表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自己心中  作者: Rio
11/12

最終話-1



 プレゼンの翌週の土曜、テストから解き放たれた解放感を背に、佐々山と前に来た画廊に俺は足を運んだ。

 先月訪れたときと同じように、入り口にはガラス扉のついた本棚が付いており、自由に本が読めるようになっていた。建物はやはり白く、正面から見るとその異質さに周囲との温度差を感じるが、サイズ自体はこぢんまりとしている。経路がうる覚えな上に調べても出てこないほどに存在感が薄い画廊だったが、いざ辿り着くと小さいなりにも壮観だった。


 中に入ると、前の様に鈴の音がチリンと鳴る。しかし、どこもかしこも白かったはずの画廊には似つかない段ボールが、あちこちに置いてあった。その中には本が敷き詰められている。そして肝心の展示されていた絵には巨大な白い布が被せられていて、観ることはできない様になっていた。


「…あの」

「うわっ」


 そんな殺風景な景色をぼんやりと眺めていると後ろからか細い声が聞こえてきた。少し後退してから振り返ると、白色のパーカーにジーパンを履いた色白の女性が本を抱えながらそこに立っていた。


「すみません……散らかってまして…」

「いえ、こちらこそ。塔井さん、ですよね?」


 前回この画廊を案内してくれた画伯本人、塔井さんはキツツキの様に小刻みに頷く。


「…わざわざ見に来てくださってありがとうございます…」

「またちょっと見てみようかと思いまして。今は何かイベントの準備ですか?」

「あ……その……」


 俺の問いに塔井さんは吃り始めた。


「ここ……丁度今日で終わるんです……それの撤収作業を今してて……」

「えっ」

「もともと…借りていてそれの期日が来てしまって……沢山のお客さんにも来てもらいましたし……」

 

 急な店じまいの通告に絶句してしまった。


「なんか、すみません。そんな忙しい時に来てしまって」

「いえ……もしよろしければ、最後に見ていきますか?」

「見ていくって、展示をですか?」

「ここ、ギャラリーだけじゃなくて…アトリエ…作業場でもあるので……」


 塔井さんに勧められるがまま、俺はギャラリーの奥にある絵を描いているという自室を見せてもらうことにした。道中で廊下に掛けてあった絵などは既に収納ケースに入れられており、この場所が消えるという事実を如実に物語っていた。


 画廊の奥へと進み、『staffonly』の立て札が取り付けられた白い扉の先に踏み込む。そこには絵の具、キャンバス、大小様々な筆、服等々が乱雑に散らばっていた。何よりも壁際に積み重ねられた本の威圧感が凄まじく、今にも倒れそうになっている。


