先輩な虜囚
目を開ければ薄ぼんやりとした灰色の世界であり、佐藤は意識を失う前に物凄い風圧に飛ばされたことを思い出し、怪我は無いか一先ず全身を検めた。
怪我一つない事にほっと一息をついて改めて周囲を見回したが、視界がはっきりとすることは無く、世界がボンヤリとしているのは世界が虫眼鏡で巨大化したような風景だったからだと理解するや恐怖にぞっと身を震わせた。
「ここはどこなの!」
慌てて上半身を起こしたのだが、目の前には中肉中背の全裸の男が佐藤の横にかがんで覗き込んでおり、驚きに目を丸くした佐藤は思わず拳を握って腕を引いたが、その男を殴る前に彼は自分の体を隠してしゃがみ込んだ。
「ごめん!俺は服が無いだけだから!何かしようとしたわけじゃないから!」
「うん、本当にそう。ごめん殴っちゃって。痛かった?そんで、さっちゃんが目覚めたから全員は一応は無事って事ね。」
男の隣にしゃがみ込んで佐藤の顔を伺うのは水野で、水野の言葉通り佐藤が周囲を見回すと、巨大に歪んだ木造建築の中には佐藤達と現場検証していた鑑識の三名も頭を抱えて立っていた。
「さっちゃん。この人ね、あたしらの先輩。」
「え?」
「先輩は止めてくださいよ。情けなくなってくる。」
「いや、でもさ、刑事さんでしょう。あたしらより年上だし、先輩じゃん。」
しゃがんでいた男は頭をがくりと下げた。
男の代りに水野が佐藤に説明する事には、彼は佐藤達の前に異世界に飛ばされていた人物だという事だった。
「一年前だってさ。可哀想に。」
「一年も前ですか?」
「えぇ、あなた達が語った日付が嘘でなければ、ですが。俺には一週間も感じていませんでしたが、そんな浦島太郎だったとは、ですよ。」
顔を上げたその男の顔は彫りが深く、全裸の体は中肉中背だが筋肉質ですらりとしており、一言でいえば見栄えのとてもいい男であった。
気が付けば佐藤どころか水野までも男の顔だけを見つめており、それは彼の下半身を見ない振りをする努力でもあり、佐藤達の真っ赤な顔に気が付いた男は恥ずかしそうな真っ赤な顔で自分の名前と境遇を彼女達に伝えた。
島根聡、二十三歳の警視庁の刑事だった。
「恋人と一緒に寝ていたらこんな事になってしまって。戻れたら、パンツは出来る限り手元に置きますよ。」
軽く笑い声を立てようとしたが彼は笑えなかったようで、笑い顔からクシャりと顔を歪ませ、涙の溢れる瞳で下半身だけの死体に視線を動かした。
水野はその視線の先の下半身に対して同情したように眉根を顰めたが、自分の着ていた上着を脱いでかけた相手は遺体の方ではなく不幸な先輩刑事にであった。
「小さいけどさ、服があった方がちっとは落ち着くかなってね。」
「ありがとう。」
彼は水野の上着をそれは宝物を貰ったかのように喜び、そんな青年のいじらしい姿を見ても佐藤達と一緒に異世界に飛ばされた鑑識の三人の男達が、誰一人として自分の青いツナギを脱いで渡す気が無い事に佐藤は気付いた。
男達の振る舞いが癇に障った佐藤は、おもむろに立ち上がるや鑑識の男達を睨みつけた。
ダンっと、片足を打ち付けて大きな音も出したからか、男達は一斉に佐藤に注目し、そして上司の楊が新米刑事の佐藤に慮る理由を、彼らはこの一瞬で理解したのである。
佐藤の目線は殺気しか放っておらず、その殺気は彼女に異を唱えようなら、確実に彼女によって地獄を見せられると語っているのだ。
青ツナギの若い男ともう一人は脂汗を流すばかりで佐藤の様子に硬直し、青ツナギ三人の中で唯一今の佐藤に対して動けた男、鑑識主任よりも横柄だと有名な副主任だが、彼が出せたのは上ずった声だけだった。
「あ、あの?あの、どうしました?佐藤さん?」
「うわぁ、若さんが敬語だよ。流石さっちゃん。」
せっかく自分が作り上げた恐怖の緊張感を水野が台無しにしたと、佐藤は水野をひと睨みしてから、再び男達に向き直った。
彼女自身男達に憤懣やるかたないのは本当だが、どうしようもない状態に陥っている自分を保てる目的を与えてくれた男達にも感謝はしていた。
無力な状態への鬱憤を彼等で晴らせると。
佐藤はふふふと低い笑い声で喉を鳴らすと、彼女に脅えている三人組へと一歩前へ踏み出した。
もちろん彼女に脅える三人組は二歩後ろへと下がった。
「お前らさぁ、困っている奴に対してシャツ一つ手渡せないのかよ。」
「いや、だってこんな世界でむやみに服が脱げますか!」
「うるせぇ。脱げよ。」
男達はひいっと小さく悲鳴を上げ、全員が佐藤に脱がされないように両腕で自分を抱きしめながらその場にしゃがんだ。
「てめぇら。」
「はは、さっちゃんたら優しい。構わず脱がしちゃえばいいじゃん。さぁて、誰から脱がそうかねぇ。」
佐藤は楊が玄人の頭を叩いてしまう気持ちを初めて理解した。
今の佐藤も水野の頭を叩いてやりたい気持ちなのである。
せっかく作った場を壊しやがって、と。
「……自主的なものを期待して五秒だけでも待とうか。」
とりあえず、佐藤は出来る限りの冷たい声を出した。




