるか?」
「……歩いた」
「歩いた者は、いかに整備された道になったかわかる筈だ。あれは景虎殿が考案された人口石という方法で作り出したものだそうだ。では、この地にこれほどの緻密さで農地を作った者がいたか?」
「……」
「輝虎殿は、お前たちに賦役を課したか?」
「……」
「ふむ。では、なんの負担も強いられず、この地を豊かにしようとしている者に対して泥を投げるのか。それがお前たちの義か?」
顕景は声を荒げない。静かに領民に語りかけていく。その度に、領民からに怒気が消えていく。
「皆の者」
そこに伊保野が声をあげる。
「この土地を豊かにしたい気持ちは誰もが同じじゃ。さあ、朝から集まり、腹も空かせたであろう。琵琶島で握り飯を作られてきた。皆で食べると良い」
これが決め手となって、領民たちは大人しくなっていった。
「伊保野、助かった」
「男前になったではありませぬか、景虎様」
俺が感謝を述べに伊保野の元に行くと、泥で汚れた顔にやれやれといった顔で迎える。不意に、伊保野は冷めた目で丘の上を見た。
「景虎様、あそこ」
丘の上からこちらをチラチラと見ながら遠ざかる山伏のような姿の者が二名、三名。
「あの者たちの煽りでしょうか」
伊保野が俺の耳元で、小声でささやく。
「伊保野、よく見つけてくれた。頼めるか?」
「ええ。鈴をつけておきますわ」
その夜、天候が崩れ、嵐が来た。
せっかく植え付けた耐塩性の強い菜種の苗が、荒れ狂う風と波でさらわれそうになる。
「現代ならなぁ、ビニールでも被せて風を凌ぐんだがなぁ」
俺たちは、叩きつける雨の中で、苗を守るための土壁を築き、藁を敷いて風から苗を守ろうとしていた。
「……旦那様、もう止めよ。体が持たぬぞ。偽装の為の農地にそこまで頑張らんでもよかろう」
鶴が傘も差さずに駆け寄ってくる。
「……いや、何事も徹底しないとな。それに長い目でみてこの地に作物を植えるのは決して悪い話ではない」
「……旦那様」
「お前にも越後に来てもらって、まだ面白いものを見せてないではないか。……約束は守らんとな」
指先は泥と塩でひび割れ、感覚がない。
(さすがに現代の知識も、この冷たい雨の前では無力だなあ)
「……阿呆が」
雨音の中にその声がする方に、俺は振り返った。
泥にまみれ、息を切らしながら、それでも真っ直ぐに立つ顕景がいた。その姿は、昨夜まで俺を睨んでいた義弟ではなく――越後を背負う男の顔だった。
見れば、泥だらけの顕景が、無言で鍬を持って俺の隣に立っていた。
「……勘違いするな。姉上が悲しむ顔を見たくないだけだ」
顕景はぶっきらぼうに吐き捨てると、俺が作った排水溝の補修を始めた。顕景がやるならと、部下たちも渋々補修に加わっていく。おかげで決壊をせずに済んだ。
実績ゼロ、信頼ゼロの俺だったが、荒れ地を叩く雨音の中、無言で働く顕景達に、俺も無言で頭を下げた。
翌日、昨日迄の嵐が嘘のように穏やになった日差しのもと、菜種の苗は青々と茂っていた。
「やったな、義兄上」
「ああ。義弟よ。お前のおかげだ」
何ヘクタールもある農地に根を張った菜種が風に揺らめいている。
その日の午後、伊保野が戻ってきた。
「景虎殿、菜種の苗は青々と茂っていますね」
「昨晩は危なかった。顕景殿が助けてくれたのだ」
それを聞いてぶっきらぼうにつぶやく顕景。
「……途中までやって答えが見えないのはつまらない。そう思っただけです」
「よくやりました、顕景。姉はお前を誇らしく思います」
伊保野も嬉しそうだ。
「三郎様、土産ですわ。昨日、領民を煽っていた者たちを追跡し、逃げた者が落としたものです」