 この部屋をとてもやんわりとした表現をするなら『もの凄く生活感満ち溢れている』とでも言えようか。


「適当に腰掛けてください…お茶を……」


 "適当"にあたるスペースが果たしてこの部屋にあるかは分からないが、取り敢えず本を寄せて床に座ることにした。


「あの、ここが自室というかその…アトリエですか?」

「はい…すみませんちょっと散らかってまして…撤収作業は大方済んでますから…いつもよりはマシなんです…」

「ちょっと…?」


 正直なところ、この部屋の中で竜巻が起きたと言われても信じられるほどめちゃくちゃに散らかっている。

 だが画伯としての本質なのか、部屋中央に設置されたキャンバスがある周辺にだけは余計なものは一切置かれておらず、堅苦しい雰囲気が漂っていた。


「ミルクティーです……どうぞ…」

「すみません、ありがとうございます」


 塔井さんに淹れてもらったお茶を飲む。ふんわりとした軽い味わいで、まろやかなミルクが喉をやんわりと触れてくる。

 優しい味であると共に既視感を感じる味でもあった。


「これ凄い美味しいです」

「そうでしたか…よかったです」


 憂げな表情で塔井さんは微笑んだ。その顔は、やはりここでは無い違う場所で見たことがあった気がした。


「すみません、まだ名前言ってなかったですね。自分は威崎と言います。威風堂々の威に山編の崎で」

「あぁ…なるほど」

「塔井さんはどうしてこの場所に画廊を?」

「元々は次の大きな方の駅で展示する予定だったんです…でも母から少しお願いされて……」

「お願いですか?」

「はい……近くに祖父母が経営してる飲食店があるので……しばらく気にかけてあげてほしいと…」


 そう言われ追想する。確かあの店にはホームページがあったはずだ。


「もしかしてなんですけど、この店ですか?祖父母さんの飲食店っていうのは」


 スマホの画面を見せると、塔井さんは手に口を当てながら目を見開いた。


「それ…私が作ったやつ…」

「このサイト塔井さんが作っていたんですか?」

「その、凄く下手くそですけど……もしかして行ったりしましたか?」

「はい。前に行ったんですけどいいお店でした。料理はボリュームありますし、サービスも良かったです。…何より、厨房の2人が凄く仲良さそうでした」


 そう伝えると塔井さんは安堵するように息を吐いた。


「祖母と祖父は昔からずっと優しくて…私が絵描きになるって決めた時は家族から猛反対されましたけど……2人だけは後押ししてくれましたから」

「良い祖父母さんなんですね」

「ええ…ほんとです。このミルクティーもあの店から貰ったもので…せっかく近くに来たから何か恩返しができたらよかったんですけど…結局何もしてあげられず…」

「勝手な憶測ですけど、多分塔井さんが絵を描いてるってだけで恩返しにはなってると思いますよ」

「そんな…まぁでも、もう今日にはここを出ていくので……あ、いや明日かな…」

「そういえば今日でもう閉店でしたね。梱包作業とか大丈夫ですか?」

「え?…あ、多分……助っ人が1人一応来るんですが……ちょっと多いかな…」


 塔井さんは周囲の散乱した本に目線を向けながら、独り言をゴニョゴニョと呟く。なんとなくこのアトリエに案内された理由が分かった気がした。


「あの、余計なお節介かもしれないんですけど、せっかく美味しいミルクティーも貰いましたしその…何か手伝いましょうか?」


「この散らかった部屋を片付けましょうか?」などと、ストレートな言い方をすると塔井さんに申し訳ない気がしたので、若干濁した表現で伝えた。


「えっいやそんな…申し訳ないです…」

「でも、結構量とかありますけど」

「あっこれは…自分でやれますからっ…」


 そう言うと塔井さんは立ち上がり、近くに置いてあった適当な本を数冊抱え、部屋の外へ持ち出そうとした。意固地な様子から、本当にこの散らかり具合が平常運転なのだろう。


「あの、本当に手伝いましょうか?」

「いえ……全然大丈夫ですから…」


 どう見ても大丈夫じゃないぐらい力んだ声で、振り子の様に左右に塔井さんを見守っていたその刹那。頭上に本が飛んできた。


 その本は俺の頭上を通り越して、背後の積み上げられた本の塔へと激突する。当然ながらバランス良く積まれていなかったので、その後は大体予想通りのことが起きた。


 塔井さんの方はというと、右足をピンと天井に上げながら倒れていた。どうやら床の雑誌に滑ってしまったようだった。


「……その……やっぱり…お願いできます。あ、いや…します。お願いします…すみません…」

「いえ全然大丈夫です…多分」


 塔井さんは顔を隠しながら仰向けのまま、本の雪崩の前で懇願した。





 まずは崩れた本を文庫本や単行本別から手を付ける。1冊1冊仕分けながら段ボールに詰めていくのだが、これを一人でやるには途方も無い時間がかかりそうなほどの量だ、ということを改めて痛感する。

