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楊の持つ鳥は

 はぁ!


 大きく息を吸った音は佐藤ではなく馬淵の物で、楊の目の前で馬淵は先ほど楊が眼にした彼女の世界を再び開き始めた。

 水柱が床から突き出して天井に着けばそのまま乳白色の柱へと変わり、周囲の壁はガラスのような光沢を持った茶色の泥で覆われていく。


「なんだ!これは!馬淵巡査、そこを動くな!」


 金属のカチャリという音と一緒に上がった声は髙のものだ。

 髙の拳銃の構えと殺気は馬淵へと向かい、髙の銃の的となった馬淵は、髙へと右手を翳した。

 楊の眼には髙に向かう熱風の塊が見えた。


「させるか!って、うわっ!」


 楊の叫び声で楊から大きな何かが飛び出し、髙へ向かう熱風を押し出しながら馬淵へとむかったが、楊は抱き締めた佐藤と一緒に彼から飛びだしたものの衝撃波で後方へと勢いよく飛ばされていた。


「あっつ。」


 背中をしたたかに壁に打ち付け、その反動で後頭部までも壁にぶつかった。

 さらに佐藤を抱いたまま床を滑った尻は摩擦で熱いだけでなく、鈍い痛みも感じており、直に感じる冷たい床の感触からズボンどころか下着までも破れているだろうと楊は目を瞑った。


「かわさん!」


「あぁ、畜生。」


 頭を振って何が起きたのか楊が頭を上げれば、髙は馬淵へと拳銃は向けたままではあるが完全に馬淵から顔を逸らして楊へと振り返っており、楊は髙が珍しく被疑者から目を逸らしている理由を一瞬で理解した。


 楊の体から楊本来の使い魔が飛び出したということだ。


 それは爆発を伴う炎の鳥だ。


 彼が放った鳥によって馬淵が召喚した世界の水柱は火の柱と変わり、馬淵は自分の獣道を燃やされる事への恐怖の悲鳴を上げ続けるだけであるのだ。

 彼女が悲鳴を上げて身もだえているのは、業火の恐怖だけではないであろう。

 精神世界を焼かれている馬淵の肉体は、内側から火であぶられたかのようにぶつぶつと全身に火傷の水泡を浮き出させてもいるのだ。


「う、あああああああああああ。」


 新たな悲鳴は小さなバスタブからだ。

 島根の蘇生は馬淵の術によるものだからか、楊の攻撃に侵食された馬淵の精神が業火に包まれているように、島根の浸かる赤黒い液体が沸騰してぼこぼこと湯だっているのだ。


 馬淵によって半分命を吹き込まれていた死体は、自分の体に流れ込むマグマのような液体に体を焼かれる苦しみに喘ぐことになったのである。


「ぎゃああああああああああ。」


 馬淵は自分の物でない叫び声に口を閉じると、バスタブの中で苦しみ足掻く死んでいる男の首に縋りついた。

 血の風呂に浸かっていた遺体はかっと目を開けた。

 彼の体は血の湯に熱せられ、肉体からはしゅうしゅうと湯気が立ち上りみるみると乾燥していく。

 体の痛みに叫び声をあげていた遺体は、馬淵に抱かれて静かになって馬淵を抱き返したが、ぐいと首を伸ばすと馬淵の左頬に齧り付いた。


「あぁ、聡君、聡君。あぁああああ。」


 自分に襲いかかって来た男を撥ね退けたくとも、バスタブから乗り出した死人が絡みつき噛みつきながら上半身を抑え込まれているので、馬淵は逃げることが出来ない。

 馬淵は島根によって肉体への攻撃を受けた事で、楊の炎に抵抗する力を完全に失ったのだろう。

 その証に炎を吹き出して解剖室を覆っていた鍾乳洞の映像は消え、殺風景な解剖室の真ん中ではステンレス台に島根によって押さえつけられた馬淵の白い足や手が助けを求めて触手のように蠢くだけである。


 馬淵はあんなにも離れたがっていた恋人から遠ざかろうとスチール台の上へとずるずると体をずらし、しかし、抵抗を受けるたびに皮膚を摺りむかせ、今や腱と骨に近い姿で生まれたての赤ん坊が母親を逃すまいとするかの如く、島根は馬淵に食らいつく。

 髑髏に近い男に喰らい付かれる白い女という情景、髙と楊は目の前で続くその情景に唖然とするしかない。


「島根が死人化するとは。どうしましょう。馬淵を助けねば、と思うのですけどね。」


「助ける気なんて無いくせに。いいんじゃないの、馬淵も死人だし。」


「うそ。さっきまで生きてたじゃないですか。」


「――ごめん。馬淵を内側から燃やしちゃったみたい。はは。俺、とうとう人殺しになってしまったよ。」


「まぁ、仕方が無いですよ。佐藤の今の姿を見ればね。」


 楊は髙の目線からも隠せるように佐藤を再び胸に抱き直した。

 冷たい床に尻を付けた情けない姿だとしても楊は立ち上がる気力もなく、しかし立ち上がって佐藤を病院に運ばねばならないと思いながらも、彼女を抱き続けてこのまま冷たい床に一緒に溶けて同化してしまいたい気持ちでもある。

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