水銀はとても危険
「うわぁ。どうしたの、あれ。ピンクのフリルの塊がクミちゃんのファミリーカーを襲っている。」
術者の術を待つよりは刑事らしく捕まえることを選んだ楊によって、僕は結局当初の目的通りに自分の力でこの世に戻って来る羽目になった。
大体、術者が術を使うのが一年後だったら、僕達はこの世に現れた時点でミイラになるという事だ。
そこに失念していたのが楊であり、僕も最初からその可能性を知っていながらも楊と待とうとしてしまったのは、楊という調子者に乗せられたからだろう。
楊という男は、実に危険な男なのである。
さて、僕達が戻って来たのは梨々子が戻るはずの松野邸の駐車場であるが、戻った目の前で、久美の無駄に大きなファミリーカーが小柄でも重量級な一人の女性に襲われている情景を目にする事になった、という衝撃を解って欲しい。
一五〇センチも身長が無くとも体重が百近くありそうな女性は、リボンが体中を縛るような装飾をしているデザインのドレスを纏っていた。
ただし、リボンとリボンの間から贅肉が浮き出ている様はハムにしか見えず、ゴスロリを愛する僕どころかデザイナーに対する冒瀆に近い有様だと僕は感じた。
しかしながら、彼女が着られるデザインがあるというのならば、その服屋は彼女をも顧客として受け入れていると見ることが出来るので、僕の非難こそが差別的で独りよがりなものだと言えよう。
だが、人間には許せない事が一つや二つくらいあるものなのだ。
目の前の肉塊が纏うドレスのあのブランドは、僕が鈴子ママから梨々子とお揃いで買ってもらったドレスのブランドであり、つまり僕のお気に入り店なのだ。
「ちくしょおおおおおおう!僕の大好きなヒステリックマーキュロを冒瀆するなぁあああああ。似合わない服を脱げ!この、人間ボンレスハム!」
どおん。
車に体当たりしたばかりの女はへこんだ車体から身を離すと、叫んだ僕の方へとぐるりと体ごと振り向いた。
自らの痛みなど捨て去った言葉通りの捨て身の攻撃をしていたらしく、振り向いた女の顔は肌色が見えない程自らの血で真っ赤に染まっている。
額の薄い皮膚は裂け、鼻の骨が折れている痛々しい状態の彼女は、目に爛々と憎しみの光を湛えて僕を睨みつけているのである。
まさに、異常に興奮している赤チンキ状態。
「あ、やば。かわちゃん、交代。」
僕は当たり前だが楊に頭を叩かれ、だが、楊は断るどころか僕に彼の持つ箱を渡すとまっすぐに女の元に向かっていった。
「かわちゃん。」
楊はそれから、僕が驚いた事に!かわちゃんの癖に!無表情のまま情け容赦なく女を足払いだけで大きく転ばせたのだ。
あんなにも重量級の体が宙に浮き、そのままコンクリートの地面に激突する様は、あまりに痛そうで僕までもぎゅうっと目を瞑った程だ。
しかし当の楊は腰から警察官が持つあの白い紐をしゅるりと取り出して、何事も無い様子で彼女を後ろ手に括り始めているのである。
「すごーい。かわちゃんて、やっぱり警察官だったんだ。すごーい、カッコイイ。」
僕が戻って来た楊に再び頭を叩かれたのは言うまでもない。
赤チンキはマーキュロクロム液の通称です。
マーキュロと、呼ばれていたりもしました。
そして、これが水銀化合物であることでどんどんと他の消毒液に取って代わられました。