 それに加えて後ろにいる当の本人は度々発掘する思い出の本に釘付けになってしまうので、今日中に片すのはほぼ不可能だっただろう。


「塔井さん、本を結構読むんですね」

「はい……あんまり平積みをしたくなかったんですが…買って読んでいくうちにこうなってしまって…」


 後ろで流し読みをする塔井さんが申し訳なさそうに話す。


「元々は絵本が好きで……その絵本の水彩画が綺麗だなって思って画を書き始めたんです…すごい安直な理由ですよね…」

「そんな事はないと思いますよ。明確にやりたい事があるって素晴らしいじゃないですか」

「ありがとうございます……威崎さんは何か、やりたい事とかあるんですか?」

「俺ですか?」


 やらなければならない事はこの本のように山程あったが、いざやりたい事は何かと聞かれるとすぐには出てこない。


「いやぁちょっと…自分で言っといてアレですけどなんか、思い付かないですね」

「そうでしたか…それも、いい事ですね」

「そうですかね…こんな無趣味だと、日常が淡白な感じになるんじゃないかって自分は思ってますよ」

「今からやりたい事を見つけられた時の喜びというか…まだ未開拓の自分と向き合う楽しさが残っています…から。私はそんな楽しみをもう味わえないのかもしれませんけど…威崎さんはまだこれから、ですよ」


 そう塔井さんは励ます様に話す。


「あぁ、たしかに俺は自分のことを全然まだ分かってないです」


 目を閉じているのは楽だったから、俺は今まであらゆる事を無意識の状態でこなしていた。 

結果としてああなってしまったが。


「自分が如何に下らない人間かを知るのに極度に怯えて、他人からはおろか自己嫌悪にすら怯えてました」


 そんな看做された外敵から身を守る為の、偽善という盾はあまりにも都合が良い道具だったのだろう。


「ただ怖かったんです、俺」


 ほんの少しの笑みを織り交ぜて歯切れの悪い言い方をした。これもまた、恐れ故の行動なのか。


「自己嫌悪は…ただの一時の失望ですよ。頭で

描いた絵と、目の前にある醜悪な絵との差に、何度も挫折しました…でも結局、それも1つの自分なんですよ。描く人間も、鑑賞をする人間も、全て自分」

「自分で完結する評論会みたいなものですね」

「はい……それを全部ひっくるめて、自分を、愛してあげて…ぎゅっと抱きしめるんです」


 塔井さんはそう言いながら胸元で本を抱擁した。抱えられた本が少女漫画な辺り、ピュアな童心が一時的に宿ったのだろう。

 

「あっ…すみませんすみません!」


 しかしやはり恥ずかしくなったのか、顔が急激に赤くなった。


「でも塔井さんって確かにポジティブですよね。前来た時も、『悪い絵なんて1つもない』って言ってましたし」

「…私もよく分かってないんですけど、いつのまにかポジティブになってたんです…多分、祖父母の影響もあるんでしょうね…あの2人の笑顔は本当に純粋な感じで…空笑いって感じが一切しない周りを和ませる笑顔でしたから…」


 純粋な笑顔、その言葉に胸がチクリと痛む。


「自分のバイト先にもいますよ。凄い元気な感じの笑顔を見せる人。その人に俺、色んなこと教えて貰ったんです。接客のやり方から道具の使い方までの仕事のイロハ。なんなら塔井さんのおばあさんのお店のことも」

「…良い人なんですね」

「でも俺、その人に酷いこと言っちゃって。それ以来、顔をまともに合わせてないんです」

「…なるほど」


 塔井さんはほんの少しだけトーンダウンした声で納得した。


「アドバイスにならないと思うんですけど…多分、本心じゃないですよね」


 その質問に返答はできなかった。あの罵声の数々がまるっきり虚言と否定をしていいのか判らなかったからだ。


「"酷いこと"が何かは知りませんが、もし本当に嫌いなら威崎さん、そんな悲しそうには言わないんじゃないですか…?罪悪感なんて嫌いな人間に対しての悪行には付いてきませんから」

「悲しそう?自分がですか?」

「…威崎さんは自分のこと、探しているんですね」


 塔井さんは微笑みながら、羨望の眼差しを向けた。


「大丈夫ですよ、きっと。悪い事をしたなら謝ればいいんですから。大人になるとプライドが邪魔をして難しくなりますけど…威崎さんは分かっていますし」

「…分かってるって、何がですか?」

「それを私が言ってしまうのはダメです。人の楽しみを奪うなんて野暮なこと、したくないですから」


 人差し指を口の前で立てながら、いつの間にか塔井さんはスラスラと滑らかに話していた。それを指摘しようとしたが俺もまた、そんな未開拓の自分を見つける『楽しみ』を奪うつもりはない。

