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森へ

結局ミレアナはレーヴに同行を依頼した。掴みどころのない男ではあるが、初めての土地でリオネルと二人だけで行動するリスクはやはり高い。レーヴの不確かさを差し引いてもメリットの方が大きいと考えた結果だった。


リオネルはなおも納得のいかない顔をしていたが、ミレアナは気にしないことにした。小さく息を吐いて気持ちを切り替える。


「それで、レーヴ。依頼内容は何がお勧めなの?」


「西の森の調査かなー。最近ゴブリンが増えてんだよね」


「討伐ではなく?」


「そ、群れの規模確認優先。下手に刺激すると面倒だから」


その言葉にミレアナの大きな双眸が鋭くなる。ゴブリン自体は低級魔物だが、彼らは群れることで真価を発揮する。そして増殖も早い。放置すれば周辺の村へ甚大な被害が出るだろう。


難易度、危険度、緊急度。初心者向けの依頼として勧めるレーヴの判断は妥当だと思えた。


「では向かいましょう」


「切り替え早」


「無駄な時間は好まないの」


「真面目ぇ」


レーヴが笑いながら歩き出す。その後ろ姿を見ながら、ミレアナは静かに目を細めた。


一見、無防備に見える。だが実際は逆だ。歩き方、重心、視線。すべてに隙がなかった。


冒険者だからと言えばそれまでだが、かなり戦い慣れているように見える。けれどそれは、リオネルの持つ強さの雰囲気とはまた違う類のようにも思えた。




西の森はボーデンから歩いて一時間ほどだった。木々が鬱蒼と生い茂り、昼間だというのに光を遮るほどに薄暗い。


「お嬢様、こちらへ」


リオネルが枝を払いながら進む。ミレアナは静かに周囲を観察した。足跡、折れた枝、土の荒れ。ゴブリンの痕跡を探る。


「……確かに多いわね」


「分かるんだ?」


隣からレーヴがひょいと覗き込んでくる。


「これだけ痕跡が多ければ嫌でも気づくでしょう。繁殖期の移動かしら」


「へぇ」


感心したように笑うレーヴの顔が驚くほど近い。


「近いわ」


「んー? そう?」


「そうよ。……離れて」


王都では婚約者以外の異性がこんなにも近くにいることはまずありえない。ミレアナはその距離感に戸惑う。しかしレーヴが離れる気配はなく、自分から物理的距離を置こうとした。ちょうどその時だった。


がさりと茂みが大きく揺れる音と同時にリオネルの剣が鞘から滑り出る。茂みから飛び出してきたのは、緑色の皮膚を持つ小型の影。ゴブリンだ。一体ではない。後ろに続く気配がいくつもあった。


「多いなぁ」


レーヴが呟く。声音は軽いが、その瞳は笑っていない。ミレアナは指先で短剣の重みを確かめた。


王宮では不要だった感触。だが、幼少期からリオネルに叩き込まれた動きは彼女の細胞一つひとつに刻み込まれている。


ゴブリンが咆哮とともに飛びかかってきた次の瞬間、ミレアナは身体を低く沈ませた。地を滑るように鋭く踏み込み、一撃で迷いなく喉を裂く。そして噴き出す血飛沫を浴びる間もなく、二体目へ向かう。


華やかさも慈悲もない。ただ急所のみを穿つ、生き残るためだけに研ぎ澄まされた動き。レーヴの目がわずかに見開かれた。


「……は?」


「レーヴ、左後方」


「おっと」


ミレアナの指示に合わせ、レーヴが身を翻す。レーヴはまるで遊びのような軽い動きでゴブリンの額に、剣を深く突き刺した。


ミレアナはそれを確認するとそのまま地面を蹴った。群れの中央へ自ら突っ込んでいく。リオネルが叫ぶ声が聞こえてきたが、彼女は止まらなかった。


先に核を潰すべきだという合理的判断ゆえの行動だった。短剣が閃き、返り血が磁器のような白肌へ散っていく。


しかしその時、彼女の死角から別の個体が跳び上がる。今の体勢では回避は間に合わない。彼女は背中の肉を切られる覚悟をした。


「っ、ミレアナ!!」


次の瞬間、銀髪が風を裂いた。凄まじい速度で間を詰めたレーヴがゴブリンを斬り捨てる。最後の一体は仕留め損ねて逃げ出してしまった。




森に重苦しい静寂が戻る。ミレアナは息を整え、頬に散った血を拭うこともなく前を見た。


「……終わったわね」


淡々と告げるミレアナに、レーヴが無言で近付いてくる。彼は笑っていなかった。


「アンタさ、自分を危険に突っ込む癖でもあんの?」


「……状況的にあれが最も効率的だったもの。必要だったわ」


「必要なら、死んでもいいって?」


「死ぬつもりはなかったわ。背中を切られるだけで済ませられたはずだもの」


「そういう話をしてんじゃねぇんだよ!」


その剣幕にミレアナは言葉を失った。怒りだけではない。その顔は苦しそうにも見えた。先ほどまで飄々としていた男と同一人物であるとは思えない表情に、ミレアナは喉を上下させる。


「自分を捨て駒にするような奴。……見てると吐き気がする」


ミレアナが何も言えずにいると、レーヴは数秒だけ視線を伏せ、それから無理やり作るような笑みを浮かべた。


「ま、無事ならいいけどさ。お兄さん、寿命が縮んだわ」


そう言って、動かなくなったゴブリンの死体を爪先で蹴るレーヴを見ながらミレアナは唇を噛んでいた。


なぜ彼は怒ったのか。被害を最小限に抑えつつ群れを崩す判断は正しかったはずだ。危険はあったかもしれないが、結果として誰も傷ついていない。成功した作戦になぜ不満を抱く必要があるのか。ミレアナは理解できずにいた。


