23 姉上の縁談相手が北条景虎と聞いて、春日山が大騒ぎになりました
翌朝、俺と鶴は輝虎(謙信)公に、二人揃っての面談を申し入れた。
案内された書院に入ると、輝虎公はちょうど朝餉を済ませたところだった。
「景虎、参りました」
「入れ。……鶴殿、ゆっくり休めたか?」
「お陰様で、不自由なく過ごせましたわ」
輝虎公が侍女に膳を下げさせ、部屋に静寂が戻る。彼は俺たちをじっと見据えて問いかけてきた。
「景虎。鶴姫と、昨日の件(新妻の件)は話し合ったか?」
「はい。昨日は動転し、即答できず申し訳ございませんでした」
俺は真っ直ぐに義父上の目を見て、迷いなく告げた。
「そのお話、謹んでお受けいたします」
「そうか。……鶴姫、お前も良いのだな?」
「もちろんでございます。私のような者にまでお心を砕いていただき、感謝の念に堪えません」
二人の顔を見て、輝虎公は満足げに頷いた。
(景虎は良き妻を得ているな。二人とも、覚悟を決めた良い顔だ)
「相分かった。春日山に戻り次第、祝言を挙げる。楽しみにしておれ」
一方、永禄十三年(1570年)、越後・春日山城。
「顕景様! 顕景様はいずこに!」
山浦景国(源五)が、血相を変えて俺の元へと駆け込んできた。素振りの手を止め、俺は訝しげに彼を振り返る。
「どうした源五、騒々しいぞ」
「一大事にございます! 姉君であらせられる伊保野様の婚姻が決まりました。相手は……北条の倅にございます!」
「……何だと?」
耳を疑った。沼田に滞在している父、輝虎公から早馬が届き、春日山へ戻り次第、即座に祝言を挙げるという。
(あの姉上が、よりによって宿敵・北条の男と……?)
「顕景様、いかがなさいますか。お止めになるのであれば、某が御実城様に……!」
「待て。まずは姉上に会ってくる」
俺は心中穏やかではなかった。輝虎公の養子となった俺を見守ってくれた姉上は、母親代わりのような存在だ。どこの馬の骨かもわからぬ北条の男に嫁がせるなど、到底容認できるはずがない。
城内はすでに蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
「北条の小倅など、追い返すべきだ!」「婚姻など撤回を!」
家中から聞こえる反発の声に後押しされるように、俺は姉・伊保野の居室へ向かった。
「……姉上、失礼いたします」
襖を開けると、そこには華やかな衣装や家財に囲まれ、忙しそうに指示を飛ばす姉と侍女たちがいた。
驚いたことに、姉上は――最高に上機嫌だった。
「あら顕景、よく来てくれました。あなたも祝いに来てくれたのですね?」
「……姉上、本気なのですか? なぜそんなに朗らかなのです」
「当然でしょう。他ならぬ御実城様(輝虎)が、私のために選んでくださったお相手なのですから」
俺は食い下がった。
「姉上がこの婚姻を望んでおられないのであれば、俺が御実城様に直訴いたします。たとえ義父上でも、姉上の幸せを……」
「顕景」
姉上の声から一気に温度が消えた。いつもの、逆らえない時の姉上だ。
「直訴など、絶対に許しません。あり得ません」
「……教えてください。なぜ、そこまでこの縁談を歓迎されるのです」
「一つ、この婚姻により我が実家・上田長尾家の領地は、越後と関東を繋ぐ一大拠点となります。富が動き、領民が潤う。家への貢献として、これ以上の話はありません」
(また姉上の『銭』の話か……)
「二つ。武家の娘が他国へ嫁ぐのは常世の理ですが、お相手はわざわざ上杉へ養子に来てくださるのです。ここ越後で力添えをいただける。私も越後に引き続き貢献出来る、喜ばしいことではありませんか」
「ですが、どこの誰ともわからぬ北条の男ですよ!?」
姉上はくすりと笑い、俺を射抜いた。
「顕景。あなたは自分の『目と耳』で確認したのですか?」
「……会っておりませんので、分かりかねます」
「ふふ。私が言ったのは、会うことではなく、『信頼に足る情報を得ているか』という意味ですよ」
姉上は、俺の知らない「真実」を突きつけてきた。
「先日、北条が武田を破った戦……その第一の功労者が、私の婿殿となる三郎景虎殿なのです。北条の勝利は、彼の策と指揮によるもの。そんな英傑が私のお相手としてお越しになるのですよ? 誇らしく思わないのですか」
「……誠ですか」
俺は言葉を失った。武田を破った、だと? 同年代の、ついこの間まで人質だったという男が?
「さて、顕景。私は準備を急がねばなりません。そして、家中の者たちにも、心から祝ってほしいと思っています。……あなたの口から、皆に説明してくださいますね?」
「…………はい、姉上」
結局、一言も反論できぬまま、俺は姉の部屋を後にした。




