遅れて来た英雄
梨々子達が現世に戻った事が確認でき、僕もそろそろ帰ろうかと考えたその時、真っ黒い道が僕の目の前を切り裂くように飛び出してきた。
なんと、鎌首をもたげた道の鎌首部分は、真っ黒い姿の楊ではないか。
漆黒のロングコートを旗印のようにはためかせて出現した様は一言でいえば格好の良いものであるが、彼が期待していた観客は僕一人であり、彼はその事実に気が付くや自分の獣道から格好悪くポロリと落ちた。
楊が落ちた事で真っ黒な獣道は煤のように霧散し、僕は僕がいなかったら楊は帰れなくなっていたはずだと彼を叱りつけようと息を吸った。
「何をやっているの!」
僕よりも早く僕を叱りつけてきたのは楊だった。
しかし僕を叱る彼の姿など、おがくずと砂で出来た世界に飛び込んで頭からコートの裾までまだらの乳白色に染まっているではないか。
そんな彼に叫ばれた僕こそ、彼が叫んだその台詞をそのまま彼に叫び返したいものである。
けれども僕は彼と比べれば常識人であり、彼は僕にとっては恩義のある人物だ。
よって、僕は素直に彼の質問に答えることにした。
「いや、普通に、救出?」
楊は立ち上がるとずかずかと僕の元迄歩いて来て、そして箱を持っていない空の左手で僕の頭をパシリと叩いた。
「痛いです。酷いです。ぼけているどころか僕は皆を助けたというのに。」
「お前は、だって、無理だって言ったじゃん!」
「だってあの時は何も見えなかったのですもの。無理です。」
「じゃあ、今回はどうして!」
「目の前で誘拐があったからです。梨々子が連れ去られたので、奪い去る力に必死にしがみついてここまで来ました。武本のオコジョを総動員です。」
「――そうか、ありがとう。武本のオコジョさん達にお礼を言うよ。」
楊が僕というか僕の後ろにいるであろうオコジョに頭を下げ始めたので、楊の額を僕は右手でパシリと打ち据えて彼の愚行を止めた。
「ひどい、ちび!」
「かわちゃんこそやめて。かわちゃんに可愛がられたいって騒いで、オコジョたちの統制が乱れるの。」
「はは。そうなの。でもさ、本当にお前がいた時で良かったよ。絶対に梨々子が狙われると思っていたからね……って、梨々子どうしたよ。」
「だから救出したって言ったじゃないですか。さっちゃんとみっちゃんと、青ツナギ三人衆と一緒に帰しました。」
「そうか。……で、なんでお前だけここにいるの。」
「帰るまでの道を作るためですよ、勿論。」
「何をやっているの!」
僕は楊に再び頭を叩かれ、僕は両手で頭を庇いながら今度こそ楊に言い返した。
「かわちゃんこそ何をするの!」
「だって、お前ひとり残ってどうするんだよ!畜生、俺がもう少し早ければ!」
一人で帰れそうもない楊がもう少し早くてどうなるのかと言い返したい気持ちがあったが、楊が僕を心配しているという事は理解できた。
「普通にこれから帰りますから、心配しないで。」
「え、残っていたのは生贄の為じゃなく?まぁ、お前がそこまで自己犠牲するとは考えていないけどさ。帰れるの?ねぇ、普通に帰れるものなの?」
「帰れるけど、やっぱり帰れないと考えていたのに来たんだね。かわちゃんこそ皆の道になるつもりで。……無鉄砲すぎるよ。」
「いや、無策じゃないって。俺は生贄として俺の持つ吸血スライムをいくつかおいたら帰れるかなって感じ。」
「そんなの置いたって帰れるわけ無いでしょう。無策同然だよ!考え無し!」
僕は楊に怒鳴っており、僕の頭の奥で長谷の笑い声が聞こえた様な気がした。
絶対に彼がこの場にいたら、腹を抱えて笑っているだろう。
「い、いいじゃん。無策の策って言うじゃん。俺にはさ、最終手段もあるじゃんか。ほら、このコートをくれた前世の父を呼ぶってね、最終手段。おとーさーんって。」
「吸血スライムが本気の方がマシだよ。」
僕は楊をとっても情けないとがっかりとし、その気持ちがはっきりと読み取れるほどの悲しい顔を彼に見せてしまったらしい。
当たり前のように楊は僕に逆切れして来たのである。
「いいじゃん、もうそんなの。お前がいるんだし、無事に帰れるんだろ。結果オーライでいいでしょうよ。俺はそんな事より帰った時にはもっと高尚な目的の達成もあるんだからね、もういいの。」
「……帰った後の高尚な目的って?」
楊は抱いている小箱を僕の目の前に下ろすと、そっとその箱を開いた。
「この子に安らぎを、かな。」
「あぁ、これが術具か。人間以外も死人になるんだね。」
「――お前は一目でわかったんだ。俺は触ってようやくだった。可哀想に、死人だから怪我の痛みはずっとだよ。無くなった後ろ足の切断の痛みにずっと体を震わせている。本当に可哀想。痛みのあまりにこーんな世界まで引き寄せて、いや、この子の世界なのかな。」
「そうですね。ここはこの子が大怪我をして死んだ納屋の一角ですね。おがくずと土埃がこんもりと山になって、この子には温かい我が家だったのでしょうね。でも、人間はただの鼠だと罠を仕掛けてしまった。温かくて、幸せで、そして、体が全部あった時の記憶。」
「お前は本当にすごいね。俺は気が付いたのはついさっきだよ。周吉さんが悪魔の召喚だって言っていてさ、召喚に使うアイテムで有名なのはミイラになった猿の手だろ。死人になったこの子の足は、もしかしたら腐らずに残っているかなってさ。残っていて、魔法大好きの馬鹿に見つけられたとしたら、それは術具に思えるかなってね。この子は痛みに辛くなると自分の世界を呼ぶ。千切れた足も失った肉体と精神を引き寄せようとするかなってね。それで現れたこの子の精神世界を悪魔だと思い込んでいる馬鹿がいるのかも、という推測でしか無かったけどさ、当たっていたのかな。」
「うん。当たり。でも、かわちゃん。そこまで解っているなら、かわちゃんには犯人も解っているのでしょう。」
「まあね。俺はそいつを捕まえるから、お前は帰りな。」
「はは。やだ。」
「ちび。」
「だって、気が付いた。かわちゃんの本当の帰還作戦は、そいつが召喚した時にこんにちわって戻るつもりなのでしょう。そっちの方が楽しいし、楽だから、僕もそっちがいい。」
「はは。これは俺の策だからね、お前はこれに関しては俺の弟子か。」
僕は楊に対して頬を膨らませた。
今の時点では僕達は楽しく笑っていられるから。
久美には啖呵を切ってみせたが、今の僕には梨々子の体の直し方はわからない。