「てかこれ、群れ多すぎんだろこれ。ただの繁殖期じゃねーぞ」


「……奥に巣があるかもしれないな」


リオネルが周囲の血の臭いを警戒しながら言う。


「この数なら可能性は高いわね」


「アンタらは帰る?この先は危険度上がるけど。初心者にはちょっと刺激が強すぎるかもよ?」


「調査依頼でしょう。中途半端な報告はかえって現場を混乱させるわ」


迷いなくそう言い切るミレアナにレーヴは呆れたように肩を竦め、少し小馬鹿にしたような顔で口を開いた。


「へぇ?普通怖がるとこじゃない? 死にかけたばっかなんだし」


「事実確認は必要よ。それに死にかけてなんかいないわ」


「……アンタ頭のネジが数本飛んでるか、最初から付いてないかのどっちかだね」


「貴方には言われたくないわ。朝食代も払えないのに」


するとレーヴが吹き出した。重苦しかった空気がわずかに弛緩する。


「それは違いないわ。じゃ、行きますか」


レーヴは怒りが落ち着いたのか軽い声でそう言うと、鼻歌を歌いながら歩き出した。


しかし奥へ進むほど空気は淀んでいった。悪臭が鼻を突くようになってくる。湿った腐葉土の臭い、獣臭。そして木の根元には赤黒い染みがあった。


「……血?」


ミレアナが小さく呟く。リオネルが素早くしゃがみ込み、指先で土を確かめる。


「人間です。かなり新しい。……数時間前というところでしょうか」


「冒険者かな。……いや、にしては抵抗した跡が少なすぎる」


レーヴの声音から軽さが消えた。周囲を調べていたミレアナはふとある異変に気づき、動きを止めた。


「……静かすぎるわね」


鳥の声がない。虫の音すら聞こえない。森全体が巨大な捕食者の口の中に収まってしまったかのような、嫌な沈黙。本能がかつてない強さで警鐘を鳴らした。


「下がって!」


ミレアナの鋭い制止と同時だった。目の前の地面が爆発したかのように爆ぜた。土煙を撒き散らしながら、岩塊のような巨躯が飛び出してくる。


「っ、グレイブボア!?……デカすぎんだろ!」


レーヴが舌打ちした。通常種より二回りは大きく、その目は狂気に染まったように赤い。明らかに異常個体だ。グレイブボアはその巨体からは想像もつかない速度で突進してくる。


「調査依頼で出るサイズじゃねぇだろ!ギルドの連中、計算ミスにも程があるっつーの!」


レーヴが叫びながら剣を抜く。だがその目は一分も逸らさず、魔物の次の挙動を捉えていた。


「リオネル、足を止めて。正面を頼むわ」


「御意」


阿吽の呼吸でリオネルが前へ出る。鋼の衝突音が響き火花が散り、巨体がわずかに揺らいだ。そこへレーヴが風のような速さで死角へ滑り込む。


「硬っ……!」


皮膚が硬く、レーヴの刃ですら表面を削るに留まった。グレイブボアが激昂し、さらに激しい咆哮を上げる。


ミレアナは静かに観察していた。普通に体を斬れば硬くて弾かれてしまう。このままでは消耗戦になりり、こちら側の体力が先に尽きてしまう恐れがある。けれど、グレイブボアは跳躍の瞬間首周辺の筋肉が露出していた。――首は比較的皮が薄いはずだ。


「レーヴ、下がって。私がやるわ」


「は?」


次の瞬間ミレアナが駆けた。横からでも後ろからでもない。突進してくる巨体の、真正面。普通なら確実に轢き殺される死の位置へ。


「お嬢様!!」


リオネルは絶叫したがミレアナは止まらない。視界一杯に迫る、巨大な角と赤い瞳。


衝突の寸前で彼女は身を捻った。紙一重で頬をかすめる熱風を感じながら、彼女の短剣がグレイブボアの首元へ吸い込まれる。深く、正確に。


血が噴き出す。グレイブボアが絶叫を上げ、崩れ落ちていく。倒れ込む巨体がミレアナの華奢な体を押し潰そうとしたその時、乱暴に腕を掴まれた。


「馬鹿か、アンタは!!」


レーヴだった。引き寄せられた衝撃で、ミレアナの背中が彼の胸板に強く当たる。


直後轟音と共に巨体が地面に沈み、大量の土煙が舞い上がった。


静寂が流れる中、ミレアナはレーヴに抱きすくめられたままゆっくりと瞬きをした。


近い。レーヴの激しい鼓動と、荒い吐息が耳元で聞こえる。彼は珍しく余裕の欠片もない顔をしていた。


「……マジで何なの。死ぬ気か? 英雄にでもなりたいわけ?」


「……違うわ。これが最も確実で、早い方法だったから」


「違わねぇよ。一歩間違えば、アンタ今頃肉塊だったんだぞ」


レーヴの手に痛いほどの力が入る。そのまま数秒彼はミレアナを睨みつけるように見下ろした。そしてやがて、諦めたように深く重い溜息を吐いた。


「……頼むからさぁ」


低い、祈るような掠れた声だった。


「自分のこと、もうちょい大事にしてよ」

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