胡散臭い男
辺境都市ボーデンへ到着したのは、空が燃えるような朱に染まる夕暮れ時だった。
天を突くほどに巨大な城壁。
風に舞い上がる乾いた土埃。
そして、どこからか漂ってくる研がれた鉄の匂い。
重厚な門を潜り抜けた瞬間、王都のそれとはまるで違う熱気が濁流のように押し寄せてきた。
遠くで響く荒っぽい怒鳴り声、下品な笑い声、鼻を突く安酒の匂い。
腰に無造作な武器を帯びた男たちが大股で通り過ぎ、荷馬車が乱暴に石畳を鳴らして駆け抜けていく。
整然として、すべてが計算し尽くされた王都とは違う。
ここは雑多で荒っぽくて、何より「生きる」という力が剥き出しになった街だった。
「……賑やかね」
馬車を降りたミレアナが、静かに周囲を見渡す。
「『騒がしい』の間違いです」
背後に控えるリオネルが一分の隙もない口調で即答した。
「嫌いなの?」
「治安が終わっています。呼吸をするだけで喉が汚れそうだ」
「それは否定しないわ」
軽口を叩き合ってはいるが、既に周囲からの視線は突き刺さるように鋭かった。
無理もない。
漆黒の長髪に、透けるような白い肌。
そして凛とした気品と人を惑わせるような妖艶さを同居させたミレアナの美貌は、この埃っぽい辺境都市においてあまりにも異質で、場違いだった。
「すげぇ美人だな……」
「貴族か?なんでこんな掃き溜めに」
あちこちから遠慮のないひそひそ声が飛んでくる。
リオネルの瞳が、急速に温度を失っていくのがわかった。
「鬱陶しいですね。少し、静かにさせましょうか」
「やめなさい」
「まだ何もしていません」
「“まだ”って言ったわね、貴方」
この護衛は本当にやりかねない。
ミレアナは小さく息を吐き、状況を立て直した。
「まずはギルドへ行きましょう」
「宿ではなく?」
「情報収集を優先したいの。この街で生きるなら、まずはその空気を知る必要があるわ」
それが、彼女なりの合理的な判断だった。
リオネルは無言で頷き、二人は街の心臓部である冒険者ギルドへと足を踏み入れた。
ギルドの内部は、想像を絶する喧騒に包まれていた。
酒場と一体化しているらしく、笑い声、怒号、椅子を引きずる騒音。
荒事の気配が充満している。
ミレアナが中へ一歩入った瞬間、ざわりと空気が波打った。
何十人もの荒くれ者たちの視線が一斉に彼女へと集中する。
ミレアナは動じず、静かに周囲を観察した。
出入り口は二箇所。
酔客が多数。
武装率が極めて高く、受付は四つ。
瞬時に状況を整理し終えた彼女の耳に、妙に軽い男の声が届いた。
「ちょっ、おま、離して!痛い痛い!」
見れば、受付の奥で一人の男が女性職員に耳を引っ張り上げられていた。
「依頼をサボったでしょうが!このろくでなし!」
「いや違うって!ちゃんと行くつもりだったんだよ!」
「三日も遅れて!?何してたのよ!」
「ほら、色々と大人の事情が……」
「女でしょう!」
「違うから!」
ギルド内にドッと笑いが起きる。
ミレアナは少しだけ瞬きをした。
……何をしているのだろう、あの人たちは。
「最低ですね」
リオネルの冷徹な声が降ってくる。
「そうね。同意しかできないわ」
その時だった。
耳を引っ張られていた男がふと顔を上げた。
視線が、真っ向からぶつかる。
柔らかくウェーブのかかった銀髪。
気怠げな双眸。
ぞっとするほど整った顔立ち。
そして人の理性を狂わせるような、底知れない色香を纏った男だった。
男はぱちりと瞬きをし、口を半開きにした。
「……うわ」
間の抜けた声が漏れる。
「すっごい美人。天女か何か?」
「現実逃避してないでこっちを見なさい!」
受付嬢がさらに耳を強く引き絞り、男は「痛!」と絶叫した。
周囲から再び爆笑が巻き起こる。
男は「いや、でも見るだろこんなん」とぶつぶつ文句を言いながら、再びミレアナを見た。
そしてほんの一瞬だけ、その目から軽薄な色が消えた。
「……へぇ」
空気が変わった。
ほんの僅か、コンマ数秒の出来事。
だが、ミレアナの瞳は鋭く細められた。
───恐らく彼は、強い。
直感が警笛を鳴らす。
並大抵の強さではない。
リオネルも気付いたのだろう。
その全身から、刺すような殺気が僅かに漏れ出した。
だが男は、次の瞬間にはまたへらりと締まりのない笑みを浮かべていた。
「初めまして、お嬢さん」
耳を引っ張られた不格好な体勢のまま、片手をひらひらと振る。
「観光?それともお忍びの家出?」
「違うわ」
「へぇ。じゃあ仕事探し?」
「そんなところよ」
「ふーん」
男はじっとミレアナを観察する。
視線は軽薄そのものなのに、その奥にある眼光は驚くほど鋭利だった。
「……なんか変だな」
「何が」
「普通、その見た目ならもっとこう“お姫様”っぽく取り乱したり、不快そうにしたりするもんじゃない?随分と落ち着いてるね」
「意味が分からないわ。見ず知らずの初対面の相手に、いちいち感情を動かす理由がないもの」
男は虚を突かれたように目を丸くした。
それから、腹を抱えて吹き出した。
「あっはは!なにそれ、最高」
心底楽しそうに男は笑う。
「アンタ、面白いなぁ。気に入ったよ」
「……理解不能だわ」
「ひどいなぁ、つれないねぇ」
どこまでも軽い。
だがミレアナは、この男に奇妙な違和感を覚えていた。
距離感がおかしいのだ。
初対面なのにずかずかと懐に入ってくる。
けれど、本当の意味では一歩も内側に踏み込ませない。
表面だけを器用に滑っていくような不気味さ。
「レーヴ・ヴェルク」
男は自慢げに名乗った。
「見ての通り、しがない貧乏冒険者でーす」
「信用できない」
リオネルの即答にレーヴは仰天した顔をする。
「えぇ、即答?少しは迷ってよ」
「胡散臭すぎる」
「偏見だなぁ」
「事実だ」
レーヴは大袈裟に肩を落とし「お兄さん傷付いちゃう」とこぼしたが、その瞳は微塵も傷付いてなどいなかった。
だが、その直後だった。
ギルドの奥で一人の男がギラリと光るナイフを抜いた。
「っざけんじゃねえ!!」
酒に呑まれた男が暴れ出したのだ。
周囲が騒然とし悲鳴が上がる。
男の腕が振り上げられ、その先には怯える受付嬢がいた。
ミレアナが反射的に動こうとした、その瞬間。
「危な」
気の抜けた声。
次の瞬間には、レーヴの姿が受付の向こう側から消えていた。
速い。
視認すら困難なほどの踏み込み。
気付けば暴れていた男は床に転がされており、レーヴの指先では先ほどのナイフが独楽のようにくるくると回されていた。
「酒癖わるいねー。育ち悪いのバレちゃうよ?」
さっきまでと同じ緊張感の欠片もない声。
なのに、ギルド内の空気だけが静まり返っていた。
全員が理解したのだ。
今目の前で何が起きたのかを。
ミレアナは静かにレーヴを見つめた。
男は再びへらりと笑い、ナイフを机に突き立てた。
「ほら、危ないからさ。お嬢さんは俺の後ろに隠れてなよ」
まるで茶でも淹れるのと同じくらい何でもないことのように、彼は言ってみせた。