 きっと塔井さんもまだ、自分を探しているんだろう。


「にしてもやっぱり多いですね、本」

「もう少し前々から整理しておくべきでした…すみませんほんとに…」

「いえいえ、自分が提案したことなので全く」

「あともう少ししたら、助っ人の人が来てくれるんですけど…」


 丁度その時、アトリエ内に可愛らしいチャイム音が響いた。


「あっ…どうぞ。そのまま入ってください」


 塔井さんがインターホンから案内を促すと、鈴の音と足音が聞こえてきた。

 そしてアトリエの扉がガチャリと開く。


「あっ…佐々山さんすみませんわざわざ…こちらは臨時で手伝ってくれてる威崎さんで─」


 目の前の佐々山は頻りに瞬きをしながら、俺と塔井さんを交互に見る。言いたいことは互いに分かっていた。



「あーえっと、佐々山です。どうぞよろしく」



 佐々山は何故か自己紹介をして手を差し伸べた。


「威崎、です…どうも」


 そして俺も何故か立ち膝のまま、差し伸べられた手を取って握手をする。

 どうやら初対面という体でいくらしい。


「じゃあ…えっと、本の方を廊下にある段ボールに詰めます…はい」


 いつの間にか話し方が元に戻っていた塔井さんが作業を再開させる。



 各々が部屋の隅で段ボールに本を詰めていくが、居心地は先程とは段違いだった。というのも、佐々山が定期的に視線を送ってくるせいで横っ腹がとてつもなくむず痒いのだ。言いたいことがあるならただ言葉にすればいいのだが、『今日ここが閉店する』というシリアスか単なる他人事か曖昧な状況がそれを阻害していた。


「塔井さーん、単行本のシリーズ物どうしましす?」

「あぁ、それは…あっちに組み立て式のボックスがあるのでそれにお願いします…」

「あ、分かりましたー」


 佐々山もそんな場の雰囲気を察知してか、上手い具合に片付けの内容を交えた談話で場を和ませる。心なしか、塔井さんが先程よりリラックスしているように見えた。


「隣、失礼しますね」


 談笑を終えた佐々山は、俺の目の前にある文庫本の片付けに加わった。花の様な柔らかい香りがふわりと伝わってくる。


「…なんでここに?」


 そして極力抑えた声で佐々山は漸く砕けた口調で話した。


「それは俺のセリフですよ、佐々山さんこそなぜここに?」

「私?私は塔井さんとライン繋がってたから呼ばれて来ただけだよ。はい威崎君の番」

「自分はその…」


 確かに佐々山の言う通り、よく考えてみたら何故俺はここに来ているのか分からない。

 今まで休日は大概課題やら何やらで忙殺されていたが、夏季休暇を前にして今日は丸一日フリーなのだ。映画やらカラオケやらダーツやら何でもできる。

 にも関わらず、別に対して興味ではない絵画鑑賞をしにこの場所に赴いたのは何故か。


「散策と気まぐれついでです、ただの」


 全く思い付かなかったので、ありきたりな言葉を取り敢えず言っておく。


「ホント?」

「はい」

「ホントに?」

「はい」


 顔をずいと近づけて訝しげに佐々山は睨む。その表情に一切の棘はない。


「まぁ、それならいいけど」


 そう言い佐々山は本の片付けに戻っていった。


 それから1時間半弱、アトリエ内の本をひたすら仕分けをして漸く広々とした部屋の全貌が見えてきた。


「これは向こうに運べばいいですか?」

「あっそっちに…えっとそこではなくて」

「威崎く、さん違う違うそれ。下に入れるやつで…」


 そして更に1時間半、本を詰め込んだダンボールやら緩衝材を何重にも巻いた絵画をトランクへと詰め込んでいき、漸く伽藍堂となったギャラリーが姿を現した。


「結構広かったんですね、ここ」

「ですね。なんか凄い壮観」


 佐々山が敬語なのはさておき、確かに壮観だった。真っ白な威圧感のある部屋にカラフルな絵画の色が合わさる事で調和が取れていたが、それらを取り除いてもなお薄い橙の陽光が部屋の温かみを担っている。

