辺境の地 ニヴェリア 4
翌朝、クレージュは三階の一室に居た。
そこはジュンを手伝っていた頃に使用していた部屋で、未だふらりと立ち寄った時のために空けてくれている一部屋だ。
窓から晴れた日の輝く雪を眺めた後、俯いて手で目を覆う。
「眩しい・・・」
そうだった。雪国は反射する雪が手伝ってとても眩しいんだったと思い出す。
学んだはずなのに、しばらく離れていると綺麗なのでつい集中して眺めてしまう。
『またやったのか、いい加減覚えろよ』笑って頭を撫でられた記憶がふと蘇る。王族らしくない、剣士の大きな手の平だ。
「レオンはちゃんと大人の見た目だったのに、俺ももう少し育って欲しかったよなぁ」
スカイゲートの先王、レオンハルトの立ち姿を思い出す。世間では王としての印象が強いが、その前は大剣を使う剣士だった。幼い頃から最高位の魔法使いの守護剣士を目指していた彼は、鍛錬を欠かさなかったため、剣士としての実力は国の部隊の専門職にも引けを取らなかった。
それに加えて彼には精霊の力もあった。
レオンハルトの力は雷だった。深い夏空の空のような紺碧の髪を持つ空の王が、雷の大剣を構えた姿は今も鮮烈に覚えている。
謙虚で私欲もない彼は王座についても役目を果たした。
精霊の力があった過程で王になったが元は一般人だ。不慣れなことは部下を信頼し仕事を任せたていたが、必要な時には自らが苦渋の決断をしてみせた。
その陰で時間を惜しんで知識を取り入れている努力もクレージュは知っている。
それに比べて自分ときたら、背は低いし幼稚だし細いし不真面目だし、比べ物にならない。鍛えればいいのではと思った事は何度もあるが、日々の鍛錬ではそこまで体に変化はなかったし、そもそも一つのことに日々何時間も打ち込んで繰り返し努力するという事が大の苦手だ。
そんな自分を横に立たせてくれた彼は自分に出来ないことを出来るのが羨ましいとクレージュに言った事があった。それは性格の事か当時の現状の事か、どちらを指してかはわからないが、実際彼は融通がきかない真面目さを持っていたので、そこはクレージュが柔軟に動く事で上手くいく事もあった。
もしかしたら最高位の魔法使いの守護という立場も、彼がやりたかったのかもしれない。
当時、クレージュは忙しく世界を飛び回りながら数多くの事をこなしていたが、それは彼が与えてくれた適任の仕事割だった。
「・・・遠いよなぁ」
透き通るような冬の青空を仰いで溜息を吐く。
あの色は元の自分の髪色が良く例えられた色だ。
思いが込められた呼気が、白く立ち上り消えてゆく。
この変化を初めて見た時、まるで大気が姿を持ったみたいでクレージュにとっては心躍る現象だった、はずだ。
クレージュの力は”風”だ。それは通常、分かりやすい形や色を成さない。雪を見れば白、森を見れば緑、空を見れば青や灰色、そこそこで姿と色を変える。それが一瞬でも姿をもったように感じたのが嬉しかったーーーと感じたように薄ら記憶しているが、実際はどうだったか遠い記憶すぎてしっかり覚えていない。
過去の記憶が薄れてしまう。当たり前のこの現象が、今のクレージュには一番怖い事だった。
ずっと覚えていられたらいいのに、その中で生きていられたらいいのに、時間など止まればいいのに。
そう思って、止まった時の中にいる自分の状況を思い出すのだ。そして近しい人には絶対にこんな思いはしてほしくないと思い巡って気持ちが今に戻ってくる。
(まぁ寿命があるわけだし、生物としての変化はあるんだろうけど…)
眺めた自分の手を握ったり開いたりしながら、考えてしまう。
レオンハルトは髪色が数日で急激に変化して、半年程で逝ってしまった。
髪色以外に見た目の変化がないまま、ちょうど良いと王位を譲った後、ある朝、目を覚まさなかった。
眠ったままの穏やかな表情だと誰もが言ったが、クレージュには分からなかった。
ただ心に例えようの無い思いが生まれた。例えるなら黒いインクの溜まりが出現した気持ちだった。
それは、今も消えてくれない。こんな黒いものをいつまでも抱えている訳にはいかなのに。
レオンハルトの死は、クレージュにいつか命が消えるのだという事を知らしめた。
だから自分の髪色に変化が見えた時は驚いたが、ゆっくり二年程かけて、ほぼ白だか銀色になった。
すぐに命が消えるのかと思ったが、その後も変化なく生きている。
今のところ精霊の力も変化はない…はずだが最近は強い魔物と戦う事もないので真実はわからない。
クレージュは、いつの間にか丸めていた背を正した。目を閉じて深く長い呼吸に集中すると、風が音を運んでくる。
館で働く人々の忙しく動く音、町で挨拶を交わす声、人が雪を踏む音、鳥の声、森の葉が擦れる音、その奥で小競り合いをする小動物の気配、さらに奥の獣たちの気配、館裏から続く鉱山で働く人々の気配。
クレージュは生きる者達の音を聞くのが好きだった。気候の変化が近いなら、その情報も風に乗って流れてくる。
そのままずっと深く集中していると、大気に溶け込めるような、そんな気分になる。
(・・・ああ、誰か来るな)
足音を認めて、クレージュは静かに瞼を開いた。ドアを振り返って少し待つとノックの音が部屋に響く。
「どうぞ」
入室を許可すると入ってきたのは館の執事長だった。白髪の男性は、ジュンが伯爵になってしばらく後にこの館に着任した。数年後には老齢期を迎える、温和だが仕事には厳しい人物だ。
着衣は深緑のベスト、その上に法衣という、わかりやすい中立を示している。別の領主に仕えていた経験があるので、仕事振りはなかなかのものだ。
「失礼致します。おはようございます、クレージュ様」
「おはよう、いい朝だね」
「はい、この季節に珍しい清々しい朝です。よく眠れましたか?」
「うん、しっかり眠れたよ」
「それは何よりでした。今朝はジュン様よりご伝言を預かって参りました。午後、お食事の後にお部屋に来られますようにとの事でした」
「わかった。その他は自由にしてていいのかな?」
「はい、特に行動制限は伺っておりません」
「ありがとう。あ、そうだ。これを渡しておいていいかな」
そう言ってクレージュが鞄から取り出したのは、縦長の麻の小袋だった。同じ模様が入ったものを3個を手渡す。
「珈琲豆を買ってきたから、仕事の合間にでも出してあげてよ」
「これはまた、希少な豆を手に入れてくださいましたね。ジュン様もお喜びになります」
「以前、貴方が挽いた豆が一番美味しいって言ってたよ。ジュンはそういう事を直接言わないから、伝えとく」
「それは嬉しいお言葉ですな、手を抜けなくなりました。それでは、私は失礼致します。何か不自由がございましたら側の者にお申し付けください」
執事長を見送った後、クレージュは雪を直視しないように窓の外に目を向けた。
「よし、じゃあ、散歩にでも出かけるか」
必要な物を鞄に詰めると、クレージュは部屋を後にした。
ご一読ありがとうございました。




