辺境の地 ニヴェリア 3
伯爵になった当時、何に属しているわけでも無かったジュンが身なりを整え、ペイザージュの正装であるローブを羽織れば、年若く知性ある見目を際立たせる結果になった。
それを見て嫉妬心に駆られたペイザージュの貴族が『魔法使いの正装を魔法を使えない者が着るな』と強く侮辱した。
辱める事が出来れば大層喜んだだろうが、ジュン本人が平然とーーーむしろ呆れるような態度で取り合わなかった為、行為はそのまま跳ね返り発言者が恥をかくという結果になった。
その場の空気といったら可笑しくて、居合わせていたクレージュは吹き出しそうになるのを必死に我慢したのを覚えている。
その一件以後に作られたのが今のベストなのだが、正装とは名ばかりで一目で出身地が分かる差別化の為の着衣だ。当然として、ジュンに近く仕える者達も必要な時には着用する事になっている。それは、発言者が正しいと周囲に知らしめ、貴族達の優越感を満足させる意図があったと思われる。
ジュン達も本来ならペイザージュの正装着用を許されなかった事に不満を持つところだろう。
だが、シンプルな深緑色のベストは法衣よりも彼等に馴染んでいたし、布の多い法衣より動きやすいと喜んでいた為、全く嫌がらせにはならなかった。
彼らには並大抵の攻撃は通用しないし、意味がない。現在そう思わせるに至ったのは、表だって目立ったジュンが全て受け流し、跳ね返してきた結果だった。
ジュンが慣れた手つきで左肩から前に髪を流した。ひとつ編みにされた赤褐色の髪は肩下あたりまで伸びている。
「髪、まだ伸ばしているのか」
「不本意だけどな。最近は綺麗に編めるようになって、より楽しいそうだ」
「ちゃんと答えてあげるんだな。奥様はお変わりない?」
「毎日元気に温室で草を弄ってるよ。機嫌を損ねると後々面倒だからな、髪くらいでご機嫌ならそれでいい」
「そうか、相変わらず仲が良さそうで安心したよ。新聞でも切れ者の奥様の話を度々見かけるし、上手くやっているみたいじゃないか」
「あぁ…お陰様で」
ジュンはクレージュの言葉の裏を見落とさず、少し口角を上げて笑った。
真綿に包まれて育ったと囁かれる、純真無垢なペイザージュの第四王女は、とても持て囃されたが、政治では役に立たないだろうと誰もが予想していた。
しかし結婚して以降、ニヴェリアの地を活発にさせる良い動きの幾つかはジュンの妻によるものとなっている。
知る物が見れば、よそ者を嫌うペイザージュで上手く立ち回るために、ジュンが裏で糸を引いている事は明白だった。
「周囲からの当たりは相変わらず?」
「まぁな。上流階級の奴らは死ぬまでやるだろうよ。病気だぜ」
苦笑いを返したクレージュに、ジュンは言葉を続けた。
「でもここ数年は普通に生きる分には偏見も無くなってきたと聞くし、移住した奴らもそれなりに過ごしている。上出来だ」
「それは良かった。…実は以前からジュンに聞いてみたかった事があるんだけど、いいかな」
「なんだよ?事によっては答えないぞ」
「うん、答えたく無ければそれでいいよ」
「じゃあどうぞ」
「ありがとう。ジュン達は機械があれば生きていくには問題無かっただろうけど、やっぱり色々と大変だったと思うんだ。なのに絶対にどこかの世話に…協力関係すら取ろうとしなかっただろう?俺の記憶が間違っていなければ、子供だけが残っていると知れた時、幾つかの国や貴族が何かしらの支援を申し出たはずだ。でも場合によっては手痛く追い返したよな?そこまで王族や貴族の事を嫌っていたのに、どうして移住を決断したのかと思っててさ…もちろん全部が全部、善意の話じゃあ無かっただろうけど…」
クレージュの質問を聞いて、ジュンは少し考える間を取った。
「なるほど。あんたも機械が永遠のものと思っているクチか」
まぁそれはそうか。と言葉は続く。
「質問が二つあるな。まず一つ。知らない奴らからすれば永遠に壊れないように見えるだろうけど、機械には寿命がある。しかも割と短い。維持する物資も有り物限りだったし、子供の手では技術と速度が追いつかない。だから俺は、寿命が来る前に全員が安全に成長できる状況を作り上げないといけなかった。これが移住を決断した理由だ」