 塔井さんの言っていた『景色そのものが美術』という感性が、ほんの少しだけ理解できた気がした。


「そういえば塔井さんは?」

「さっきからアトリエにずっといるよ。なんかやり残したことがあるとかなんだとか」


 アトリエを覗きに行くと塔井さんが屈みながら何かをしていた。もう部屋の中には本もイーゼル何も無い筈だ。


「あの」

「わっ…」


 声をかけると塔井さんは跳ね上がって驚いた。


「あ、すみません。取り込み中でしたかね」

「いえ別に…えっと、どうかしましたか?」

「何かあるわけじゃないですけど、ただ…何をしているのかなと」

「あぁえっと…これをちょっと仕上げに…」


 見るとそこには20cm四方のキャンバスと紙パレット、筆が新聞紙の上に置かれていた。そしてそのキャンバスには何か絵が描かれている。


「綺麗な絵ですね」


 褒めるバリエーションを未だにこれくらいしか持ち合わせていないのが残念だ。


「ありがとう、ございます。少しだけ…待っていてくださいね」


 それでも塔井さんは律儀に礼を言い、キャンバスを持ってアトリエを出ていった。そしてもう何の絵も展示されていないホールの中央の壁に、そのキャンバスを飾った。


「塔井さんこれは?」

「展示日終了日とこの場所の期限日を同じ日にしてしまったので…佐々山さんも威崎さんも助っ人以前に大切なお客様です。だから、せめてこれだけでも…と」


 塔井さんは縮こまりながら答えた。


「わぁー綺麗な絵ですねー」


 背後から佐々山が全く同じ感想を言った。嫌味ではないはずだ、多分。

 絵の内容は花畑に鳥が数羽描かれているといったもの。残念ながら芸術科目万年2の俺にはそれくらいしか分からない。


「なんか、既視感あるんだよね」


 しかし同じ感想でも佐々山は違うらしい。


「既視感ですか?」

「うん。…あ、はい。この花のところが。名前はちょっと思い出せないけど」


 佐々山が展示された絵を頭を捻りながら鑑賞する。確かに前回来た時にもこんな感じの絵があったが、あの時は鳥籠が描かれていた気がした。


「……ウツギです、その花」


 後ろから塔井さんが呟く様に言った。


「ウツギの花言葉ってたしか、秘密でしたっけ」

「はい…」

「よく覚えてますね佐々山さん」

「うん。なんか、絵心が死んでる私でもあの絵は忘れなかったんだよね。あれからずっと心に残ってる」

「あの…もしよければお譲りしましょうか?」


 魅せられた様に絵を眺める佐々山に対して塔井さんが提案した。


「えっいいんですか?あ、でも…」


 佐々山は喜んだが、すぐにバツが悪そうな表情で俺の方を向いた。


「大丈夫です別に。俺は美術のセンス0なので」


 そう伝えると佐々山の顔がパッと灯る。俺の様な芸術に疎い人間より、まだ絵の本質を理解しようとしている人間に引き取ってもらった方が塔井さんも喜ばれるだろう。


 そうして最後の絵画を梱包して佐々山のトートバッグに入れ、俺たちは外に出た。荷物は全て塔井さんのバンに半ば無理やり詰め込み、あとこのギャラリーでやる事は1つだ。

 塔井さんは店の前で名残惜しそうに中を見つめた後、扉を閉めて『close』の掛け札を外す

。チリンという鈴の音が梱包作業の終わりを告げた。


「2人とも…本当にありがとうございました」

「いえいえー土日なんで全然大丈夫でしたし、寧ろ絵画まで貰っちゃって悪いぐらいですよ!」


 佐々山はトートバッグを大切そうに摩った。


「自分もちょうど手持ち無沙汰で暇してたんで。もう次の展示場所とかは決まってるんですか?」

「はい一応…雪景色が見たいのでもっと北に行ってみることにします…あっ、あとこれを…」


 そう言い、塔井さんはポケットから小さな紙を取り出した。見ると、丸っこい字体で『デザート無料』と印字されている。


