魔法使いになったばかりの男だが
周吉が年齢よりも若く見えても、彼が年を重ねている証拠に、どこもかしこも夕夏のように白くなっている。
そのため、彼は幾千年も生きた大蛇の化身そのもののようにも見え、そのひと離れした風情が彼から神懸かった威圧感をも感じさせられるのであろう。
しかし今やそんな彼が、一重の大きな瞳に羨望を浮かべて、楊が抱きしめる少女を唯々眺めているだけのただの父親に戻っているのだ。
けれども、夕夏は初めて見る男の姿に脅えるだけで、楊の右肩の上でどんどんと縮んでいき、終には楊の手の中で黄灰色のカナリアに姿を変えた。
カナリアはぶるぶると震えて、これでもかという風に楊の首元に蹲っているだけである。
その哀れな少女の変化した姿が周吉には辛いのか、彼は両手を目がしらに当てて、慟哭の声を上げたのだ。
「あぁ、夕夏。」
「周吉さん。夕夏は死んでいるのですよ。死んだ人間は生前の記憶しか認識できません。そういうものでしょう。彼女は生前にあなたを知らなかった。だから、あなたを父として認識できずに脅えているだけなんです。」
「はは。最近術が使えるようになったばかりの小僧に私が諭されるとはね。」
「――それじゃあ、俺よりも素晴らしい術使いの周吉さんには判りますか?俺には行方不明の部下の居所へ行く術が何一つ分からないのです。」
「君の望む道を開けば私は何を得られる?いや、そうか。お前は私を呼び出すために夕夏のデコイを作り上げたな。なんて嘘つきな男だ。」
田園風景はぱっと明るさを消し、楊が首筋にとまる小鳥を庇うようにして左手で押さえながら周囲を見渡せば、そこは陽が落ちた真っ暗闇の畦道だ。
「あなたの怒りで夕夏がもっと脅える。」
「はぁ。怒りなどないよ。私の獣道は本来はこの姿だ。君にはただの真っ暗闇かな。」
楊が再び周囲を見渡せば、空には全ての星座が見つけられるかもしれないと思う程の星々が広がり、彼が立つ畦道の両脇からは大型のカエルによる合唱が牛の鳴き声のようにぼうぼうと響き、そして、気が付けば楊の周囲には小さな光が瞬いていた。
かすかな小さな光はいくつも田んぼから舞い上がり、楊の周囲を空の星座が囲むかのように照らしていたのである。
「あぁ、すごい。夏休みだ。夏休みの夜だ。ほら、夕夏、見てごらん、ホタルも舞うきれいな夏の夜だよ。君も大好きな筈だ。花火を持ってくれば良かったねぇ。」
楊のはしゃいだ声に応えるかのように、ぽうっと楊の右肩は小さく輝き、そこにはカナリアではなく小鳥サイズの少女が腰かけていた。
その小さな人物は暗闇の中の光のイリュージョンに喜び、自分に向かってくるホタルへと手を伸ばした。
「ほらほら落ちないようにね。周吉さん、俺が作り上げたのかもしれませんが、この子はデコイではありません。夕夏の魂そのものですよ、勿論。」
「――君はあの巨大ヒルから夕夏の記憶を全部抜きだしたんだね。」
「全部ではありませんが、十二歳の時に壊されて失っていた彼女の根幹は大体戻りました。そして、ふきと思い込んでいた時に俺とした約束が彼女を彼女たらしめている全てなのが辛いですけどね。俺の口先だけの一年を彼女は信じているのです。俺と一緒に一年は夫婦でいようね、という俺の約束を頑なに信じている。俺はこんなにも嘘つきな男なのに。」
周吉は再びただの男に戻り、楊に向けてがっくりと頭を下げた。
「――済まなかった。君を侮辱した事を謝罪させてくれ。君はあの男と瓜二つなのに、君はあの男とは違うんだね。あの大嘘つきとは。」
「はは、顔を上げてください。謝罪も不要ですよ。最近はそっくりだと家族にも扱き下ろされていますから。それに、周吉さん。あなたの言う通り、俺は夕夏をだしにしてあなたに交渉をする事も考えていましたからね。あなたが俺の獣道を襲ってきた方が早かったけれど。」
「交渉とは?夕夏が私を認識することは無いのだろう。」
「本当の父親としてはね。でも、義理の父になることは出来る。つまり、彼女は俺の妻なので俺の言う事しか聞きませんが、俺には彼女に伝えることが出来ます。俺の親父に君を紹介したいとね。実の父が義理の父とは辛いでしょうが、あなたは夕夏の父となることはできますよ。」
「はっ、そうきたか。――わかった。君の要求を、いや、無理だな。」
「あなたでも?困ったな。俺が知っている最大級の術使いはあなたなのに。」
「君の死んでいる筈の父親はどうした。」
「あれが素直に助けてくれると思いますか?」
「は、確かに。これはね、召喚なんだよ。」
「召喚?」
「召喚だ。獣道なんてものでは無い。大昔の錬金術師を名乗る紛い物の呪術者達がこぞって召喚しようとしただろう、悪魔とやらを。これはそれなんだ。召喚されて具現化し、そして、元の世界に引っ込むときに生贄を攫って行った、それだけの話なんだよ。生贄を取り戻すにはそれ相応の品が必要だ。だから、無理な話だ。」
ところが周吉の目の前の男は落ち込むどころか目を輝かし、さらには周吉の考えもしなかった言葉を言い放ったのである。
「ねぇ、その悪魔はどんな名前?」
「召喚するつもりか?」
「そのとおり。」
「名前など知らない。知った所で、君は生贄をどうするつもりだ。」
楊はにやりと周吉に微笑み、周吉の目の前から忽然と姿を決した。
取り残された周吉は、楊が楊の前世の父親であり、現世では楊の曽祖父となる長谷貴洋にそっくりだったと認めるしかなかった。
彼らは世界を魅了できる微笑みを持つ、悪魔よりも悪辣な男達であるのだと。