(落としたって、血がついてるじゃないか)
彼女が差し出したのは、越後の守護代家臣にのみ許される、そして「島」をモチーフにした意匠の入った脇差だった。
「前島か。そんな気もしていたのだが……」
「琵琶島に逃げていこうとしましたから」
俺はそれを見つめながら、折角向こうがボロを出してくれたことに笑みを浮かべてしまう。怪訝な顔をする伊保野と顕景に対して相談を始めた。
「伊保野、顕景、鶴。相手は二度、三度とこういった嫌がらせを続けてくるだろう。そこで、相談がある」
「何でしょう」
「伊保野は、今日は旦那の為に良いことをした、と、晴れやかに琵琶島に戻ってくれないか」
「……囮になれと」
「顕景殿には、すまぬがこの周囲に配下を待機して頂きたい。手配すれば直ぐにここに強襲出来るように」
「……伏兵か」
「鶴、周りの索敵強化を頼む」
「わかりました。景虎は気をよくして酒を煽っている、とでも、流布しておきましょう」
「良いぞ。今夜、ケリをつけよう」
菜種が順調に背を伸ばし始めたある夜。闇に紛れ、数つもの影が音もなく菜種畑へと忍び寄っていた。
影たちが農地に入る。無言で排水路を破壊しようとする。その時、周囲に仕掛けていた鳴子が音をあげた。
「……!」
慌てて鳴音を抑えようとするが、その事が更に別の鳴子を動かす。直ぐに、あたり一面が鳴子の音で木霊した。
その音を聞きつけ、周囲の村落から領民たちが松明を持って寄ってくる。影たちは頭巾を目深にかぶったまま、この場から逃げようとする。
その退路を、顕景率いる騎馬の一隊が塞いでいった。
「これまでか……」
「武器を手放せ。抵抗しなければ命は取らん」
後ろから俺の部隊が完全武装で包囲する。
頭巾を被っているからよくは分からぬが、見れば、まだ若そうな者が大分混じっている。
「武器を置け」
俺の声に、一人が俺に向かって突撃してきた。俺は剣を交えながら周りに命じる。
「確保しろ」
俺の部下たちが一斉に槍、ではなく、さすまたを突き出した。
「な、なんだこれは」「動けぬ」
あっという間にに影たちは確保されていった。
「景虎様、この奇妙な鉄の棒は何ですの」
「さすまた、と言う。暴徒鎮圧用の道具で、一本では静止力に欠けるので数本を用いるのですが、過剰に相手を傷つけずに捕縛するものです」
「さて、皆の衆。今晩はよう集まってくれた。おかげで賊を捕縛することが出来た。報酬を支払うので列を作ってくれ」
こうして、妨害行為を今度は未然防ぐことに成功した。
その一連の動きを研究施設から出て観察している人物がいた。弥次兵衛だ。
「このように鮮やかに鎮圧するとは。……やはり三郎景虎、侮れんな。早くご報告せねば」
弥次兵衛は、周囲の村からやってきた者の一人に近づいて耳打ちする。
「腹が減ったな」
「……味噌漬けでも食べとけ」
これが弥次兵衛と連絡相手との合言葉だ。間違いないと確認した弥次兵衛は、懐から丸めた和紙をそっと手渡した。
「みつけたぞ」
弥次兵衛と連絡相手の後ろに、いつの間にか鶴がいた。
慌てて振り返るが、鶴の部下たちに包囲されている。
「逃げろ!」
弥次兵衛が連絡相手を庇って逃がそうとするが、あっという間に捕縛されてしまった。
地面にうつ伏せにされた弥次兵衛が声をあげる。
「鶴姫様! 俺が何をしたと……」
「囀るな。 しかし味噌、とはな。なかなか皮肉が効いている」
「なんのことやら」
「そういうのは良いから。さあ、尋問を始めるとするかの」
鶴は嬉しそうに笑った。
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