「次に行く機会があれば是非これを使ってください…」

「ここ凄い美味しいとこ。読み方は分かんないけど」

「モンテ・ビアンコです…昔祖父母が旅行で行った山で…凄い気に入ってこの名前にしたそうです…」


 思い返せばアトリエを片付けているとき、額縁に入った真っ白の雪山の写真が壁に掛けてあったような気がした。

 

「ん?ということはあのお店って塔井さんのおじいさんおばあさんのお店だったりします?」

「はい…あ、言ってなかったですかね…」

「えー全然全然!今初めて聞きましたよー!」


 佐々山はこれが初耳だったらしい。


「でもいざそう言われてみると、なんか、雰囲気似てる気がしてきたかも。日向ぼっこできる場所みたいで気軽に足運べるところとか。美術館とかの場所は格式が高い感じだから、案外行き辛かったりするんですよねー」

「この場所も…極力そんな感じで、簡単に観て周れる場所になればと思っていたので…何よりです」

「次展覧会開くときはメールくださいね。絶対行きますから!」

「はい…ぜひ来てくださいね」


 塔井さんと佐々山は熱い握手を交わしながら腕を上げ下げした。一方的に塔井さんが揺さぶられており、少し面白おかしい光景だった。

 

「では、これで…私は失礼します。お二人とも本当にありがとうございました…」

「いえ、こちらこそ」

「お元気でー!」


 俺と佐々山はバンから顔を出す塔井さんを見送る。2回しか行ってはいないが、別れの瞬間というのは哀愁を感じるものだ。


 だがそんな門出に水を差すかの如く10,20m辺り前進した辺り、手を振るのをやめたタイミングでバンが止まった。

 エンストでも起こしたのかと思ったその時、塔井さんが車から出てきてこちらに向かって走ってきた。


「……すみません、あの、えっと」


 塔井さんは肩で息を切らしながら、何かを差し出す。写真だった。


「…前回…来てくれました…よね?」

「あっ、あの時の」


 佐々山に連れられてこのギャラリーに入ったとき、たしかに後ろで塔井さんがシャッターをパシャパシャ切っていた気がした。


「凄くいいなと…ただ、それだけです」


 何か言い返す暇もなく、塔井さんは深々と頭を下げて車へと戻っていった。

 

 ギャラリーの前で俺と佐々山はその写真を2人で暫く無言で眺めた。展示された絵を共に鑑賞しているその写真は、別に特別な光景といったほどでもなく、日常の風景をそのまま切り取ったような陳腐な写真に見えた。

 だが、きっとそれでいいのだろう。


「佐々山さん」

「ん?」

「お昼まだですよね?」

「ん」

「折角これ貰いましたし食べに行きませんか?奢るので」




 初夏の日差しが照らす炎天下の中、俺は佐々山に提案した。佐々山は何も言わずに、少しだけ口角を上げて頷いた。

 そうして俺たちは塔井さんが言っていたモンテ・ビアンコに向かった。


「はぁーい、いらっしゃぁーい。好きな席どうぞー」


 店に入ると、ゆったりとしたしゃがれた口調の歓迎と木のさっぱりとした香りが出迎えた。 店内は相変わらずジャズが流れており、レジ奥のキッチンでは老夫婦2人が忙しなく働いている。1度しか来たことはないのに、何故か帰省した時の切なさを感じた。


 俺と佐々山は窓際の席に腰を下ろすことにし、メニューを開く。やはり写真ではなく代わりに絵本の様な絵が料理名の横に添えられている。その絵の筆跡や色の塗り方には先程アトリエで見た最後の絵画に通じるものがあった。


「威崎くん何頼む?私デミグラスのオムライス」

「あー俺は…」


 佐々山に言われてメニュー表をなぞるように見る。どうせなら前回と違ったものを頼んだ方が新鮮味も相まって美味しく食べられるだろう。が、どれもこれも魅力的で中々決めることが出来ない。


