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久美に起きた異変

 久美の運転する車はまっすぐに松野葉子宅に辿り着いた。

 自宅に着いた喜びに梨々子は声を上げようとして、体が捩じれるかの痛みに大声で泣き叫ぶしかなかった。


「あぁ、痛い!腕が!足があぁ!」


「リリコ!」


 梨々子はぎゅうと運転席側に引き寄せられ、そして、一瞬で痛みが体から消え失せた。

 彼女が感じるのはずっと夢見ていた久美の体の温かさであり、自分はこの大きな体に守られ抱きしめられたかったのだと彼を抱きしめ返した。


「あ、ぎゃあ。」


 苦悶の声を上げたのは久美であり、梨々子は自分の腕の中の久美を見直せば、久美は梨々子が受けた怪我を全て言葉通りに肩代わりしていたのだ。

 両腕と左足が捩じれて歪み、先程迄梨々子が叫び声をあげる程の痛みの苦しみに体を震わせているのである。


「クミちゃん!どうして!」


「いい、いいから。お前は家に入れ。そ、それで、後ろの人達のためにキュウ、キュウ、救急車を呼んでやってくれ。あ、あいつらは何日も飲まず食わずだった奴らなんだろう。」


 梨々子は驚きに後ろを振り向いた。

 久美の言うとおりに水野達は座席に沈み込むようにして意識を失っており、しかし、梨々子は久美を抱きしめる手を離す事がどうしても出来なかった。

 この温かい体をどうして手放せようか、と。


「あなたを放したくない!」


 梨々子は久美を抱きしめ直した。

 しがみ付き直したと言うべきか。

 すると、梨々子の腕の中の久美は、苦悶の表情を和らげて梨々子を見上げた。

 その視線は梨々子が誰からも受けたことのない羨望の視線だ。


「はは。お前の鼓動と、俺の赤ん坊の鼓動が気持ちいい。」


「クミちゃん。」


「放さなくてもよくってよ。車の中にずっといてもいい。救急車はあたくしが呼びました。すぐに向かってきますから、梨々子さん、兄を頼みます。」


 矢那の声に顔を上げれば彼女は運転席のドアを開けてロックを解除している所で、ドアの鍵が開いた音がするや彼女はそのまま走り去った。

 そして、何が起きるのか梨々子が見守る中、矢那は横のスライドドアから車内へと乗り込んで来た。

 矢那の片腕には紙パックの飲み物を盛った手提げの籠がぶら下がっており、彼女はまず助手席の後ろ、ドアを開けて入ってすぐのシートにいる水野に紙パックの乳児用スポーツドリンクを手渡したのである。

 意識はあるらしいが弱々しい水野の手を支えながら吸えるところまで手伝い、水野が一人で飲めるようだと確認すると通路を挟んだ隣、運転席の後ろに座っていた若瀬へと踵を返した。


「矢那、先に頂戴。一人で飲めるから。」


 矢那に向かって白い女性の手が差し出され、それは三列目のシートの真ん中に座っていた佐藤である。

 矢那は紙パックにストローを素早く差し込むと、すぐさま佐藤に手渡した。


 ここに来て、梨々子は車内の様子が完全に把握できたのである。

 三列目シートの真ん中の佐藤は動けるが、佐藤の右横の稲生はシートから滑り落ちそうな様子で意識を失っており、三列目シートと二列目シートの間の床には初瀬が頭をがっくりと下げて座り込んでいる。


「あ、私も手伝う――。」


「いいえ。梨々子さんはそのままでいらして。兄の体の痛みは玄人が戻るまでです。全く。馬鹿な兄です。使えもしない術を考え無しに使うなんて。」


「使えもしない、術?」


「身代わりの術ですわ!」


 言い返してきてすぐにぱあんと大きな破裂音がしたのは、矢那が青ツナギの一人の頬を叩いたからだ。

 運転席の真後ろの席に座っていた若瀬は、偉そうに腕を組んで目を瞑っていたが、完全に意識を失っていたようである。

 矢那に殴られた若瀬はその衝撃からかうっすらと目を開け、矢那は紙パックからストローを抜くと、なんと若瀬の口にパックごと押し込んで無理矢理に飲ませ始めたのである。


「う、うごご、うぐ。」


 梨々子は激高しているらしき矢那を宥めなければ、あと二人残っている青ツナギも彼女に殴られると考えたが、しかし梨々子には久美の状態こそが大事であり、気付けばおどおどと十も年下の少女に子供のように聞き返していた。


「身代わりの術って何?ねぇ、クミちゃんが何をしたって言うの。」

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