隠していた剣
次の瞬間、レーヴが爆発的な踏み込みで地を蹴った。
「───っ!?」
速い。
誰より先に前線を維持していたユリウスですら一瞬、網膜がその動きを捉えきれず反応が遅れるほど。
侵食の防衛反応か、通路の四方八方から黒結晶の槍が一斉に突き出す。
だが、レーヴは止まらない。
最小限の予備動作でそれらを躱し、時に剣の腹で受け流して軌道を逸らしながら、弾丸のように一直線に奥へ駆け抜ける。
「何だあの動き……!」
騎士の一人が、戦慄を隠せず息を呑む。
無駄がない。
洗練されすぎている。
それは流浪の冒険者が独学で身につけるような泥臭い類のものではなく、血に塗れた最前線の戦場で、一撃必殺を是として磨き上げられた純然たる殺人技術だった。
ミレアナは衝撃に目を見開いていた。
これまで何度もレーヴの超人的な強さは見てきた。
だが、今の彼はまるで違う。
軽薄さも、遊びもない。
纏う空気そのものが、氷のような鋭利さを伴って変質していた。
「……軍式だ」
ユリウスが低く、絞り出すように呟く。
「しかも、王都の中央騎士団でも見ない系統だ。あれは───」
ルーファスの視線が、獲物を検分するように鋭く細まる。
「やはり、ただの冒険者ではありませんね」
一行の動揺をあざ笑うかのように、黒結晶が再び膨張した。
通路全体を完全に埋め尽くす勢いで、無数の棘がレーヴへと殺到する。
「レーヴ!!」
ミレアナが思わず悲鳴に近い声を上げる。
だが、彼は振り返らない。
閃光が走った。
瞬間、轟音と共に進路を塞いでいた巨大な結晶塊がまとめて砕け散った。
爆ぜた黒い破片が死の雨となって通路に飛び散る。
「ほう」
クラウスが感嘆の声を上げる。
「今の一撃、魔法も使わずに物理のみで割ったのですかね」
「……魔力圧縮ですね。それも超高密度の」
ルーファスが目を見開く。
あの常に冷静な男が、隠しきれない動揺を露わにしていた。
一方で、レーヴ本人は苛立ったように舌打ちをしていた。
「硬っ……! 嫌がらせかよ、これ」
まだ冗談を言う余裕はある。
なのにミレアナの胸はざわざわと騒ぎ続けていた。
危険だ。
理由は説明できないけれど、今彼は何かを削りながら、途方もない無茶をしている。
「ミレアナ様!」
リオネルの声で、ミレアナは即座に意識を切り替えた。
今すべきことは、彼の背中を支えることだ。
術式の幾何学模様を見据える。
深層の魔力の流れを読む。
結晶の増殖方向、そして核から全域へと供給される魔力の脈動。
───見つけた。
「右側三時方向!」
鋭く声を飛ばす。
「壁の亀裂の中に接続点がある! そこを断てば術式の循環が鈍るわ!」
「了解!」
応じる声と同時に、レーヴが壁面へと飛び込む。
黒槍が彼の喉元を掠める。
だが彼は空中であり得ないほど身体を捻り、紙一重の差でそれを躱しきった。
「……何なんだ、あの身体能力」
騎士の誰かが呆然と呟く。
ミレアナも激しく同意したかった。
あれは、日々の訓練だけで届く領域ではない。
レーヴは迷いなく、ミレアナが示した急所へありったけの力を込めて剣を叩き込む。
───ギィィィィィン!!
空間を震わせる甲高い打突音。
次の瞬間、猛威を振るっていた結晶の増殖がぴたりと一瞬停止した。
「止まったか!?」
「いえ、術式循環が乱れただけです! 今なら核への直進が可能です!」
ルーファスが即座に解析結果を吠える。
「っしゃ、行くぞ!」
レーヴが不敵に笑う。
だがその時だった。
通路の奥、最深部の闇が心臓のように不気味に大きく脈打った。
ぞわりと冷たい氷の指で背筋をなぞられたような、極限の悪寒が全員を襲う。
「……何、これ」
ミレアナが目を凝らす。
暗闇の奥、黒い結晶の繭の中から何かがゆっくりと“立ち上がった”。
人影。
いや、かつて人だった「何か」だ。
全身を黒結晶に貫かれ侵食され尽くしながら、ゆっくりと顔を上げる。
血のように赤い双眸だけが、暗闇の中で異様に輝いていた。
「第二変異体……!?」
ルーファスが息を呑む。
「あり得ない……この短期間でこれほどの進化を……!」
化け物はぎちり、と不自然な角度で首を傾けた。
そして、笑った。
口角が耳の近くまで裂けるほど、歪に。
「───逃げ……ろ……」
掠れた、断片的な言葉。
理性が僅かに残っているという事実が、かえってその惨状を恐ろしく見せた。
次の瞬間、化け物の右腕が爆発的に膨張する。
「下がれ!! 全員退避だ!!」
ユリウスが叫ぶ。
だが遅い。
黒結晶の奔流が、通路ごとすべてを飲み込む勢いで放たれた。
轟音、衝撃。
視界が真っ黒な魔力の濁流に染まる。
「ミレアナ!!」
レーヴの叫び声。
その直後、強い力で身体を引き寄せられた。
「っ……!」
激しい振動が収まったとき、ミレアナはレーヴの腕の中にいた。
彼はミレアナを押し包むように背中で爆風を受け止め、彼女を庇っていたのだ。
背後で破片が飛散する音が響く。
なのに、彼は決して腕を解かない。
「……レーヴ!」
「怪我は!? どこか打ってないか!?」
真っ先に飛んできたのは、自分ではなくミレアナを案じる声だった。
ミレアナは一瞬言葉を失う。
この極限状態で、この男はいつだって自分より先に他人を優先する。
その不器用な優しさが、無性に胸の奥に刺さった。
「私は……平気よ。貴方こそ……」
「良かった。アンタが無事なら何でもいいよ」
心の底から安堵したような、柔らかな表情。
その瞬間ミレアナの心臓が大きく跳ねた。
近い。
彼の呼気が髪に触れそうなほどの距離。
伝わってくる体温、自分を守るために込められた腕の力。
「……っ」
ミレアナの耳朶が、みるみるうちに熱くなっていく。
一方で。
「レーヴ」
背後から低く、地這うようなリオネルの声が静かに響いた。
静かなのに、先ほどの化け物より恐ろしい。
「いつまで、お嬢様に触れているつもりだ」
「あっ」
レーヴが弾かれたようにミレアナを離した。
「いや、これは今のは不可抗力! 緊急避難だから!」
「ほう。緊急避難、か」
「その“ほう”はやめろよ、怖いって!」
だがそんな軽口の最中も。
ミレアナの鼓動だけはいつまでも速いまま、静まるところを知らなかった。