沈黙の間ができた。
クレージュから返事も質問もないと判断したジュンは言葉を続ける。
「二つ目。最初に訂正しておく。俺は王族貴族だけが嫌いだったんじゃなくて大人が嫌いだった。…で、どこの世話にもなろうとしなかった理由は、お前が最後に言った言葉が理由だ。気持ち悪い笑顔で美味しい話を持ち掛けて来た国は、大体が都合よく利用してやろうってのばかりだったからだ。あわよくば機械文化を奪おうとしていた事もあった。大人のいない国だからな、好きに出来ると思ってたんだろ。そういうのを見てるうちに、ますます誰も信用ならなくなった」
ジュンの瞳の翳りが深くなった。幼い頃からペイザージュに来た後も、ずっと隠しきれないこの暗さをクレージュは頻繁に目にしてきた。最近では覆い隠すのが上手くなったが、2人で会話している時には未だに度々目にする。
それは出会う前からジュンがもう持っていたもので、簡単に消えるものでは無い。クレージュはいつも気がついた事を気づかせずに会話を続ける。
「それには異議があるぞ。スカイゲートもそういう国だと思ってたのか?」
「精霊族が治める国は特別過ぎた。やっかみも凄そうだし、特別が消えた時にどうなるかわからなかったし、とにかく面倒に巻き込まれるのはゴメンだった」
「いや、まぁ…分からなくはないし、良い先読みだとは思うけど…面倒ってお前」
「言葉が過ぎたか?まぁそう拗ねるなよ。それで、答えになったか?」
悪びれず自分をあしらったジュンとの距離をクレージュが詰めた。
目の前に立って微笑む。
「十分だ、教えてくれてありがとう。大切な仲間の未来を守るためだったんだな」
「そんな綺麗事だけじゃ・・・おい?」
言葉が疑問系に変わったのはクレージュが緩やかにジュンを抱きしめたからだ。
後頭部に手のひらを優しく触れるそれは、まるで子供にする仕草だ。
「やっぱり子供の背中には、とんでもなく重かったな。あの頃に、こうしてやれなくて本当にごめんな」
言葉はジュンが初めて耳にする声色だった。今、少し口角が緩んでしまったのは、この状況では知られていないはずだ。
労うように、片手でクレージュの肩を緩く二度ほど叩く。
「・・・」
それからジュンはゆっくり息を吐いて力を抜いた。普段と変わらない声色で言葉を返す。
「どこまでお人好しなんだよ。あの頃のお前は、世界の王の片腕で最高位の魔法使いの守護者。各地の見回りとその他諸々の問題解決。あらゆる所から引く手数多で、立ち寄る全ての場所から歓迎を受ける『風竜の騎士』だ。そんな奴がどこかに加担するわけにいかなかっただろ」
クレージュの両肩を押し返し、正面から見返す。
「こっちに移ってからも色々してくれただろ。何年もいるから従者だと思ってた奴もいたくらいだ。これでも、感謝してるんだぜ」
言葉を聞いて、クレージュが破顔した。
「嬉しい言葉を聞けたな。役得だ」
「言ってろよ。大体、あの頃の俺にこんなことしてて見ろ、二度と顔見せるなって追い出されてたぞ」
「そのまましばらく会ってくれなさそうだ」
「違いねぇ。出入り禁止だな」
「厳しい」
容易に想像できた状況に、ジュンは悪態をつくように鼻で笑い、クレージュは満面の笑顔を見せた。
「今日は解散しよう。いつもの部屋を使ってくれ。また明日、時間を作る」
「わかった。じゃあまた明日」
クレージュが部屋を出た後、ジュンは肩に触れた手の平を見下ろした。
「驚いた。これが時間の流れか」
子供の頃から見上げていた彼は優しさを備えた強い大人だった。それは害がないと分かっていても信じきれない、大きく警戒する存在だった。
なのに今、手で触れた肩が思っていたより小さかった。
落ち着いて考えてみれば当たり前なのだ。
彼の見目は二十歳前後、自分は遠にその時期を過ぎた大人だ。
「思ってた以上に残酷だな。悟られてなければ良いけど」
一瞬だが、驚いて体が膠着してしまった事を悔いた。
その変化に気が付かない相手ではないが、気付いていない事を願わずに居られなかった。
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