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違和感の正体

西の森の異変。

その衝撃的な報告は半日もしないうちにボーデンの隅々まで広まった。

酒場の片隅でも活気ある市場でも、そして冒険者たちが集うギルドの喧騒の中でも。

誰もがその不気味な足音について語り合っている。


「浅瀬でグレイブボアが出るなんて、冗談じゃねぇ」

「群れごと移動してきてんのか? 森の奥で何が起きてるんだよ」

「スタンピードの前兆じゃなきゃいいんだが……」


不穏な空気。

街全体が見えない真綿で首を絞められるように、じわじわと緊張を高めていた。

そして、ギルド調査隊出発の朝。


「人が多いわね。まるで、これから戦争にでも向かうようだわ」


ミレアナが静かに、けれど冷静に呟く。

ギルドの前には既に武装した冒険者たちが数十名集まっていた。

鈍く光る剣、使い古された革鎧、荒っぽい怒号。

その血の匂いが漂う熱気の中で、ミレアナの存在は異様に際立っていた。

漆黒の長髪、透き通るような白い肌。

辺境の荒野にはあまりに不釣り合いな、洗練された美貌。

だが今の彼女の腰には、抜き身の殺気を秘めた短剣がある。

それだけで、彼女を見る周囲の目は数日前とは明らかに違っていた。


「おい、嬢ちゃん。本当に行くのかよ」

「例の新入りだろ? お嬢様が魔物の巣窟で何ができるんだ」

「足手纏いにならないといいがな……」


混じり合うひそひそ声。

だが、その中の一人が低い声で言った。


「……おい、馬鹿。やめとけ。この前の西の森で、あのデカブツの急所を一撃で抜いたのは、あの黒髪の嬢ちゃんらだぞ」


空気が一変する。


「マジか?」

「嘘だろ。あの体でか?」


疑い、警戒、そして隠しきれない興味。

多くの視線が彼女を射抜くが、ミレアナは特に気にした様子もなくただ淡々と装備の最終点検を行っていた。


「おっはよー。みんな、朝から元気だねぇ」


間延びした声が響く。

レーヴだ。

銀髪を無造作に結び片手をひらひらと振って現れた彼は、これから死地へ向かうとは思えないほど緊張感の欠片もなかった。

なのに……不思議なことに。

彼が現れた瞬間、冒険者たちの間に張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。


「遅い」


リオネルが冷たく温度のない声で言う。


「まだ集合時間前じゃん。堅苦しいなぁ」

「五分前行動は基本だ。貴様には規律という言葉がないのか」

「真面目ぇ。そんなに怒ると老けるよ?」


レーヴが笑い、ごく自然にミレアナの隣に並んだ。

本当にこの男は距離感がおかしい。


「眠れた? 初めての遠征調査でお肌が荒れちゃってない?」

「普通に。睡眠不足は判断力を鈍らせるもの。貴方は?」

「俺? いやぁ昨日の肉が美味くてさ。ちょっと飲みすぎちゃった」

「最悪のコンディションで調査に臨むつもりかしら」

「辛辣だなぁ。お兄さん傷ついちゃう」


へらへらと笑うレーヴ。

だがミレアナの瞳は騙されなかった。

彼女は彼を横目で静かに観察する。

酒が残っている気配など微塵もない。

歩き方は流れるように静かで呼吸の乱れ一つない。

何より、その視線は冗談を言いながらも絶えず周囲の「殺気」と「変化」を捉え続けている。

(……やっぱり変だわ、この男)


「……何?」

「貴方、どこまでが本当なの?」


ミレアナの問いに、レーヴの動きがほんの一瞬だけ止まった。

その刹那、瞳に宿っていたいつもの陽気さが消え、底の知れない虚無が顔を出した。


「んー。どこだろうねぇ」


冗談めかした、曖昧な答え。

けれどミレアナは何故か、その一言に胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

踏み込ませない。

誰に対しても、自分自身の核心に触れさせない。

それは、かつて王宮で孤独を飼いならしていた彼女自身の防衛本能に近いものだった。


「お前ら。集まれ」


ギルドマスターのバッシュが現れ、周囲が静まり返った。


「今回の目的は討伐じゃねぇ。森の異常の根源を突き止めることだ」


隻眼が鋭く全員を射抜く。


「妙だと思ったら、即撤退しろ。命を捨てるのが冒険者の仕事じゃねぇぞ。特に───」


バッシュの視線がミレアナで止まる。


「───無茶しそうな奴は、肝に銘じておけ」

「……心外だわ。私はいつだって最も安全で効率的な道を選んでいるだけよ」

「説得力ゼロです、お嬢様。これまでの行動を振り返ってください」


リオネルの即答にレーヴまでが吹き出した。


「ははは! ほら、もうギルドマスターにも見透かされてんじゃん。アンタ、自分の無茶を『普通』だと思ってるのが一番危ういんだよ」

「何故なの。私はただ……」


本気で理解できない、といった風に首を傾げるミレアナ。

するとレーヴが小さく笑った。

いつもの嘲笑でも道化た笑いでもない。

春の陽だまりのような少しだけ困ったような、優しい笑み。


「ほんっと。……放っとけないなぁ、アンタは」


その声に。

何故だろう。

合理的には説明のつかない、熱のようなものがミレアナの胸をかすめた。

王宮では、誰も彼女を「放っておけない」などと言わなかった。

完璧であらねばならず一人で立てるからこそ、誰からも手を差し伸べられなかった。

初めて感じる、誰かに「危うい」と思われることへの、奇妙なざわつき。

それを抱えたまま、ミレアナは深い森へと歩き出した。

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