11 小田原評定・兄上、マウント失敗です
「佐伯殿」
俺は佐伯の話を遮って、冷たく告げた。
「あなたは勘定頭としてここにいるのか、それとも氏政兄上のご意見番を無責任に楽しみたいのか、どちらです? 役割を遂行するなら、末端の枝葉からは手を離すべきだ。枝葉をひとつひとつ納得行く迄突き詰めて理解することに関心が行き、権限を下に預けられない人間に、大組織の財務を預かるのは荷が重いのではないですか」
氏政が驚愕の表情を浮かべ、佐伯の顔は真っ赤に染まる。何人かの重臣たちは苦笑している。
「な……っ、この無学な人質風情が……! 私がいないと、この北条の銭と兵糧は一日で干上がるのだぞ! そんなことを言うなら貴様に一切の兵糧を工面させんぞ」
(フラグ、立てたな。佐伯)
「なるほど。では、勘定頭殿は」
そこで幻庵が感情のない落ち着いた声で話した。
「我が息子、ひいては儂の管轄する軍に物資を提供しないと、そう言うのだな」
広間が凍りついた。
「いや、そのようなことを言ったつもりは……」
「ほう。一度口から吐いた言葉を呑み込むか?」
幻庵は何処までも静かに話していく。とても重い空気が評定の間を支配する。
「……大叔父上。佐伯は自身の業務への熱心さからの発言だ。許してはくれぬか」
「……氏政様。当主が仰るのであれば」
幻庵は矛を収めた。場の温度が少しだけ温かくなる。だは、佐伯ずっと俺を睨みつけている。
(オッケーわかった。お前が氏政の成長を妨げているのがよくわかった。氏政はお前を使いこなせていないし、お前は増長するだけだ。なんとかしないとな)
俺はにっこりと微笑む。それが佐伯の癇に障ったようで、更に人相を悪くしている。
鶴が侍女に合図を送った。すぐに侍女たちが豪華な木箱を捧げ持って入室してきた。俺の後ろでしおらしく控えていた鶴姫が、それを家臣たちの前に置くよう優雅な所作で指示を飛ばす。そして、流れるような根回しを開始した。
「氏政様、これは小机で新しく作らせた酒盆、南蛮の石鹸にございます。三郎様が夜も寝ずに、皆様の御武運を祈って試行錯誤されたものですが、香りに良いものが出来上があがりました。皆様に、そして奥方様方にもぜひ」
鶴姫は幻庵の秘蔵っ子であり、その美貌と気品から「北条の宝」とまで噂される存在だ。その彼女が、三郎を立て、しかも三郎の兄たちに気配りとして今流行りの酒盆を渡される。会談開始時の険悪な雰囲気が次第に霧散していった。
「これが……噂に聞く南蛮石鹸か。織田のうつけが手に入れたと聞いたが、まさかここで拝めるとは」
「見てみろ、この滑らかな白さ。鼻を突く獣の臭いもない。これ一つで、しつこい瘡もたちどころに癒えると聞くぞ」
「京の公家が金に糸目をつけず欲しがると聞く逸品だ。それを、我ら末端の者にまで……」
「三郎殿は、我ら現場の者の『身の健やかさ』まで案じてくださっているというのか。佐伯殿の理屈より、よほど身に染みるわ」
(鶴のやつ、彼女の人気が上がれば上がるほど、俺を排除することは『幻庵への敵意』であり、『領民の期待への裏切り』になる。それに、現物を渡されちゃ悪い気はしないしな)
この時代、石鹸は極めて高価な輸入品だ。用途も汚れを落とすというよりは、肌の病や傷を治す薬用として珍重されている。
家臣たちの間からは、「三郎殿は謙虚な御方だ」「鶴姫様が、あのように仰るなら、小机の改革も北条のためを思ってのことだろう」という囁きが漏れ始めた。人心がこちらへ傾いていく。佐伯は怒りを抑えようと膝を握りしめている。
氏政は、目の前の弟を「取るに足らない存在」だと信じようとしていた。だが、二千貫という数字と、家臣たちの反応がそれを許さなくなっていた。
「三郎。石鹸はどうやって作った」
「油を搾る時に出る副産物の利活用を考案していた時、偶然に製法を発見しました。今は製法の確立に向かおうとしております」
「なんと、ほんとにこれが自国で作れるのか」
「画期的だ」
「北条の特産品にできるぞ」
ざわめく家臣たち。その声が大きくなるほど、氏政の機嫌は目に見えて悪化していく。
「……三郎。お前、その油の利益で北条に仇なす牙を研いでいるという噂がある」
「牙などと。とんでもございません」
俺は、より一層、下手に出て答えた。
「あれは失業した民を食わせるための公共事業でございます。槍を持たせているのは、あくまで野盗から工房を守らせるため。もし兄上様が必要と仰るなら、いつでもその指揮権、宗家にお譲りいたします。……もっとも、私のような未熟者が教えた奇妙な槍術の集団が、北条の精鋭の方々のお役に立てばですが」
(嘘だ。指揮権なんて渡す気はないし、渡したところで俺が組んだ暗号化された号令がなけりゃ、あいつらは一歩も動かねえよ)
「……ふん。ならば良い。久しぶりの兄弟の語らい、楽しかったぞ。父上の下に行ってやれ。奥の寝所だ」
氏政は不快そうに、追い払うように手を振った。
俺は平伏したまま、隣の鶴姫と一瞬だけ視線を交わした。
鶴姫の瞳には、「合格点ですわ、旦那様」という、茶目っ気を含んだ評価が映っていた。




