矢那という八歳の少女
梨々子は目の前の人形のような美少女に、ただただ圧倒されていた。
そして、圧倒されているのは彼女だけではなく、彼女の祖母こそ、である。
少女は一人で松野邸の正面ゲートに辿り着くと、たった指一本で警備員を従えて、松野に自分の到来を告げさせた。
さらには、女王の謁見室だと呼ばれている応接間にて、女王の椅子の正面となるだろうスツールに腰かけて梨々子達を待っていたのである。
また、飲食に関しては、通常葉子がスタッフを呼ばねば客人に提供される事はない。
それを、梨々子が目にしている少女が手に入れているばかりでなく、紅茶どころか小さなケーキが数種類乗った楕円形の銀の盆まで少女の前に既に並べられ、少女は大人のようにほうっと大きなため息をつきながら紅茶に口を付けているという情景であるのだ。
少女は裂地が緑とベージュの帯模様という大きな背もたれのある椅子にちょこんと座っていたが、ベージュ色の総レースのワンピースに袖がバルーンになっている真っ赤なカーディガンを羽織っている姿がレトロな雰囲気を醸しているのも相まって、彼女が血肉の通っていない陶器の人形のようでもある。
だが、少女が履いている紺色の水玉タイツが気味の悪い黒猫の正面顔が印刷されている物だと気が付いた梨々子は、自分の箪笥にも入っている彼女から貰った変な柄タイツを思い出して頬が緩んだ。
「矢那ちゃん。お久しぶり。あなたのセンスはいつも素敵よね。」
「まぁ、梨々子さん。お褒めに預かって光栄ですわ。それから、勝手に寛いでいる上に座ったままでご挨拶などしてしまって申し訳ございません。でも、あたくし、一時間少しかかった道程に疲れ切っていますの。どうして学校が土曜日も開校するようになったのかしらね。授業数が足りないからと塾通いが当たり前となってから、やっぱり土曜日も、なんて。文部科学省など、子供達を疲弊させるだけの拷問機関だとあたくしは思いますことよ。」
梨々子の祖母はぶっと吹き出し、笑いながら少女の対面となる彼女の指定位置、女王の椅子へと納まった。
梨々子は祖母から見て右側の三人掛けソファに腰かけながら、一緒に欧州を旅行したこともある久美の妹が、ここまで松野葉子の存在感に太刀打ちできる存在感を出せる事に驚いていた。
梨々子にとっての矢那の印象は、面白い話し方をすること以外は普通の女の子であったのだ。
しかし梨々子は欧州旅行を思い出しながら、三人で一緒に出掛けても美術館や自然史博物館で、矢那が子供プログラムに参加したいと消えるので、彼女は矢那とあまり話した事も無いというのが真実かもしれないと気が付いた。
矢那はただの綺麗な子供では無かったのかと、梨々子は不思議な思いだけで彼女を見返した。
肩までの黒髪は絹糸のようにさらさらと揺れ、黒目がちな瞳は二重で大きいが丸いのではなく美しい流線を描いている。
長いまつ毛は目尻にいくごとに長くなっているという不思議なもので、人形のように完璧な形の小作りの鼻や口元と相まって、まつげがパタパタ動いても、生物というよりも作り物か妖精のような印象だ。
だが矢那を見つめているうちに、もしも類いまれな美しさを矢那が持っていないとしても、彼女が矢那である限り、梨々子どころか誰にも太刀打ちの出来ない何かのオーラを発せられるのではないかという気さえしてきた。
今や一国の女王然と構える少女を茫然と眺めていると、少女は梨々子に小首を傾げて見返し、侯爵夫人が取り巻きの少女にするように梨々子に笑いかけた。
「驚かせてごめんあそばせね。大好きな梨々子さんが大事な兄と結婚したくないと言い張られますのが、あたくしのせいではないかと心配で心配で。そこで連絡もせずに駆け付けてしまいましたの。」
「いえ。そのようなことは!」
「はは。そんなはずが無いでしょう。あんたはどう見ても小学生のお子様で、うちの孫が可愛いと思っても、結婚に二の足を踏むような存在では無いでしょう。まぁ、あんたの気性なら、孫をいびろうと思えば簡単にできそうだけどね。」
葉子の返しに矢那は淑女のように左手の甲を口元に当ててコロコロと笑い出したが、その姿は梨々子には絶対にできそうもない女王然としていた。
矢那は十二歳の玄人が殺された九月に受胎した子供なので、誕生月は玄人が十三歳になった七月。
玄人は現在二十二歳だが、彼女の誕生日がその一か月後ということでまだギリギリ八歳です。