「じゃあ、ハヤシライスにします」


 迷った末に前に話していた時のことを思い出した。


「あぁ前に言ってたやつだっけ?」

「はい、ちょっと気になったもので」

「味もいいんだけど絵に惹かれるんだよね、ここ。写真じゃできないしっかり絵の良さを引き出せてるっていうか。ていうか、これ描いたのって多分…」

「塔井さんですね、恐らくは」

「やっぱりそうだよね?筆の感じがそんな気がしたからさ」


 本人こそ祖父母への恩返しが出来なかったと悔やんでいたが、これであれば十分な善行では無いのだろうか?

 そう思いながらベルを押すと、ペタペタとスリッパの滑る音が聞こえてきた。


「はぁーい、どうぞぉ」


 はにかみながらおばあさんはメモ帳と万年筆で注文を取り始める。


「ハヤシライスと、デミグラスオムライス1つ。あとすみません、これを使いたいんですけど…」


 おばあさんはデザートのチケットを受け取ると、少し顰めっ面をした。そしてエプロンの胸ポケットに引っかかっていた眼鏡を掛け、凝視をし始めた。時間が経つにつれて眉間の皺が減り始めて、表情は徐々に穏やかな物になっていった。


「あの子、友達できたんだねぇ」


 そしてチケットから目を離すと、おばあさんは嬉しそうにそう言った。


「食後に持ってくるでも大丈夫?」

「あ、はい。大丈夫です」


 おばあさんはやはりお辞儀なのかどうか分からない礼をした後、足を引き摺りながら厨房へと戻っていった。


 数分ほどして、おばあさんはカートに料理を乗せながら戻ってきた。昼下がりの時間ということを踏まえても早かった。


「えっとー、こっちがハヤシライス。で、こっちがオムライスねー。デザートは後から持ってくるからねぇ」


 相変わらずボリューミーな量の料理がテーブルに並べられる。付け合わせのサラダの量も多い。

 

「佐々山さんオムライスにしたんですか」

「うん。なんか、無性に食べたくなって。前に威崎くんが食べてたからかな」


 そして互いに手を合わせ、料理を口に運ぶ。

ざく切りの野菜の甘さとほんのり香る香辛料の辛味が良い塩梅で混ざり合い、互いの良さだけを残しながら口にとけていく。佐々山も角切りのほろほろになった牛肉が沢山入ったオムライスを美味しそうに頬張っている。


「美味しいですね」

「うん。何回来てもいいね、やっぱし」


 温かみのある味、というのはまさにこういう事を言うのだろう。塔井さんが言っていた様にここもまた、日向ぼっこの様な安心感が部屋全体に広がっている。

 9割ほど食べ終えたタイミングで、おばあさんが再びやってきた。


「はいじゃあこれねぇ。プリン」


 そう言い、グラスに入ったプリンを置く。1口、味見をする様に食べてみると今時のほぼクリーム状のものとは対極の、しっかりと食感のあるプリンだった。その上で口溶け滑らかな絶妙なバランスもある。


「歯応えのあるやつだ」


 佐々山が食べながら変なことを言った。


「急にどうしました?ヴィランみたいなこと言いはじめて」

「あー違う違う、歯応えのあるプリンだなぁって。威崎くんボケ上手いね、私と漫才やる?」

「持ちネタがプリンとか勘弁してくださいよ」


 そんな下らない雑談を交えながら食事を終えて、俺たちは店を出た。


 外に出ると身体を芯から熱するような日差しはほんの少し赤みを含んでいた。しかし依然として暑いことに変わりはない。


「どこ行きます?」

「んーどこに行こうか」


 俺も佐々山もどこか行く予定があった訳ではないので、この後の行き先は特に考えていない。

 長考していたとき、前回佐々山と出歩いた時のことを思い出した。


「展望台とか行きます?」

「うん、いいよ」


 佐々山は少し長めに目を瞑ったのち、俺の案を肯定した。


 



 



 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