21 景虎としての初仕事は、軍神に命がけで世界を説明することでした
「景虎よ。軍事と経済、その二つの利は理解した。だがお前は三つ目を口にしたな。日の本の安寧と、他国への対抗……その真意を聞かせよ」
輝虎はそう言うと、傍らの侍女を呼んだ。酒の代わりに出てきたのは、湯気の立つ白湯。
(……あの『不識庵謙信』が、酒を下げさせた?)
歴史上、酒の飲みすぎで早逝したはずの男が、俺の話を聞くためにシラフに戻ろうとしている。その事実に、背筋がゾクりとした。
俺は氏康公から譲り受けた世界地図を、その場に広げた。
「父上は、この世界地図をご覧になったことは?」
「……ある。以前上洛した際、公家の屋敷で伴天連に説明を受けた」
流石は軍神、知識のアンテナも高い。俺は日の本の地図と世界地図を並べ、問いを投げかけた。
「では、この広い世界から見て、我が国はどう映っていると思われますか?」
「……自分からではなく、外からどう見えるか、か。面白い発想だ」
輝虎は鋭い眼光で地図を凝視し、やがてポツリと、だが確信に満ちた声で答えた。
「――『面倒』、か?」
「……!」
驚いた。この人は、一瞬で地政学的な本質を見抜いた。やはり、輝虎公は天才だ。
「その通りです。そして同時に、あまりに『魅力的』なのです」
俺は地図上の銀山や貿易路を指差した。
「魅力は、金、銀、そして鉄砲。今、明は海禁政策で直接貿易を制限していますが、国内の銀が不足しています。そこに伴天連が入り込み、日の本の銀を明へ、明の絹を日の本へと運び、莫大な仲介利益を得ている」
「面白くないな」
「はい。さらに火縄銃。本体は作れても、材料の『硝石』は明から買わねばなりません。つまり、交易を握られている限り、我らの武力すら他国にコントロールされているのです」
輝虎の顔から笑みが消え、思慮深い軍略家の表情に変わる。
「……なるほど。お前の言う『対抗』とは、交易の主導権を奪い返すことか」
俺は深く頭を垂れた。
「はい。日本海を武力と経済の両面で統治し、外洋へ進出する。それこそが、他国に付け入る隙を与えない、真の日の本の安寧に繋がると考えます」
「……相分かった。景虎よ。もしお前が青苧の利権を掠め取ろうとするだけの小党であれば、今この場で首を叩き落としていたところだ」
さらりと言われた言葉に、心臓が跳ねた。
「嬉しいぞ、景虎! 氏康公に感謝せねばな。これほどまでに『義』の道を、世界という尺度で語り合える息子を得られるとは!」
輝虎は豪快に笑った。だが俺の首筋からは、冷や汗が止まらない。今、この瞬間、俺は間違いなく死の淵を歩いていたのだ。
「景虎、お前の描く絵図、形にしてみせよ。具体的にはどうやっていく?」
「……やはり、街道整備から始めるべきと考えます」
相越同盟を軍事行動だけでなく経済活動も含めた共同体にするのに、一番のネックは冬の三国山脈だ。この山が物理的に冬の活動を止めてしまう。だが、もしも冬でも迅速に活動出来るようになれば、北関東や信濃、そして越中へと活動を広げられる。
「そうだな」
輝虎は外の暗がりをじっと見る。暗闇の中にそびえ立つ谷川岳を想像しているのだろう。
「この山は問題だな。今のままでは道幅も狭いし湾曲しているので行軍期間も長く、何より冬は行軍出来ん」
だが、と輝虎は続ける。
「街道整備を行うとなると、莫大な銭と時間がかかるぞ」
そこで輝虎は俺をみる。
「銭は、これまでは青苧の取引を任せている蔵田五郎左衛門に任せていた。しかし、流石にこの為の銭を用立てするのは難しいだろう。それに、何年もかかる工事となろう。それでは役に立たぬのではないか」
さあ、ここが正念場だ。
「実は、銭を集める方法はあるのです。街道の発展を見越して投資、というものを募ります。街道の周りの土地に宿などを建てる権利や、街道利用料を免除する権利を売るのです」
「……それは、無いものを売るという。つまり、儂に『嘘をつけ』と言うのか? まだ出来てもおらぬ道の通行証を売れと」
輝虎の瞳に鋭い光が宿る。
「嘘ではありません。『必ず成し遂げるという意志』を換金するのです。義父上が『この道は成る』と言えば、道は成る。……毘沙門天に誓って成ると言った言葉は金塊よりも重い。そうでしょう?」
俺の笑みに、輝虎はしばし沈黙し――やがて、理解した。
「面白い。儂の誇りを担保に銭を募るか。だが、街道が整備されれば、より良い世へ向かうであろう」
「更に、軍役奉仕と違って、平和と産業振興への協賛なのです。きっと、こぞって参加頂けると思いますよ」
「……だが、どうやってすぐに作るのだ。それが納得出来なければ、銭も結局は集まらぬのではないか?」
「まさに、そこです。私の秘策をご覧ください」




